第四部2

「ところで、オリガとはうまくいっているのか?」


 どきりとした。

 うまくいっている、と断言はできそうもなかった。


 イアンは明後日の方向に視線をやった。


「どうだろう。同棲はしているが、恋人ではないな。関係は……そう、至って健全な友人といったところか」


「ベッドを共にしたことは?」


「ない」


「キスは?」


「ない」


「はぁ……」


 ジャンの呆れた溜め息に、イアンは男としての情けなさを感じた。


 相談する相手はジャンしかいない。

 こういう相談ならなおさら彼に頼るしかない。


「私はどうすればいい? オリガをどうにかしたいとは思わないのだ。確かに、愛してはいるが……抱きたいとは思わない」


「何故? あんな美人を抱かないなんて損しているぜ?」


「ふむ……だが、私は……オリガを穢したくないのだ。オリガには純潔でいてほしい」


「もしオリガが抱かれることを望んでいても、か?」


 イアンは黙り込んだ。


 私は私が何をしたいのかわからない。

 なんのためにオリガと同棲している?

 そもそも愛とはなんだ?

 私は何で愛を表現している?

 表現しない愛というものは存在するのか?


 イアンはどこまでも愛を知らない人間であった。

 戦争という弊害は彼から愛をも奪っていた。


 人間がよりよく生きる上で最も欠かせないもの――それは愛だ。

 食欲、睡眠欲、性欲ではない。

 愛なくして幸せに生きることは叶わない。


 オリガが私に愛の証明を求めているのだとしたら。

 肉体的な愛を表現することを望んでいるのだとしたら。

 私はどう応えればいい?


 懊悩煩悶するイアンの肩に手が添えられた。


「オリガに貞淑を望むのも悪くないだろう。お前の気持ちもわからないでもない。確かに、オリガの美貌には触れ難い。美しすぎるのも大変だな。なんにせよ、幸せにも個性がある。お前は幸せか?」


「幸せだ。一度は拒絶されて絶望もしたが、貧乏でも今の生活には満足している」


「それならいいのではないか? まあ、オリガの気持ちを汲んでやることだ。愛がなければ生きる意味などない」


「いつからそんなロマンチストになった?」


「はははっ、デトロイトで死んでからさ。俺は戦うことを忘れた。暗殺は一方的な殺しだ。戦いではない。ぬるいプールに浮かんでいればロマンチストにもなるさ」


「私もロマンチストになるべきかな」


「一度くらいなってみるといい。ものは試しだ」


 雲一つない空に輝く月を見上げて、イアンはオリガの白い裸体を想像した。


 プールサイドで月光浴する白の女神。

 私はプールサイドの反対側でその素肌を眺めているが、何もしないでいる。

 何もできないでいる、ではなく、言葉通り何もしないでいる。

 何かするという選択肢があるにもかかわらず、私は何もしないでいる。

 泳いで反対側に渡れば柔肌に触れられるのに、私はそうしない。

 何故と問われたら、オリガを愛しているからとしか答えられない。


 もし柔肌に触れたらどうなるのだろう?

 エデンの園から追放される?

 それとも――


 肉体的な愛に興味が湧いてきた。


 イアンはオリガを改めて愛そうと決意した。

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