第7章 社交界編(前半)

第31話:社交【壱】

 黑居くろいが収監されてから数日後。


 けいは一度だけ学校に行った。


 授業は全く頭に入らなかった。

 つい、空いた黑居の席を見たり、屋根の上を探したりしてしまう。


 ――自分にとって「黑居の存在」が大きかったこと。

 それを思い知らされるようで、心が痛んだ。


 結局それ以降、学校に行くのが怖くなった。


 啓は事情を來良きらに話した。

 來良は「そうか」と悲しそうに笑った後、退学届を工面してくれた。


 啓は、学校を辞めた。


 ◇   ◇   ◇


 それからの啓は、時間ができた分、今までよりも任務をこなすようになった。


 來良が休みの日は稽古を付けてもらった。

 それ以外の時間は銃の手入れをしたり、新聞を読んで怪しい動きがないかチェック。

 夜になると、來良と共に任務をこなしたりする日々。

 

 ――黑居の残した手がかり、イチイを見つけるため。


 ◇   ◇   ◇


 今日の任務は、舞踏会への潜入だった。


 今回の舞踏会は、こうの中でも上流と呼ばれる人々が集まる会。


 しかも男女の交流を楽しむものではない。

 男女ペアで参加しなければならない、いわゆるコネづくりの場だった。


 そこで、怪しい取引がある噂が出たらしい。


 しかも來良が言うには、取引されるのは「カラー写真」。

 発明はされているが、この時代ではほぼ普及していないはず。


 ――つまり、特異点イレギュラーに関係あるのではないか、と。


 そのため、元々招待されていた來良と共に、啓も参加することになったのだ。




 啓は鏡の前で、裾をひるがえした。


「こんな格好、元の世界でもしたことないな……」


 鏡に映る啓は、紫の美しいドレスを身にまとっていた。

 潜入用に、來良が一式見立ててくれたものだった。


 胸元は開いていないが、ところどころレースになっていて透けている。

 床に付くほど長いスカート部分には、スリットが入っている。

 太ももまで見えるようなその深さに、啓は少しだけ顔を赤らめた。


 生地はシルクのようで、社交界でも浮かないような美しい輝きを放っている。


 啓は鏡に顔を近づける

 わずかにはみ出していた、赤い口紅を小指で拭った。


 元々啓は裏口から潜入する予定だった。しかし來良の発案で、啓はあれよあれよという間に女性の格好をすることになったのだった。


 啓が鏡とにらめっこしていると、静かに扉が開く。

 軍服を着た來良は、啓を下から上までじっくりと見て、にやりと笑った。


「おぉ、こんなに似合うとは思ってなかったな。想像以上だ」


 來良は鏡の前までやってくる。

 二人が並んだ様は、貴族の子息とその婚約者のよう。

 啓はこの世界の自分の体に感謝しながら、鏡を見た。


「……自分でも驚いてます。化粧ってすごいですね」

「いや、お前は元々綺麗な顔だよ」


 そう言いながら、來良は啓の腰に手を伸ばす。

 そのまま啓をぐっと引き寄せた。


「ハハ、様になるもんだな」


 より濃くなったタバコの匂い。

 啓はドギマギとし、鏡から目線を反らした。


 ――恋は帰ってから。

 ――に二言はない。

 そのふたことをひたすら頭の中でループさせながら、啓は両頬を叩いた。


「おぉ、突然どうした」

「チークってやつです!」

「っはは、物理的に赤くする奴は、初めて見たな」


 來良は笑いながら、啓の腰から手を離した。


「俺も着替えてくる。今日は燕尾の指定だからな」


 そう言って、來良は一度部屋を出て行った。

 しばらくして戻ってきた來良は、燕尾と呼ばれる長めの丈のスーツに、白いシャツと白いベストを着ていた。

 その姿は「様になる」の言葉でも足りないほど似合っていて、啓は思わず口をパクパクとさせた。


「どうした。見惚れたか?」

「えっ、えぇっと……はい……」

「ハハハ、冗談のつもりだったんだがな。とりあえずこれ、込めとけよ」


 來良が銃弾を渡してきた。その数は、八つ。

 啓は冷たいその弾を受け取ると、慣れた手つきでそれを込めた。


 ――まるで、來良のように。


 啓は重くなった銃を、太ももに付けたホルスターにしまった。


「随分と慣れたな」

「はい。來良さんの指導のおかげです」

「ふっ、そうか。それは何よりだ。……本当は慣れる前に帰らせてやりたかったんだがな」


 來良は言葉を切ると、襟を正した。

 いつものブーツとは違う、革靴が鳴る。


「行くぞ」

「はい!」


 啓もハイヒールを鳴らしながら、來良の後を追った。

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