第7話:孤兒【壱】

 二人が向かったのは、けいが逃げようとした東の森の中。


 木々が鬱蒼と生い茂っている。

 官廳館かんちょうかんの周りよりも一段と深い闇が広がっていた。


 帽子を目深にかぶり、スーツを着込んだ啓と來良きら

 森の中に浮かび上がる、白い建物の前に立っていた。


 外壁の上部に嵌め込まれた丸い窓。赤く塗られた屋根。

 日本家屋とかけ離れたそれは、この建物が何らかの施設だと示していた。


 さらに赤い屋根の頂上には、十字架をかたどったオブジェが乗っている。

 月明かりを浴びて宵闇から浮き上がり、ある種の畏怖を感じさせた。


「教会付きの孤児院ですか」


 來良は頷くと、自分の口の前に人差し指を立てた。


「――啓、今から俺が言うまで口を開くな。悪いが、できるか?」


 啓は口を開こうとし、慌てて手で押さえる。そして小さく頷いた。

 それを見た來良は、口の端を上げる。


 二人の足音が、森の静寂に響き渡った。


 ◇   ◇   ◇


 院長に挨拶をした後。

 二人が向かったのは敷地の奥にある孤児院だった。


 闇と静寂に包まれた廊下。

 先導する來良が持ったランタンの明かりが、二人の影を長くのばしていた。


「もう、口を利いて大丈夫だ。助かったよ」

「……まさか、預けられる息子役になるとは思いませんでした」

「本当はただの視察員として行くつもりだったんだがなぁ。暗いとはいえ、まさか俺の子供と思われるとは――」


 來良が立ち止まって、啓の方を振り返る。

 朽葉色の瞳が、啓の姿を下から上までなぞるようにゆっくりと動いた。


「――なんか、馬鹿にされてる気がするんですけど?」

「ハハ、気のせいだろ」


 啓は不服の意を表すため、じっとりと來良を見つめた。

 しかし來良は意に介さない様子で笑う。

 そして懐からくだんの予告状を取り出した。


「予告に使われていた新聞は、かなり特殊なもの――宗教に関する新聞だ。あれは商店なんかじゃ取り扱ってねぇ。つまり爆弾魔は孤児院この中にいる可能性が高い」

「……さっき挨拶した、院長先生ではないんですか?」


 そう言いながら、啓の脳裏には、白い布を被った老婦人が浮かんだ。


 わずかな時間だったが、優しい風貌や敬虔けいけんな態度が印象に深く残った。

 無意識に、啓は「そうは見えませんでしたけど」と付け加えた。


「俺も院長かと思って、銃を抜けるようにしてたさ。でもすんなり孤児院へ入る許可を出した。よほどの自信家でなければ、そんな不利になることはしないだろ? だから線は薄いと踏んでるよ」


 そう言いながら、來良はゆっくりと柱の方へと体を寄せた。


「――とにかくこの先、もしもに備えて武器は持っていたほうがいい。弾、詰めてやるからこっちに貸してくれ」


 來良に従って、啓も柱の陰になる場所へ身を寄せる。

 銃を手渡し、代わりに來良の持つランタンを受け取った。


 來良は銃の持ち手部分から、細長い銀色のケースを引き出した。

 口にくわえると、空いた手で胸ポケットからタバコの箱を取り出した。


 こんな時に、吸うのか。


 啓が目を丸くしていると、傾けられたタバコの箱の中から、金属製の丸いものが転がり出てきた。

 ――弾丸だ。


 來良は弾を一つだけ手のひらに転がすと、もう片方の手でタバコの箱をしまう。

 くわえていたケースを手に取り、その中に弾を入れた。


 ケースを手首の内側で叩き、銃の中に戻す。


 ――慣れた手つきだった。


 正しく装填されたのが確認できたのだろう、來良は銃を差し出した。


 啓は恐る恐る銃を受け取る。


「この銃、カラだったんですね。だから俺に向けたんですか」

「こいつはちっと特殊な形状でな。握ったらセーフティーが解除されちまう。さすがにそれを向けるほど、心がないわけじゃないさ」


 そう言いながら、來良が何かに気づいたように肩を上げた。


「……そういやあの時は怯まなかったな。どうして俺が撃たないって分かった。そんなにお優しく・・・・見えたか?」

「――いえ」


 啓は、來良をまっすぐに見据えた。


「俺を撃ったら、せっかくのタバココレクションが血まみれになると思ったからです」


 來良は口の端を上げると、啓の頭に手を乗せた。


「安心した。啓、お前はどんな戦いでも生き残れるよ」

「それは、どういう……」

「お前の武器は、脚力でも腕力でもない。思考力だ。土壇場で頭が回せる、それはどんな武器よりも武器になるぜ」


 啓はホルスターをちらりと見た。


「どんな武器よりも、ですか――でも、武器みたいにいつでもちゃんと動くわけじゃないです。頭が真っ白になったりもします」

「それはお前に勝ち目がないと一瞬で判断した時・・・・・・・・・・・・・・・なんだろうさ」


 月明かりで淡く光る朽葉色の瞳が、まっすぐ啓を捉えた。


「いいか、啓。お前の必勝法は一つ。頭を回せ・・・・。相手がどんな武器を持って、どんな動きをして――どこに隙があるのか。それを正確に考えて、的確に攻めろ。頭が真っ白になったら、とにかく動け。這ってでも逃げろ。あとは俺がどうにかする」

「……俺のこと、買い被りすぎですよ」

「いいや、できるさ」


 來良は不敵な笑みを浮かべた。


「この歳で少佐まで成り上がった俺のお墨付きだぜ? この時代じゃ箔が付きまくりってもんだ」

「――來良さんのその自信、羨ましいです」

「自信は持ってれば持ってるほど、社会に出てから役立つもんさ」


 音量を抑えた軽口を叩きながら、二人は歩を進める。


 廊下の角を曲がった時。

 突然、人影が現れた。


 ホラー映画ばりの登場に、啓は小さな悲鳴を上げた。

 來良はそれを見て小さく吹き出す。


 啓が目を凝らすと、人影は十歳くらいの少年だった。

 クマのぬいぐるみを両手に抱えている。


「……うるさくてすまねぇな、坊や。起こしたか?」


 少年は静かに首を振る。

 ぬいぐるみの後ろから、何かを取り出した。


 取り出されたのは――ナイフ。

 月明かりで、冷たくきらめいている。


「僕は、貴方たちを殺しに来ました」

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