第25話:大會【参】

「あなたは巻き込まれただけです。黑居くろい藍士郎あいしろうへの復讐に」

「黑居、って……」


 けいは思わず振り返る。

 そこには意識を失ってしまった、シロ――黑居くろい誠士郎せいしろうが転がっていた。


「お察しのとおり。黑居藍士郎は、そこで無様に縛られている男の兄ですよ。私はその兄の奴隷でした。――あの兄はとんでもない人でした」


 混乱で黙り込んだ啓を気にせず、青年は話し続ける。


「真面目そうな人間ほど裏がある、それを体現したような男でした。暴力なんて序の口です。飯を抜かれて弱ると、庭にいたと言う虫を食べさせられる。黑居の恋人と鉢合わせてしまった時は、部屋から出るなと足を折られ、惚れられないようにと顔を燃やされました」


 青年は笑顔のまま、フードを外す。

 端正なその顔は、片耳や片頬が赤く引き攣れている。火傷の跡だろう。


 啓は思わず、顔をしかめた。


「ついにはお気に入りの推理小説を触ったと言われ――」

  

 さらに青年は、右手の手袋を外した。

 その右手は――義手だった。


 啓は言葉が出ず、ただ銀色に光る義手を眺めていた。


「驚いたでしょう? 仕打ちに耐えられなくなった私は、いつかあの男に復讐をしようと思っていた。機会を伺うために尾行し続け、ついにそのチャンスが訪れたんです。それが、あのラヂオ塔の事件の後でした」


 青年は再びぐるぐると歩き出す。


「事件の後、あの男はずっとふらふらとしていました。鼓膜もやられたんでしょう、音もまともに聞こえていなかったようでした」


 青年は啓の後ろに回り込む。そこでぴたりと足音が止んだ。


「だから、後ろを歩く私に気付かなかった。――そこで後ろから薬をかがせ、火をつけ、右手を切り落としたんですよ。あの男が私にやったように、ね」


 後ろに立つ青年から、写真が差し出される。

 啓は恐る恐るそれを受け取った。

 そこには、病院のベッドに横たわる包帯男と、それに寄り添う黑居の姿が映っていた。


「――結局あの男は、目を覚ましました。しかし目覚めたあと、気づいたのでしょう。自分のしていた奴隷の扱いが、社会に出ては困る――と。だからあの男は策を練った。結果、弟はこう聞かされたはずです。『ラヂオ塔の爆破に巻き込まれた』と」


 袴の青年は、啓の持つ写真を取り上げると、ライターでそれを燃やした。

 その灰は風に乗って飛ばされていく。

 啓が目で追うと、まだ目を覚まさない黑居が視界に入った。


「『ラヂオ塔の爆破に巻き込まれた』、そんな兄の嘘を信じている、この弟が聞いたらどう思うでしょうねぇ? あなたがラヂオ塔爆破の主犯・・・・・・・・・・・・・だと」


 啓ははやる鼓動を抑えながら、青年を睨みつけた。


「……お前が、主人に復讐したかったのは分かった。でもお前はすでに復讐を果たしたはずだろ! なんでシロと俺が巻き込まれなきゃいけないんだ!」

「これは練習ですよ。私の最終計画のね」


 そう言いながら、青年は黑居へと歩み寄る。

 啓の心が警鐘を鳴らす。

 慌てて青年と黑居の前に体を滑り込ませた。


「……何をするつもりだ」

「言ったでしょう、練習、だと」


 青年の手には、火の付いたライターが握られていた。


「頭の良いこうおつの学生たちが、何の経歴も持たないひのえの私に翻弄される。子供のように手を叩き、自らが罠に落ちたことすらも気付かないまま座り込み、宛がわれた薬で意識を失う。そして目を覚まさないまま、燃やされる。それはどんなエンターテインメントよりも滑稽でしょう?」


