第11話:學校【弐】

 けいの大事な用。

 それは、黑居くろい誠士郎せいしろうの観察だ。


 柱に隠れた啓の数メートル先に、黑居が立っていた。

 聞き取りづらいが、数人の先生と部活について話しているらしい。その中には、例のポマーもいた。


 啓は、黑居と同級生の関係を見て気付いた。

 一番「特異点イレギュラー」の情報を得られるのは、この男の周りだと。


 しかし啓は、友人の作り方をすっかり忘れていた。

 下手に友人になり、何かヘマをしてしまえば、距離を取られてしまう。


 ――それならば適度な距離で接し、観察するほうがよっぽど良い。

 その結果、啓は黑居の誘いを断ったのだった。


 誘われた嬉しさに蓋をして。


 もやもやした心のまま様子を伺っていると、ポマーと呼ばれた教師の大声が廊下に響き渡った。


「――だから、探偵俱樂部クラブなんて、部活として認められないと言っているだろう!」

「まぁまぁ、本間ほんま先生。実際に彼は、生徒間のトラブルを解決してくれているんですよ。外に漏れる前に解決。それはこのくにトップという我が校の看板を守るためにも、大切なことなのでは?」


 ポマード臭いあの教師は本間と言うらしい。

 本間とポマードでポマーなのか、と命名のセンスに一人感心しながら、啓はその様子を伺っていた。


「教頭……! ですが、彼の態度には目に余るものがあります。勝手に郊外活動なんかされた日には、何をしでかすか分かりませんよ」

「そうです、こういうのはどうでしょう。本間先生、あなたが俱樂部クラブの顧問になる。それで一週間ほど様子を見て、判断する。黑居君も本当に俱樂部クラブを立ち上げたいなら、この条件を飲んでくれるはずです。お二人とも、いかがです?」


 教頭と呼ばれた、白髪で優しい顔の老教師は、笑みを浮かべて爆弾を落とした。


「はぁぁぁ!? なんでこいつに監視されなあかんのですか! 真っ当に活動しとんの、教頭せんせも知っとるはずやろ!」

「お言葉ですが、私も遠慮願いたい。こんな問題児に付き合う時間はありません」


 それからも二人の口論は続く。


 逆に馬が合うんじゃないか。

 そう啓が思っていた時だった。


「やはり、貴方たちは息ぴったりです。それでは一週間後、報告を待っていますよ」


 教頭は啓の気持ちを代弁し、笑顔でその場を去る。

 啓の方に向かってきたため、啓は慌てて階段の方へと移動した。


 遠くなった二人の方から、まだ口論の声が聞こえてくる。

 しばらくかかりそうだなと、啓は近くの窓に肘をついて外を眺めるのだった。


 結局あれから黑居に動きはなく、下校時間となった。

 黑居は寮生のようで、ぶつくさと文句を垂れながら寮の門を潜っていった。

 その様子を見届けた啓は、一人でそそくさと官廳館かんちょうかんに帰るのだった。


 その日の夜。

 部屋に戻ってきた來良に「学校、どうだったか?」と聞かれ、返答に困ったのは言うまでもない。


 ◇   ◇   ◇


 あれから三日が経った。


 黑居はよっぽど俱樂部クラブを作りたかったのだろう、教室でも落ち込んでいることが増えた。


 放課後、仮の部室として明け渡された図書館に黑居はいた。

 本間に監視されながら小説を読んでいる背中は、なんだか小さく見えた。


 黑居は本を閉じて、静かに立ち上がった。


 本間に「帰ります」とだけ伝え、廊下へと向かっていく。

 今日も寮に帰るのだろう。

 そう思いながら、図書館、教室のある本館、そして特別教室のある別館へと追いかけていた時だった。


「……ケー坊。案内してほしいんやったら、言ってくれたらええのに」


 啓は急ブレーキをかけて、化学室の前の棚の陰に屈んで隠れる。

 廊下の床がギシリと鳴った。


 心臓が一気に早鐘を打つ。


俱樂部クラブ長のオレを、なめたらあかんでぇ?」


 長いリーチでやって来た黑居は、啓を見下ろしてニヤニヤと笑った。

 開いた口からは、ギザギザの歯が覗く。


「あーあー、怯えさしてもうた。全く子犬みたいなやっちゃな。ほーら、出てきぃや」


 優しく左腕を掴まれ、啓はなすすべなく黑居の前に躍り出た。


「ほんなら、説明してもらいましょか。――オレのこと、なんで尾行した?」


 有無を言わせないような低い音。

 啓はぶるりと大きく体を震わせると、諦めたように目を伏せた。


 ◇   ◇   ◇


「つまり――ほんまの名前は啓。実は兄さんがおって、そいつを見返したい。だから一位のオレから学ぼうとつけ狙っとったちゅーわけやな」

「……そう、です……」


 結局、転移や性別、特異点イレギュラーのことは上手く誤魔化せた。

 しかし兄の話は隠せず、しどろもどろになりながら話してしまった。


 すべて話し終わった後、こういうところが諜報に向いてないんだろうな、と啓は脳内反省会を開いていた。


「うーん。オレにも兄さんがおるけど、そこまで変な執着してへんなぁ! いやぁ、新聞にでも投稿したら載るんちゃうかってくらいのドロドロ具合やで」


 黑居は肩を震わせてひとしきり笑った後、笑いすぎて溜まった涙を拭った。


「ほんならオレが、兄さんに勝てるように色々教えたる。んでその代わり、オレの部活に入ったってーや」

「部活? 探偵俱樂部クラブのこと?」

「せや。……もうな、あのポマーと二人きりって空間が耐えられん。この一週間で依頼・・が来るかも分からんし、このままやとノイローゼにでもなりそうなんや」


 頭を抱える黑居。

 啓は黑居の言葉が引っかかって、おずおずと口を開いた。


「依頼、受けてるの?」

「おん! 言うて無償やしな。持ち物が無くなったーやら、学校の怪談を確かめてほしいーやら、隣の女子高にいる子に思い人がいるかを調べてほしいーやら、簡単なやつばっかやけどな」


