第32話:社交【弐】
舞踏会の会場は、
歴史に疎い
電車で向かうのだろうと
「え、あの、電車なら裏口からの方が……」
「そういや言ってなかったな。今日はこっちだ」
啓にとっては初めての正面玄関。
緊張した面持ちで外に出ると、そこにはたくさんの馬車が並んでいた。
「い、異世界みたいですね……それか童話とかの……」
「こんだけ並んでたら、確かに壮観だな」
そう言いながら、來良は啓の前に立つ。ゆっくりと啓に手を差し出した。
「さぁ、お手を」
來良の顔は真剣だ。
啓も覚悟を決め、できるだけ自然に見えるように手を差し出した。
來良の手を握ったまま、馬車へと乗り込む。
途中で転びそうになったが、來良が引っ張ってくれたおかげで何とか難を逃れた。
「さっそく裾踏んでたな」
「すみません……さすがにこんなドレスは着たことないので……」
「ハハ、逆に着たことあるなんて言われた方が驚くよ。サポートはするから気にするな」
「情けないです……ありがとうございます……」
狭い馬車の中で二人きり。
啓はなんとなく恥ずかしくなり、横にある窓から外を見た。
「……綺麗」
そこにはガス灯で照らされた街並み。
花火大会の時とは違う、しんみりとした大人な雰囲気を纏った街に、啓は見入っていた。
「お前も、な」
來良のその言葉に啓は勢いよく振り返る。
「こっ、この! 人たらし……!」
「ハハハ、それ、元の世界じゃ良く言われてたな」
そう笑いながら、來良は小さな箱を取り出した。
「それは……?」
「ジュエリーだよ。適当に見繕ってきた。付けてやるから後ろ向け」
啓はおずおずと、狭い車内で体を窓側に向けた。
來良の手が、ゆっくりと啓の前へとやってくる。
抱きしめる前の動作のようなそれに、啓の心臓が早鐘を打った。
やがて手は離れ、チェーンが啓の首に触れる。ひやりとして啓は思わず体を震わせた。
「よし。もういいぞ」
「ありがとうございます」
啓は首元のペンダントトップを持ち上げる。そこには大ぶりでオレンジ色の宝石が嵌っていた。
「人よけだ。コネを作る社交場でも、若い娘にばかり声を掛ける
「やっぱり高い宝石なんですね。思ってたよりも重くてびっくりしました」
啓は一度オレンジ色の宝石を見た後、來良の顔を見上げた。
そこには、宝石と同じ色の瞳が光っていた。
「どうした? 何か気になったか?」
「いえ。なんでもないです!」
――まるで、來良のものだと牽制するようだ。
來良はとにかく高級そうなネックレスを用意しただけだろうが、啓はこの偶然に胸を高鳴らせた。
長い路地を抜けて、啓のお尻が痛くなってきた頃。
馬車はゆっくりと速度を落とした。
「さ、行こうか」
「はい」
再び來良のエスコートで、啓は馬車から降りる。
そこはすでに、多くの招待客で賑わっていた。
高級そうなドレスを着た女性たち。その美しさを見て、啓はわずかに俯いた。
來良はそれに気付いたのか、啓の手を強く握った。
「お前も負けてないぜ。それに、せっかくだから楽しむといい。……だが、気は抜くなよ」
啓は大きく頷くと、來良は笑って啓の背中を優しく叩いた。
背筋を伸ばした啓は、來良と並んで建物の中へと入っていった。
◇ ◇ ◇
鹿鳴館は、
和洋折衷という言葉がピッタリな、独特な雰囲気。
大正浪漫の「和」の要素を足したような光景だった。
洋館でありながらも和柄のカーテンが掛かっている。
さらに各所に吊るされた美しいシャンデリアと、カーテンと揃いの和柄が描かれた
海外の要人をもてなす気概を、ひしひしと感じさせていた。
啓は目だけでこれらを追いながら、來良に付いて行く。
まず來良が向かったのは、館の二階手前側にあるテラスだった。
「ここから観察するんですね」
「……すまない。これだ」
來良はいつものようにタバコを取り出した。それに火を付けると、いつもとは違う甘い香りがした。
「今日の、いつもと違うやつですか?」
「よくわかったな。……匂いは人の記憶に残りやすい。だから銘柄を変えるだけでも、意外とカモフラージュになるんだよ」
來良の口から、白い煙が立ち上る。
それを目で追いかけると、そこには青くて大きな月が浮かんでいた。
啓はぼうっとそれを見ていたが、來良の声で現実に引き戻された。
「しまったな、灰皿を忘れてきた」
啓はぐるりと周りを見渡す。テラスの端に缶が置かれていたため、それを指さした。
「あれ、吸い殻入れじゃないですか?」
「本当だ。よく気付いたな、助かった」
來良は吸殻を持って移動する。
それを見送っていると、啓は突然誰かに肩を叩かれた。
なぜか常に、汗を拭っている。
「お嬢さん、こんばんは」
「こんばんは……」
「随分といいネックレスをしているね。――私と釣り合いそうだ」
ニヤと笑った男は、自らの両手を啓の前に掲げた。
そこにはごつごつとした指輪がひしめき合っている。
宝石の色も形もばらばらで、ただ高いものを集めてきたのだろうと啓は察した。
「お言葉ですが」
啓はゆっくりと口の端を上げた。
「釣り合うなんて見方をする殿方と、私が
皮肉たっぷりの言葉に、目の前の男は顔を真っ赤にする。
「しっ、失礼な! お前、誰にそんな口を利いたと思ってる! この私は――」
「
啓の背後から、來良の声が降ってくる。
すると來良は啓の腰をぐっと抱き寄せた。
「俺のツレになんの用だ?」
「きっ……來良少佐殿!? こ、ここここれは大変失礼いたしましたっ!」
そう言って、馬下は勢いよくテラスを去っていく。
あまりの逃げっぷりに、啓も來良も小さく吹き出した。
「あの人……こう言ってはなんですが、体格の割に逃げ足は速いんですね」
「軍でも『逃げの馬下』なんて言われるくらいだからな。死線で逃げ続けて、大尉まで上り詰めたよく分かんねぇやつさ。あいつは招待されたがペアが見つけられなかったから、同じように一人できた娘をかっさらおうとしてたんだろうよ」
鼻で笑い飛ばした來良は、啓の胸元に手を伸ばす。
オレンジ色の宝石を手に取った。
「俺の気の回し方が悪い方向に転んだな。できるだけお前を一人にしないように気を付けるよ。……でも、あの皮肉たっぷりの返しは面白かったぜ」
「見てたんだったら助けてくださいよ!」
「ちゃんと助けたろ」
優しい笑みを浮かべる來良。
軍服ではないからだろうか、それとも
――まるで、令和の青年のような。
「……來良さん」
「おう、どうした?」
「俺、今日の任務も頑張ります。來良さんと一緒に帰るために、頑張ります!」
「何がどうしてそうなったのかは知らんが、いい心がけだな」
それからたわいのない会話をしながら、二人はホールの方へと向かうのだった。
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