 ライターが黑居の方へと投げられる。

 啓は手が焼けるのも構わず、それを弾き飛ばした。そして青年をきつく睨みつける。


「……お前は狂ってる」

こうのあなたには理解できないでしょうがね、こんなエンタメ、ひのえでは日常茶飯事ですよ。もしかしたら、これを面白いと思えるのは、ひのえの感性なのかもしれませんが」


 青年は自嘲しながら、啓の方へと歩み寄る。


「……おや、これは驚きました。あなた、こうではなくひのえの生まれですね? 丙の匂い・・・・がしますよ」


 啓は慌てて自分の腕を抱き込んだ。

 その様子に、青年はくつくつと笑った。


「ふふ。匂い、は嘘ですよ。うなじのところに小さな傷がある。それはオークションで売られた証です。学ランで隠れているから、他の人には見えていないでしょうけどね」


 一度言葉を切ると、青年は啓に耳を寄せた。


「あなたは私と同類だ」


 啓は慌てて飛びのき、距離を取って青年を睨んだ。


「お前と俺は違う!」


 しかし意に介していないのか、青年は話し続ける。


「虐げられてきたひのえのあなたなら、私の心が分かりそうなものですがね? 殺そうと思っていたが、気が変わりました。死にたくないのなら、この手を取ってください」

「断る」

「……そうですか。それは残念です」


 青年の姿が消える。

 啓は勢いよく振り向く。

 そこには空中に舞い、わらう青年。

 その手には、乾いた血がこびりついた短刀が握られていた。


 啓はあえて走り出し、青年の真下で屈む。

 青年の袴の裾を掴むと、ぐっと引き下ろした。


 青年はバランスを崩して落ちる。


 しかし短刀を持っていない義手の拳へ、体重と重力を乗せた。

 その鉄の拳は、反応が遅れた啓の腹に叩き込まれた。


「がっ!?」


 啓はその場でうずくまる。

 そのまま倒れ込んできた青年の下敷きになった。


 青年は短刀を振り下ろそうとするが、一瞬ためらった。

 その隙をついて、啓は跳ねるように起き上がった。


 両者は再び距離を取って、睨み合う。

 啓の目からは光が消え、瞳孔は縦に長く伸びていた。


 啓の頭には、來良きらの言葉が何度もリフレインする。

 力で勝つな、頭で勝て――と。


「振り下ろす前にためらった。まだ、怖いんだろ? その短刀で、手を切られたことを思い出すから――」


 腹の痛みに耐えながら、啓は挑発的な笑みを浮かべた。


「復讐をしたい気持ちも、相手から逃げたい気持ちも……身に染みて分かる! それが完全に果たせなかった悔しさも! でも――それでも! その気持ちを他のもので埋めるのはダメだ!」


 啓は銃を取り出すと、勢いよく地を蹴った。


 青年の持っていた刀に銃を噛ませ、再び足元を狙う。


 つばり合いになるかと思ったが、青年はぱっと刀を離し、後ろに飛んだ。

 勢いよくはじかれた刀は、青年の方へと飛んでいって地面へと落ちた。

 笑みを浮かべた青年はそれを拾うと、静かに構えながら笑った。


「さすが。戦い慣れていらっしゃる」

「……そっちも」


 銃を使う啓は、距離を取るため、後ずさる。

 刀を使う青年は、距離を詰めるため、歩を進める。


 しばらく睨み合いが続く。

 二人の息遣いだけが、倉庫にこだまする。


「……う゛っ!?」


 その静寂を破ったのは、啓のくぐもった声だった。

 腹の奥から何かがせりあがり、口から勢いよく吐き出した。


 ――それは、真っ赤な血だった。


「いかがです? 吸った薬も、鉄の拳もよく効くでしょう?」


 啓はがくりと膝をつく。

 その姿を見下ろしながら、青年はゆっくりと歩み寄る。

 屈み、啓に目線を合わせた。


 ――次の瞬間。

 啓の脇腹には、深々と短刀が刺さっていた。


 遅れて、痛みとそれを超えるほどの熱さが、啓の脳を支配する。

 耐えられず、啓は地面へと倒れ込んだ。


「本当に残念です。あなたと私はいい共犯者・・・になれると思ったのですが――」

「悪いな。共犯なら、俺が先約だ」


 聞きなじみのある声が響く。

 同時に、乾いた音が倉庫に鳴り響いた。

 袴の青年は目を見開きながら、左肩を押さえて地面に倒れた。


 啓は目線だけで、声の先を見る。

 そこには、逆光に照らされた來良の姿があった。


「……啓!」


 來良は青年に目もくれず、啓へと走り寄った。


「遅くなってすまない。今、止血を……!」


 荒い息を抑えながら、啓は自分に言い聞かせるように口を開いた。


「……大丈夫、です。これくらいじゃ、死なないって……自分が、一番……分かってるんです…………だから………………」


 啓は手を伸ばす。

 暗く閉じていく視界。來良の表情を伺うことはできない。


「啓!?」


 今までに聞いたことのない、引きつった声。

 それを最後に、啓の意識は暗闇へと落ちていった。

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