第9話:孤兒【参】

 手を震わせながら、けいは倒れたランタンを起こす。

 そのまま友太ゆうたの方へと這い寄った。


「なっ……な、なんで、性別が、分かった?」

「こっちは本職の役者だよ? 見抜けないわけないじゃん」

「――少なくとも、來良きらさんにはバレてない」

「ま、脳筋バカには分かんないかな。でも分かる人には分かるんじゃない?」


 啓は一度咳払いをして、友太の方を見た。


「……そう。次は動機、動機を聞かせてよ」

「あっはは! そんなあからさまな動揺しちゃ、スパイ活動とかできないよ」


 誰かと同じようなセリフ。

 友太は、笑いながらごろりと床に寝そべった。


「動機、ねぇ――この世界で一番になれないから、かな。僕の美貌も演技も、こんなところじゃ見つけてもらえない。だからさっさと捕まるか爆弾で死ねば、帰れると思ったんだ」


 ――帰れると思った。


 啓の胸の中に、友太の言葉が何度もリフレインする。


 帰りたいと思う気持ちは、啓と同じなのだろう。

 しかし啓は死を恐れ、友太は死を望んでいる。

 思いつかなかった考え方に、啓は「なるほど」と呟いた。


「……でもねぇ、さっき気付いた。この時代の拷問ってとってもつらいんでしょ。だから苦しんで殺される前に――」


 友太の細い腕が、啓の腰にあるホルスターに伸びる。


「その銃で僕を殺してよ」


 啓は思わず、腕を払いのけた。


「冗談じゃない。そんなことできないよ」

「できないんじゃなくて、やりたくないんでしょ?」


 友太はにやにやとした笑みを浮かべ、ホルスターのふたを開けた。


「ねぇねぇ、僕の『一生の』お願いだから」

「お前の『一生』は軽すぎて、話にならんな」


 二人の会話を遮るように、遠くから声が響いた。


 闇の中から、來良が現れる。


 來良に抱えられた爆弾だっただろうもの・・・・・・・・は、見事なまでに粉々になっていた。


 道具もない中、無理やり壊したのだろう。

 來良の両手は傷だらけで、血|塗『まみ』れ。

 しばらく銃は握れないのではないかと思うほどだった。


 友太がため息交じりに「やっぱり、脳筋」と呟いたのを、啓の耳だけが拾った。


「じゃあさ、教えてよ。死んだらどうなるの?」


 啓が怖くて聞けなかった質問。

 いとも簡単に、目の前の子供が投げかけた。


 啓は耳を塞ぎたくなる。

 だが、ここで聞きそびれてはいけない――そんな気がして、静かに來良を見つめた。


「帰れずに死ぬ。それだけだ」


 いつもより低い音で紡がれたその言葉。

 今まで聞いたどんな言葉よりも、啓の心にずしりと響いた。


 しかし友太は気にしていない様子で、口を開いた。


「……あっそ。じゃあ帰れないとして、元の世界の僕はどうなるの」

「正確には今、お前のその肉体にあった人格と、お前の人格が交換されてる状態だ。だからその肉体とお前の人格が死ねば、向こうにいる奴が帰れなくなるだけさ」

「ふーん、そっか。よく分かんないけど、それ証明されてんの?」


 身に覚えのある質問。

 來良も同じことを思ったのか、啓の方をちらりと見た後、頭を掻いた。

 

