第12話:學校【参】
全体休校となったはずなのだが――なぜこうなったのだろう。
いつも通っている教室。
しかし、すべての窓が閉じられてカーテンが掛かけられている。
それゆえ朝でも薄暗く、非日常的な怪しさを醸していた。
さらにそこには生徒はいない。黒板の前に立つ、
二人の前には、先日廊下で見かけた教頭が、背筋を伸ばして立っていた。
首元のネクタイの結び目を触りながら、啓たちを見つめている。
重い静寂が教室を包んでいた。
それを破ったのは、大きな足音だった。
「や~か~ら~~~! オレもケー坊も、下校の鐘よりも前に外出た言うてますやん! 寮母さんもそう言ったってのに、なんで信じてくれへんの!」
啓の隣で、顔を赤くした黑居が地団太を踏んでいた。
それをなだめるように、教頭が黑居の両肩に手を置いた。
「まぁまぁ。いいですか黑居君、谷縣君。
「だからって、オレらに結び付けるのは性急すぎひんかって言ってるんですよ!」
「……まだ未公表ですが、今回の火事の原因は、化学準備室にマッチで火がつけられた――つまり故意ではないかとされています。つまり顧問しか持っていない、化学準備室の鍵を盗んで火をつけた人間がいるんですよ」
「はぁ、じゃあ犯人そいつやないですか!」
「……それがね、黑居くん。化学準備室の鍵はどこから出てきたと思いますか?」
教頭の瞳が、まっすぐに啓の目を捉えた。
急な展開に、啓は目を瞬かせた。
「谷縣啓太郎君。君の机からです」
啓は思わず「いやいや……」と呟いた。
横からも「そんな訳ないやん! ぜぇったい犯人の
すると教室の後ろの扉から、本間がのそりと現れた。
啓の隣からチッと舌打ちの音が聞こえる。
「私は図書館から戻る際、彼らが下校時間の直前まで化学室の前で話しているのを見ています。あれは作戦会議に違いない!」
「この通りです。まぁ、作戦会議ではないにしても、貴方たち二人は化学室の近くにいたのを目撃されている。それにね、放課後に本間先生と会った生徒は君たちだけなんです。つまり鍵を盗めるのは、君たち二人だけなんですよ」
突き放すように言い切った教頭は、啓の方へ一歩進んだ。
黑居に聞かれないような、小さな耳打ちだった。
「残念だ。推薦人の來良少佐の顔に、泥を塗るなんてね」
その言葉に、啓は地面に吸い込まれるような、虚無感に襲われる。
反論もできず、背中側に隠した両手を力強く握り込んだ。
「……とにかくオレらはどうすればええんです! ずっとこんなところに置いとく訳にはいかんでしょう。警察にでも引き渡すんですか!」
警察。その言葉に、啓は大きく肩を跳ねさせた。
脳裏に、以前來良が話していた言葉が浮かぶ。
「指紋が一致すればすぐ拷問――それを止める方法は、ない」
警察。
指紋の一致。
拷問。
これらのキーワードが、啓の頭の中をぐるぐると回る。
先日、化学の授業で薬品を扱ったばかりだ――黑居はサボっていたが。
つまりガラス瓶が燃えずに残っていれば、啓の指紋はべったりと付いている。
たったそれだけでも、きっと警察は啓を容疑者として拷問するだろう。
それだけではない。
啓が一番気にしていたのは、そうなった時――
來良の立場が揺らいでしまう。
目の前の教頭が言った通り、本当に來良の顔に泥を塗ることになる。
二十代で少佐になれるような出世街道にいた「元の人格」もかなり優秀だが、その立場に「令和の人間」が入れ替わって、そつなくこなせるとは考えにくい。
來良も來良なりに努力をして、帰路を見つけるために地位を揺るがないものにしてきたはずだ。
それが分かっている啓にとっては、その努力に自分が傷をつけてしまうことがとんでもなく恐ろしかった。
――それは、死んだら帰れない、ということよりも。
大きな恐怖が、啓の思考を支配する。
ゆっくりと手の先から震えが始まり、足も震え、しまいには歯がガチガチと鳴るほど全身が震え始めた。
するとそれを和らげるように、黑居の手が啓の拳をゆっくりと包んだ。
「とにかくオレらはしてへん。だから警察なんか呼ばんでくださいよ」
その言葉に、教頭は小さく口の端を上げた。
「この学校は、
「じゃあどうしろ言うんです! ここで飢え死にさせる気ぃですか!」
「黑居君。あなたの入っている部活は何ですか?」
「……探偵
「えぇ。期限は今日の下校時刻の鐘が鳴るまで。調査範囲はこの校舎の中のみで、運動場や寮などは除外します。――真の犯人がいると言うのなら、証拠を提出してください。探偵
その言葉に、本間は眉間のしわを深くする。
黑居は啓の手を強く握った。
「やってやりますよ! ここで犯人見つけられへんかったら探偵
「教頭先生。俺にも証拠探しを手伝わせてください。お願いします」
啓は深々と頭を下げた。
「……いいでしょう。ですが谷縣君。証拠を見つけられなければ、貴方を警察に引き渡します。もちろん
「だからそれは言いがかり――」
「はい。それで構いません」
「ちょ、ケー坊!」
焦る黑居をよそに、啓は顔を上げて教頭の目をしっかりと見つめ返した。
そこには確かな覚悟があった。
「それでは、また後で。行きましょうか、本間先生」
「……はい」
何か言いたげな目をしながら、本間は教頭の後ろについて教室を出ていった。
再び重たい静寂が教室を包んだ。
それを破ったのは、黑居の地を這うような低い声だった。
「絶対にポマーの仕業や。それ以外に考えられへん」
そう言いながら床に腰を下ろす。啓も倣って床に座り込んだ。
「あいつ、一年の頃からずぅっとオレんこと目の敵にしてたんや。この学校に
「……教師失格だよ、そんなの」
「ケー坊もそう思うよなぁ! とりあえずオレらの無実を証明できれば、あいつの鼻を明かせるんや。……ケー坊の未来も掛けてしまったけどな」
黑居の言葉はどんどんとしぼんでいく。
啓はゆっくりと首を横に振った。
「俺は……大丈夫だから」
「いやいや、そこで言葉詰まらせたらあかんやん、本心筒抜けやで! でも、せやな。オレがケー坊の立場だったら、絶対怖いし、もしかしたら逃げるかもしれへん」
すると黑居は、啓に向けて親指を立てた。
その顔には、満面の笑みが浮かんでいた。
「だから向き合えるだけでも、めっちゃ強いと思うで!」
啓はその言葉に、一気に胸が温かくなった。ゆっくりと立ち上がる。
もう手も足も、震えてはいない。
「……シロさん。絶対に真犯人を見つけよう。その報酬として、正式に
「おん、約束な! ほんなら行くで、目に物見したろや!」
二人は腕まくりをしながら、教室を出るのだった。
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