 笑顔で、黑居は親指を立てた。

 彼の清々しさや人望がその依頼を生んでいるんだろう。


 啓は少し狼狽うろたえた。


「そういうの、黑居くんだからこその依頼じゃない? 俺が入ってもいいのかな」


 すると黑居は笑って、啓の肩をバシバシと叩いた。

 それは力強く、叩かれた場所は少し間をおくとヒリヒリとし始めた。


「弱気やなぁ。遠慮しいは兄さんなんか見返せへんで? あと、シロさんて呼びぃや、シロさん。ぷりーずあふたーみー、シ・ロ・さ・ん?」

「し……シロさん」

「ぱーふぇくと!」


 いかにも日本語訛りの英語で、啓は思わず眉を下げながら笑ってしまった。


「ほんなら明日の放課後は図書館な。今度は姑息なことせんと、堂々とついてきぃや。あ、名前と兄がいるってことは内緒にしとくで。ほんならな!」


 そう言った黑居は、手を振りながら夕陽の差す廊下を走っていった。

 足が速いのか、脚が長いからなのか、その姿はすぐに小さくなった。


 彼の姿が見えなくなってから、啓はゆっくりと手を振り返した。


 ◇   ◇   ◇


 その日の夜。

 いつも通り、啓は來良の部屋で夕飯をとっていた。

 いつの間にか一緒の部屋にいることに慣れてしまったと、啓は自分の順応の早さと危機感のなさに小さくため息をついた。


 戸籍ができた以上、寮に入っても不都合はない。

 しかし來良が「ここにいればいいんじゃないか?」と笑うものだから、啓も甘えてしまったのだった。


 今日は時間がなかったらしく、購買で買ったというあんパンが二個手渡された。

 礼を言って口に入れると、ふわふわの生地が優しく口の中で弾んだ。

 餡は元の世界よりも甘さが控えめなようだが、啓にとってはこちらの方が好みだった。


 あんパンを見ながら、啓はこれからは外で食べてきても良いと提案した。

 しかし來良は「遠慮するな」と笑いかける。

 そして肘をついて、いつものように啓の食べる姿をまじまじと観察していた。


 ――しかし今日は、少し違う。


 いつもは部屋に入るなり軍服を脱ぐ來良が、今日は軍服を着たまま啓の方を見ていた。

 その姿が妙に決まっていて、啓は頬に熱が集まるのを感じた。


 いつものような気まずさを覆い隠すほどの感情。

 啓は浮かんだ感情から目を背けるように、來良から目を反らした。


 來良は大きく伸びをすると、立ち上がった。


「そういや啓、今日は何かあったか? ……あぁ、こんなに毎日聞いてたら、部下に報告させてるみてぇだな。面倒だったらそう言ってくれ」

「いっ、いえ。そういえば今日、部活に誘われて、入ることになりそうです」

「おぉそうか。そりゃ良かったな」

「……はい。あと、シロさん――あ、クラスメイトなんですけど、彼から言われて気づきました。遠慮ばっかりしてたら、兄を見返すことはできないって」

「へぇ。良いこと言うじゃねぇか」


 そう言って來良は、窓を開けた。


「そいつとは、向き合えてるか?」

「向き合えてる……とは、思います。少なくとも、元の世界の人よりは」

「そうか、良かったな」


 來良が流れるように取り出したタバコに、珍しくマッチで火をつけた。

 ライターのオイルが切れたのだろう。ほのかに嗅ぎなれない刺激臭がした。


「なぁ、啓。……新入部員の身で悪いがな、三日後の夜は開けといてくれ」


 その声には、感情が籠っていなかった。


 不思議に思った啓が來良の顔を見ようとした。

 しかし來良は窓の外を静かに眺めていて、表情は読み取れない。

 仕方なく、啓も窓の外を見やる。

 そこでは夜の闇よりも暗い色をした黒い塔が、昇りかけの月の輝きを塞いでいた。


 通称、ラヂオ塔。


 それは「教科書の歴史」には存在しない、文化としての特異点イレギュラーだ。

 本当はあと五年後から始まるラジオ放送を、すでに各家庭に届けている。


 いつかはあれを倒さないといけないのか。


 啓は自分の手が震えていることに気づき、静かにその手を机の下に隠した――。


 ◇   ◇   ◇


 次の日の朝。

 啓が学校に向かうと、生徒たちによる人だかりができていた。

 そこに頭一つ抜けたポニーテールを見つけ、啓は人混みを下から潜り抜けるようにして近づいた。


 ――遠慮しいは兄を見返せない。

 その言葉に突き動かされるように。


「……おはよう、シロさん。何かあったの?」

「おっ、ケー坊か。こっから見てみぃ」


 黑居に誘導され、人の少ない場所へと移動する。

 別館と呼ばれる方の校舎を見上げた。


 そこには、外壁が煤で真っ黒になり、窓も焦げ落ちた化学準備室があった――。

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