第2章 孤児院編

第5話:覺悟【壱】

「……きろ、起きろ」


 聞きなじみのない低音で、けいの意識は引き上げられた。

 ゆっくりと目を開くと、白いワイシャツと前髪のメッシュが、陽の光でキラキラと輝いていた。


「起きたか、寝坊助ねぼすけ

「っ! あ、はい……おはようございます」

「おう、おはようさん」


 啓は勢いよく上体を起こす。


 何かが啓の上からずれ落ち、慌ててキャッチした。

 それは、旅館の浴衣のような薄灰色の着流し。

 布団がわりに被せられていたようだ。


 ――どうやら昨日、泣き疲れて寝ていたらしい。


 啓は昨日の会話を思い返す。

 この目の前の軍人は、啓を少年・・だと認識している。

 それでも、よく知らない男性の部屋で眠ってしまったのは事実。

 啓の心臓はドクドクと音を立てていた。


「ラッパで起きない人間は久々に見たな。寝起きじゃ頭に入らんかもしらんが、これ読んどけ」


 そう言って啓に渡されたのは、何の変哲もない手紙だった。

 軍人が一度封を切ったのだろう、封筒のシーリングスタンプが割れている。


 言われるがままに中身を取り出す。

 三つ折りになった便せんを開くと、新聞の切り抜きをコラージュした、いかにもな犯行予告だった。


「『……満月が最も高く昇る夜、孤児院を爆破する』……?」

「ちなみに今日は満月だ。お前の初任務はそれになりそうだな」


 初任務。

 その言葉で、啓は顔を上げて軍人を見た。

 軍人は壁に掛けられていた軍服を羽織っていた。


 ――服を脱ごうとしているのかと見間違い、慌てて目をそらしたのは啓だけの秘密だ。


「小さな特異点イレギュラーはもうほとんど潰し終わったんでな。残る特異点イレギュラーはデカいのばっかりさ。……もしかして怖気おじけづいたか?」

「いえ。帰って兄を見返せるなら、何でもやりますよ」

「おう、そりゃよかった」


 軍服のボタンをすべて留め終わった軍人が、啓の方を向いた。


「そういやすっかり聞き忘れてたが、お前の名前はなんだ?」

「――谷縣たにがたけいです」


 軍帽を被った軍人は、小さく復唱した。


「……じゃあ、けい。御覧の通り俺は今から仕事だが、夕飯の時にはお前の分も持って戻ってくる。机の上に握り飯を置いてるから、昼飯はそれを食べてくれ。暇だろうが、本でも読んで時間を潰してくれるか」

「ありがとうございます、分かりました。えーっと、キラ、さん?」


 啓が口ごもると、軍人は吹き出して笑った。


「そういや渡してなかったな」


 軍人はスラックスのバックポケットから四角いケースを取り出す。

 中から小さな紙が引き抜かれ、啓に差し出される。

 啓は恐る恐る受け取った。


 装飾のないシンプルな白地の紙。

 黒いインクで『帝國陸軍少佐 來良純之介』と書かれていた。


來良きら純之介じゅんのすけだ。元の世界じゃ大吉の『吉』に良し悪しの『良』で吉良きらだったんだが、こっちじゃ難しい字を書く。遠い祖先にでも転移したのかもしれんと思ってるよ。名前は元の世界を忘れんように、同じ名前に改名したんだ。ま、來良でも何でも好きに呼んでくれ」

「えっと……來良きらさん。――行ってらっしゃい」

「ああ、行ってくる」


 啓の方を振り向かずに手を挙げた來良。

 途中ですれ違った部下に挨拶をされながら、廊下の奥へと消えていった。


 姿が見えなくなるまで見届けると、啓は扉を閉めて部屋を見渡した。


 一人になった部屋で、ほっと息をつく。


「それにしても、やっぱりすごい量……」


 小さい図書館ばりの本が啓を取り囲んでいた。

 タバコのヤニで背表紙が黄ばんでいるものも多いが、それ以外の状態は良さそうだ。


 ふと、机の上に置かれていた懐中時計が目に入る。

 今の時刻は、朝の六時過ぎ。


 ――あの予告状の通りなら、任務は早くても夜からだろう。

 あと十数時間でどれだけ学べるか分からないが、やれるだけやってみよう。


 意を決した啓は、ひとまず目の前にあった本を数冊引き抜いた。




 本から分かったことがいくつかある。


 まず、この建物は「官廳館かんちょうかん」と呼ばれていること。


 このくに、この時代では最も高い十二階建ての建物。


 啓は必死に階段を降りたが、どうやらエレベーターもあるらしい。

 だから人に出会わなかったのか、と納得した。


 役割としては、行政機関や軍の機関などがくっついたもの。

 この部屋のように、寝泊まりする場所も複数あるらしい。

 基本は政府の役人と軍人が暮らしているようだ。


 ちなみに闇オークションが開かれていた場所は、最上階のホールだったらしい。

 やはり、貸切るのにはかなりの額がかかるようだ。


 さらに、取り締まる側の人が住む場所で、違法なことをしていたということ。


「やっぱり悪趣味……」


 來良の言葉をなぞるようにつぶやいた。




 それから、お金の価値が全く異なること。


 この時代の一万円は、令和で言うと五百~一万倍の価値があるらしい。

 啓の買値は十万円。

 つまり、最低でも五千万円で取引されていたことになる。


 思ったよりも高い値段に、へぇ、と声が漏れた。


 「……いや、でも、俺より高い絵画ってなんだ……」


 そう呟きながら、啓は次の本を手に取った。




 ――本を読んで、総じて分かったこと。

 このくにでの身分制度は、非常に厳格だ。


 それぞれの身分によって、入れる地域や店も決まっているらしい。

 職業も学校も身分で決められているようだ。


 最上位階級のこうと、二番目の階級のおつの違いは書かれている本があった。

 しかしひのえについての記載はほとんどなく、詳しくはうかがい知れなかった。




 また、どうやらこの部屋には、本がジャンルを問わず置かれているようだ。


 流行中の服や料理のレシピ、最新の小説や研究論文まで、様々な情報を得られた。

 握り飯を食べつつ夢中で読みふけっていると、いつの間にか空がオレンジ色に染まっていた。


「もうそんな時間か……じゃああと二、三冊だけ……」


 本を読まないと、ごちゃごちゃと悩んでしまいそうだ。

 そう思い、啓はゆっくり立ち上がった。


 読み終わった本を複数抱え、もとの場所に戻していく。

 しかし最後の一冊が上手く入らない。

 戻した本を再度引き抜き、奥の方を覗く。

 そこには小ぶりな本が倒れているのが見えた。


 啓はそれに手を伸ばす。

 引き抜いてパラパラとめくると、それは手書きの――


「日記、だ」

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