第3話:目覺【参】

 ――出会いから、しばらくして。


 けいは「走るのが遅い」と、軍人の小脇に抱えられていた。


 時間稼ぎとして、啓がいた建物の中をぐるぐると移動する。

 その最中、軍人は明るい声音で話し始めた。


「銃声に反応して、すぐに軍警が来るはずだ。最近この近くで、軍人が襲われて銃が盗まれる強盗事件があったんだよ。プライドが傷ついたのかひりついてた・・・・・・し、いつもより到着は早いだろ」


 そうこうしている間に、軍人の私室だという部屋の前に辿り着く。

 「小休止だ」と、啓は地面に下ろされた。


 軍人が木目の扉を開けると、重いタバコの匂いが勢いよく広がった。

 全身にまとわりつくような濃さに、啓は思わず顔をしかめる。


 そんな部屋には、大きなベッドや机、全身鏡が置かれている。

 それらを囲むように、すべての壁に沿って、背の高い本棚が埋め尽くしていた。


「どうした。タバコは苦手か?」

「いえ、そうじゃなくて……本の量、ものすごいですね……」

「いいだろ。下手な図書館より多いぜ」


 啓はざっとその背表紙を眺めていた。

 すると一部は本ではなく、何かの箱のようなものがずらりと詰まっているようだ。


「それは、とっておきのタバココレクションだ。まさか未成年に見せるたぁ思わなかったがな」


 朗らかに笑いながら、軍人は啓に手招きをする。

 啓は誘われるがまま、ベッド近くにある窓から地上を見下ろした。


 先ほどの裏口にはすでに警官たちが集まっていた。「商品」を探しに来たオークションの関係者たちが、次々とお縄についている。


「この時代の拷問は、令和じゃ考えられんほど厳しい。死にたくなるほどつらいって噂だ。だからオークションについて吐くのも時間の問題だろうな」


 任務完了だ。

 軍人がそう呟いたとき、遠くの方から足音が聞こえてきた。


 啓が身を固くしていると、軍人は招き入れるように私室の扉を大きく開け放った。

 啓は扉の陰にそっと隠れて、軍人を見送る。


 廊下の奥からやってきたのは、闇オークションのオーナーだった。


「お出迎えいただき光栄です。貴方が通報者ですね」

「なんだその恰好、悪趣味だな」


 軍人は怯えるどころか、オーナーを鼻で笑い飛ばした。


 オークション会場にいた時はハッキリと見えなかったが、オーナーは紫色の羽がついた帽子を被っている。

 顔にはうるし塗りのようなつややかな黒い仮面を着けていた。


 そしてコーディネートの大部分を占めるのは、何かの動物の皮からできていそうなマフラーとコート。

 コートの間からは黒っぽいシャツが覗き、ベルトのバックルは金色。

 ゴツゴツとしたバックルが留めているのは、赤と緑のストライプ柄のスラックス。

 その裾は、紫色のピンヒールのブーツに入れ込まれている。


 ――軍人の言う通り悪趣味だ。


「はぁ……この時代のブランドもん、身に着けまくって満足か?」

「いつの時代でも、価値のあるものは『身に着ける者の価値』も上げてくれますからねぇ」

「そうか。一つ一つは良いかもしんねぇが、とっ散らかってんぞ」

「そう思うのは、貴方の審美眼がないからですよ」


 ふむ、と少し考えた軍人は、嘲笑のように口の端を歪めた。


「……ディオール、フェンディ、イヴサンローラン――ハイカラなお前さんなら知ってるだろうよ」

「ええ、名品ばかりです」

「っはは、やっぱりそうか」


 軍人は口元を押さえて笑うと、再びオーナーの方を向き直った。


「今挙げたのはな、一九二〇年この時代にはまだないブランドさ」


 言い終わらぬうちに、一瞬で間合いが詰まる。

 直後、オーナーは部屋の入口から廊下の壁へと吹き飛んだ。軍人の重たい一撃が腹に叩き込まれたのだと、啓は遅れて理解した。


特異点イレギュラーを引き起こすのは『転移者に限る』って法則があるみたいだがな。悪趣味なお前も、それにならってんだなって思ってよ」

「……ぐ……」

「お前の存在も特異点イレギュラーになるかね? それなら潰してもなんら問題ねぇよなぁ」


 不敵な笑みを浮かべ、軍人はオーナーを見下ろした。


「しっかしお前も運が悪いな、お生憎あいにく様この体は軍人上がり、中身も黒帯なもんで、なっ!」


 声の出せないオーナーを無視し、軍人は勢いよく足を振り上げる。

 勢いを殺さずに、オーナーの右手を踏みつけた。


 ごきり、と骨が砕ける音が響く。


 オーナーは悲鳴と唸り声が混ざったような声を上げた。


 軍人は容赦なく、足を乗せて体重をかけ続ける。

 よく見ると、軍人は太いヒールのあるブーツを履いていた。ヒールの部分がぐりぐりと押し付けられるたびに、オーナーは呻き声を漏らす。


「痛いよなぁ。……その、指輪でごちゃごちゃした手。皮膚の厚さと豆からして、剣道の有段者か何かだろ。ま、腰のどっかに短刀でもぶら下げてんだろうが、抜けなきゃ意味ねえよなぁ」


 軍人は、ようやく足をどけて手錠を取り出した。


「お前のせいで、どれだけの人間が奴隷として売り飛ばされたと思ってる! そいつらの気持ちを考えながら、拷問されてこい」


 手錠を開けるため、軍人が一瞬目を離す。

 その瞬間、オーナーは左手を背中側に回しながら、ゆらりと立ちあがろうとした。


「お前も懲りねぇな」


 軍人は足払いを仕掛け、オーナーがふらついたところで背中に蹴りを入れる。

 続けて後頭部を蹴り、顔面から床へと叩きつけた。

 その衝撃で仮面は音を立てて割れ、抜きかけの短刀は遠くへと飛んでいく。


 あまりにも慣れた・・・戦い方に、啓はすっかりと見惚れてしまっていた。


 ◇   ◇   ◇


 軍人がオーナーに手錠をかけ終わった後。

 軍警の応援を待っていると、オーナーが突然体を震わせた。


「……ふ、ふふふふ、ハハハハハ!」


 オーナーはうつ伏せのまま、狂ったように笑い声を上げる。


「はぁ……ついに気ぃでも狂ったか」

「いいえ、いいえ! すべてはトップのため。そしてトップに認められ、私が一番になり、自由を勝ち取るための布石にございます――」


 ――啓は、オーナーがどこかに視線を送っているのに気付いた。


 その先に目を向けると、それは軍人からは死角になりそうな場所。


 きっと、オーナーの仲間だろう。

 スーツを着込んだ仮面の男が、小型の銃を構えるのが見えた。

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