第43話:絡繰【弐】

 けいたちは、研究所の二階へとやってきた。


 二階にいる職員たちは、異様な雰囲気をまとっていた。

 ――彼らは全員、黒い仮面を着けているのだ。


 そんな仮面の職員たちをしながら、二人は目的地へ進んでいく。


「啓、そっちは?」

「これが最後の一人で――」


 啓は勢いよく、目の前の職員のみぞおちに、銃の持ち手を食い込ませた。

 職員はくぐもった声を上げ、崩れ落ちる。


 仮面を留めるヒモが緩かったのだろう。

 職員の着けていた仮面がずるりと落ち、甲高い音を立てながら白い床へと叩きつけられた。


 露わになった顔。

 ――啓はその顔に、見覚えがあった。


 長いまつ毛に縁どられた、赤い大きな瞳。

 白い肌。

 通った鼻筋に、薄い唇。


 間髪入れずに――啓の頭の中にフラッシュバックする光景。


 ラヂオ塔を燃やした日に見た、美しい顔。

 花火大会の日に見た、優しい笑顔。

 ――そして乗り込んだ日の、引きつった死に顔が。


「……蘭、子、さん……?」


 啓の頭は事態を飲み込めず、一気に真っ白になる。

 來良きらが、近くに転がっていた他の職員の仮面を引きちぎる。

 そこにも、赤い瞳が光っていた。


「くそっ、冒涜ぼうとくにもほどがあるだろ」


 啓の頭は、さらに混乱で埋め尽くされる。


 どうして?

 蘭子さんは死んだはずなのに。

 じゃあ、ここにいるのは――誰だ?


 思わずふらりと壁にもたれかかる。

 その先に、落ちた仮面があったようで踏んでしまった。

 黒い仮面は、パキリと悲鳴を上げて割れる。


「すみません、來良さん。俺、なんか夢でも見てるんですかね……」


 啓は頭を抱える。

 すると肩に、來良の手が回った。


「しっかりしろ、啓」


 静かな廊下に、來良の低い声が響く。


「これは現実だ。お前の敵は、この先に待ってる。忘れたか?」

「――忘れて、ません」

「お前はこんなところで折れる人間じゃねぇだろ。……それに、俺と帰るって約束したじゃねぇか」


 來良が、啓を覗き込んだ。

 出会ったあの日と同じ、まっすぐな目。

 しかしそこには、確かな温かさ・・・があった。


「帰還まであと少しだ。俺はお前の今までの頑張りを、無駄にさせたりしねぇよ」


 そう言いながら、來良は再び現れた仮面の職員たちに飛び掛かる。

 回し蹴りで吹き飛ばした後、腕を踏んで、動けないようにしていた。


「こいつらは『トップ』が作り変えた人間だろ! それこそ啓を混乱させ、自分の手の中に堕ちるように仕向けるため! そんなもんに惑わされんのは、お前も、しゃくだろうよ!」


 來良は仮面の職員を投げ飛ばし、他の職員たちも巻き添えにする。

 一人で戦うには多すぎる人数だが、なんとか時間を稼いでいる。


 啓はぐっとこぶしを握ると、一歩踏み出した。


「ありがとうございます、來良さん。……俺、目が覚めました」

「おはよう、寝坊助ねぼすけ


 何度か聞いたそのセリフ。

 啓は思わず笑みを浮かべた。


 そして、仮面の職員たちをきつく睨みつけた。


 啓は、集中の渦へ落ちていく。

 床を勢いよく蹴り、職員の腹部に拳をめり込ませるのだった。


 ◇   ◇   ◇


 あれから、しばらく経った。

 次々とやってくる、仮面の職員たち。

 啓と來良は弾を撃つこともなく、肉弾戦で三十人近い仮面の職員たちをなんとか倒した。

 立っている者もいるが、痛みで動けないようで襲ってくることはない。


 ――さすがに、啓も來良も肩で息をしていた。


「……も、いない、ですよね」

「さすがにこれ以上は、建物に対してキャパオーバーなんじゃねぇか?」


 口調に疲れをにじませた來良は、汗を拭いながら周りを見渡す。

 視線には軍人としての、敵を探すような冷たい光が宿っていた。


 しかし啓の後ろを見た瞬間、その目が大きく見開かれた。


 珍しい表情に驚いた啓も、つられるように振り返った。


 そこにはゆっくりと歩く黑居くろい――いや、黑居の体を借りたあまねがいた。


「お見事」


 目を細め、にこやかな笑みを浮かべていた。

 両手は、音の鳴らない拍手をしていた。


「本当に悪趣味な野郎だな」


 來良があまねを睨みつける。

 啓も険しい顔をしながら、來良の近くに身を寄せた。

 すると肩に來良の腕が回り、ぐっと引き寄せられた。


「これ以上、こいつに近づくな」

「啓に触るなと言いたいところだけどね、僕は今機嫌が良いんだ。少しだけ許可しようか」


 あまねは立ち止まると、來良に笑いかける。

 あまりに胡散臭い笑み。


 啓はぞっとするような嫌悪感に襲われ、思わず顔をそらした。


「……てめぇ、次は一体何をしたんだ」

「答える義理はないかな。それよりも吉良・・くん。先輩には敬語だって、学校で習わなかった?」

「てめぇなんかに、敬語を使う義理はねぇよ」

「はぁ、まったく……。懐かない犬って感じで面倒だ。啓はどうしてこんな男の隣に立っているんだい?」


 啓は唐突に名前を呼ばれ、驚きのあまり肩を跳ねさせた。


 あたりを静寂が包む。

 啓は覚悟を決め、一度だけ來良を見た後、まっすぐにあまねを見据えた。


「來良さんの隣にいる理由は一つ。兄さんなんかと比べ物にならないくらい、頼れる人だからだよ」


 あまねは意表を突かれたと言わんばかりに、目を丸く見開いた。

 しかしすぐに、その目はいたずらっ子のようにじっとり細められる。


「頼れる? 血なまぐさい戦いでしか生きられない――脳筋男のどこが頼れるって言うんだい。こんなことすら、できないのに」


 あまねはパチンと指を鳴らす。

 次の瞬間。

 かろうじて立っていた職員たちが、一斉に床へ崩れ落ちた。

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