第4話:目覺【肆】

 軍人に向けられた銃口。

 けいは、思わず敬語も忘れて叫んだ。


「伏せろ!」


 軍人はその声に引っ張られるように上体を落とす。

 それと同時に発砲音が鳴り、間髪入れず壁に弾がめり込んだ。

 硝煙の匂いがあたりに立ち込める。


 屈んだ態勢のまま、軍人は容赦なくオーナーの髪の毛を掴んで顔を上げさせる。さらけ出された顎を、膝で勢いよく蹴り上げた。

 その軌道は鼻も掠めたようで、血がびしゃりと飛び散った。


 暴力的な惨状から目をそらすように、啓は先ほど発砲した男に目を向けた。

 そこにはすでに、駆け付けた別の軍人たちに確保される男の姿があった。


 しばらくして、その軍人たちが堂々とした足取りでやってきた。


「ご苦労様です。來良きら少佐殿!」

夜分やぶんご苦労。こいつが主犯だ、連れて行け」

「はっ!」


 顔を腫らし、鼻血を垂らし、目を回したオーナーが引きずられていく。

 先ほどまでの口調とは正反対の罵詈雑言を喚き散らしていたが、次第に遠ざかっていく。


 その様子を見届け、啓たちは部屋へと戻った。

 來良きらと呼ばれた軍人は、大きく伸びをした後、ベッドに腰を下ろした。言われるがまま、啓もその横に腰を下ろす。


「お前のおかげで助かった。見えにくい場所なのもあったが、俺は生まれつき左目が悪くてな。あれは見えてなかったよ」

「……それは良かったです」


 なんとか平然を装った啓だったが、わずかに声が震えてしまう。


「もう大丈夫だ」


 優しく、啓の頭に手が置かれた。

 そこにスイッチがあったかのように、抑えていた感情が心に流れ出す。

 目からは大粒の涙がボロボロと溢れ出した。


「俺の、せいでっ……人が死ぬかと……思いっ、ました……」

「お前は優しいな。まぁとりあえず、おっかねぇんだよこの時代は」


 ぽんぽんと啓の頭を叩きながら、軍人は小さくため息をついた。


「……俺、どうして、こんなところに……」

「ああ、そういえば聞いてなかったな。お前はどうやってここに来たんだ?」


 啓はしどろもどろに、通り魔に襲われたことや兄について話した。

 一瞬、目の前の軍人が兄と重なって、なんとなく自分の性別は伏せてしまったが。


「それで、やっと自由になれると思ったのに、こんな……最下位の階級だって、絶対に……嫌でっ……! 元の世界でも……ずっと頑張ってきたのに……」


 その後もまとまらない思考を吐き出す啓。軍人は静かに頷いていた。


 軍人は再び紙タバコを取り出す。

 慣れた手つきで火がつけられた。軍人がふぅ、と白い息を吐くと、濃い煙の香りが部屋に広がっていく。


「なあ少年・・――あの悪趣味野郎がいい例だ。自分の力を過信し、短刀だけぶら下げてやってくる。一応ボディーガードは付けていたが、あんだけ距離が離れてちゃ何の役にも立たねぇ。人と戦って見返そうと思うのはいいけどなぁ、相手をきちんと見て、向き合え。相手の強さや優秀さを正しく認めるのも大事だ」

「……また、忠告ですか?」

「ハハハ、まぁ、まだ理解できなくてもいいさ。……それでお前は、願いを叶えたいか? 元の世界に帰って、兄を見返して自由になりたいか?」


 啓はしっかりと頷く。

 濡れた瞳の奥に、決意がきらりと光った。


「俺は、何をすればいいんですか……?」

「――ま、いいか。少し長くなるが話そう」


 軍人はベッド脇に置かれていた灰皿を引き寄せ、そこに火をつけたばかりのタバコを押し付けた。


「まずは、この世界について。ここの建物の内装から察しただろうが、は大正時代。正確には一九二〇年だ」

「やっぱり、ここは令和じゃないんですね……あれ? 俺の記憶では、大正時代に身分制度なんて……」

「お前の習った教科書に、こうおつひのえなんていう身分は載ってたか?」


 歴史が苦手だった啓は、たじろぎながらも記憶を辿った。


「ない……はずです」

「正解だ。俺たちは今、教科書とは違うIFの大正時代・・・・・・・にいんだよ」


 信じられない、飲み込めないと啓は目を丸くした。

 驚きすぎだ、と軍人は笑って煙を吐く。


「とりあえず、時代については以上だ。次は帰る方法だな。少し言ったが、あの闇オークションのような特異点イレギュラー、いわゆる史実とは違うものすべてを潰すんだ。事件、技術、時には文化だって潰す。そんですべてを潰せば、この世界と元の世界の世界線が繋がって、帰路が開くんだと」

「えぇっと……その……ファンタジーみたいな話ですね」

「俺も聞いたときは信じられなかったんだがな、物理法則やら相対性理論やら、諸々を使えば証明できるそうだ」


 あまりの信ぴょう性のない言葉。

 啓は疑うように、じろりと軍人の方を見た。

 観念したように、來良は両手を上げる。


「怪しむなよ。一応俺も元の世界で大学院まで行った身分だが、理系じゃねぇんでな。物理なんかさっぱりで、もう全く覚えてねぇ」

「……あなたが帰り方を見つけたんじゃないですね」

「見つけたのは俺よりもよっぽど優秀な奴さ。そいつから説明は受けたが、俺には子守唄にしか聞こえなかったな」


 頭を掻いた後、軍人は急に真剣な表情を浮かべた。


「――特異点イレギュラーを潰す時は、それなりの強硬手段を取る。倫理に反して、それこそ人の命を奪うことだってある。俺たち自身もさっきみたいな目に遭うことも多い。――お前も手を汚さなきゃ帰れないだろうさ」

「脅しですか」

「いや、事実さ」


 そう言って、軍人は自らの腰に巻いていたホルスターを叩いた。


「……まぁその代わりと言っちゃなんだが、お前はもっと強くなれる。もっと強くなって、帰った時に兄をとことん見返せるだろうさ」


 軍人はゆっくりと手を差し出す。


「――どうだ、俺と共犯になるか?」


 啓は濡れた目元を拭い、軍人の瞳をしっかりと見つめた。


特異点イレギュラーを潰せば帰れるんですよね」

「ああ」

「他に方法はないんですよね」

「ああ、ない」

「――俺は帰って、兄を見返せるんですよね」

「ああ。とことんやってやれ」


 啓は大きく頷いて、差し出された手を握った。


「分かりました。――なります、あなたの共犯に」

「その言葉、忘れんなよ」


 來良は啓の手を強く握り返し、微笑んだ。

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