「どいつもこいつも証明を求めやがって。証明されてるさ、俺にはちんぷんかんぷんだけどな」


 そう言って來良は小さくため息をついた。


「まぁ少し時間はかかるだろうけどな、俺たちはこの世界をもっと良いもんにして、元の世界に帰るつもりだ。どうだ、乗らないか」

「断るよ。こんな世界で生きるのはさっさと終わりにしたいんだ。それに、地獄でまた一番を目指すのも悪くないからね」

「そうか」


 軽く返答した來良は、ゆっくりと啓の方へ歩き、耳打ちした。


「殺してやれ」

「え?」

「殺してやれ、って言ったんだ。そうでもしなきゃ、いずれ警察がやってきて、あいつはもっとひどい目に遭う」


 來良は血に濡れた手で、予告状を取り出した。


「あいつはすでに、警察やら軍警やらの目に付くところに手紙を送っちまってる。指紋が一致すればすぐ拷問――それを止める方法は、ない」


 それを聞いた啓は、渋々銃を取り出しながら、ぽつりと零した。


「……來良さんは、あの子の命を背負ってくれないんですね」

「すまない。解除中にしくじってな。こんな手じゃ、手元がブレて余計苦しませちまう。だから、頼む」


 肘で背中を押される。

 啓はふらつくように、友太の前へ躍り出た。


 両腕のベルトを解いてやると、友太は反抗もせずに笑った。


「刑事ドラマでやってた。消音器サイレンサーってやつになるんでしょ」


 そう言って、ぬいぐるみを胸に抱きかかえた。

 啓は柔らかなぬいぐるみへ、恐る恐る銃口を突き立てる。


「合理的なお兄さん・・・・。もう覚悟してくれた?」

「いいや、まだ……かな」

「ねぇ。貴方も元の世界に帰るの?」

「……帰るつもり。帰らないといけない理由があるから」

「そっか。じゃあ帰れたら、僕と入れ替わった子に謝っておいてくれないかな。大人の色んな闇を見て、しかも帰れなくて、つらい思いしてるだろうからさ」


 友太は遠い目をしている。

 きっと彼は、啓が計り知れないような苦労を背負ってきたのだろう。


 大人びた話し方も、大人と対等に話そうとする姿勢も。

 芸能と言う特殊な世界にいたから、身に付いたものなのかもしれない。


 やりきれない、と啓は唇を噛む。


「同情するくらいなら、捕まる前に殺してよ」


 心を見透かしたような言葉。

 いつの間にか、友太の瞳はまっすぐに啓を射抜いていた。


「……分かった」


 友太は満足げに頷いた後、声のトーンを一段下げた。


「そういやさ。会話、脳筋バカに聞かれてなくてよかったね。墓まで持って行ってあげるからさ……俺、ううん、僕、知育玩具が好きだったんだ。帰ったらお供えしてよ」

「分かった。いくらでも供えるよ」


 その言葉でやっと、無邪気な笑顔を見せた友太。

 啓は強く唇を噛みしめながら、目をそらす。

 口の中に、鉄の味が広がった。


 啓は、弱々しく銃口を押し当てた。

 柔らかいぬいぐるみの腹が、わずかにへこんだ。


 そんな啓の右手を、暖かな友太の両手が包む。


 わずかな力で、引き寄せられる。

 ゆっくりと、ぬいぐるみの腹に銃身が沈み込んでいく。


 ついに、カチリとセーフティーが解除される音が鳴った。


 啓は震える人差し指を、ゆっくりとトリガーに掛ける。


 わずかに歪む視界で友太の顔を見た。

 その顔には、満足そうな笑みが浮かんでいた。

 ――まるで啓に「これが正解だ」と言うような。  


 ――そして。

 静寂に小さい破裂音が鳴り響いた。

 温かさを持った血が、啓の頬に飛び散った。

 力の抜けた手が、重力に従ってだらりと垂れた。


 啓はどこか遠い出来事のように、ぼんやりとそれを見つめていた。


 どれくらい経っただろう。

 焦げ臭い香りが、啓の意識を引き上げた。

 窓の外を見ると、壊れた爆弾が焼却炉に投げ入れられていた。


 手が空いた來良が戻ってきて、自分の手に包帯を巻く。

 そしてベルトとぬいぐるみを使って、友太の胸から流れる血をせき止めた。


 まるで遊び疲れて寝てしまったかのような、笑顔を浮かべた友太の亡骸。

 感傷に浸る間もなく、來良は静かにジャケットを被せ、それ・・を背負った。


 帰り際。

 來良は院長に挨拶をしに行った。

 ただ一言「寝ているこいつを引き取る」と告げ、一方的に書類を渡した。


 混乱した院長が「預けるのではなくて、引き取るのですか」と尋ねる。

 來良はそれに答えることもなく、半ば強引に孤児院を出た。


 啓は何も言わず、それに付き従った。


 ◇   ◇   ◇


 二人はろくに会話も交わさないまま、暗い森の中を歩いていく。

 枯葉を踏む音だけが夜の静寂に響いた。


「ここにしよう」


 そう言って、來良が立ち止まる。少年の亡骸を抱え直し、地面に横たわらせた。


「埋めるんですか」

「あぁ。火葬場には運べないからな」


 深い闇の中、二人は手や足で何とか穴を掘った。

 小さな体を土の中に横たわらせ、優しく土や枯葉を掛ける。


 ふとしゃがみこんだ來良は、丁寧な所作で帽子を取る。

 そして包帯の巻かれた両手を合わせた。


 啓は少し驚きながらも、それに倣う。

 しゃがんで帽子を胸に抱えると、両手を合わせた。


(――そういえば、爆弾の作り方教えてもらってないよ。もし俺がそっちに行ったら、お供え代として教えてもらうから。……しばらく行くつもりはないけどね)


 心の中で唱えていると、横で來良が立ちあがる気配がした。

 目を開けて見上げると、來良は深々と頭を下げていた。


「啓、すまなかった。初任務で手を汚させるつもりはなかったんだ」

「顔を上げてください。俺は、大丈夫です」


 啓は立ち上がって、來良に向き直った。

 自嘲するように、啓は唇の端を上げる。


「來良さんは、きちんと前もって言ってくれましたから――手を汚さなきゃ帰れない、って。それでも良いって手を取ったのは、俺ですから。でも……こんなにも、つらいんですね」

「揺らいだだろ」

「少し。あの子が言った通り、死んで逃げた方が、よっぽど楽です」


 來良が「そうだよな」と静かに零す。

 それは、いつもより暗い声だった。


 啓は、ゆっくりと帽子を被りなおした。

 そして意を決して、來良をまっすぐに見据える。


「でも……この世界から帰れたら、俺には一番の席と、自由が待っています。十八年の努力の結晶、それは天国にも地獄にも、来世にだってあるものじゃない。だから帰れるまで、何が何でも耐えてみせます。どんなことがあっても、誰かが死んでも、全部忘れないで、背負って――生き抜いてみせます」


 來良は目を見開いた。

 一度ゆっくりと目を伏せると、柔らかな笑みを浮かべた。


「いい意味で狂ってるよ、お前」


 來良は包帯が巻かれた手を伸ばす。その手は、啓の頭を一度だけ撫でた。

 まるで「ありがとう」と言うように。


 啓の胸に、温かいものがこみあげてきた。


 ――兄からのこれ・・はあんなに嫌だったというのに。


 啓は首を傾げながら、空を見上げた。

 そこには、少年が迎えられなかった朝を告げる陽が、差し始めていた。

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