第三部2

 そんなある日、がらんどうとしたバーに来客があった。

 ジャンとエステルだ。


「よう、儲かっているか、マスター?」


「ジャン。儲けなんてないさ。いつの間にか不景気な時代になってしまった」


「全くだ。まあ、俺の稼業には不景気もくそもないがな。酒は残っているか?」


「たんまり残っている」


「今日はぱーっとやろうぜ。なあ、エステル?」


 エステルはジャンの脇腹を肘で小突いた。


「調子に乗って飲みすぎないのよ。あなたはお酒に弱いんだから」


「わかっている。イアンに殴られそうになったら君が庇ってくれよ」


「嫌よ。それならイアンに加勢するわ」


 ジャンとエステルのおかげで賑やかになったバー。

 オリガは微笑みを浮かべて未開封の酒が陳列された棚に手を伸ばした。


「イアン、シャンパンにしましょうか」


「ああ、そうしよう」


 ちなみに、酒はジャンに手配してもらった。

 禁酒法時代のシカゴで蓄えていた酒をシチリア島に輸送してもらったのだ。


 世界は着実に不景気になりつつあった。

 物価が高騰し、食料が手に入れにくくなった。

 シチリア島とて例外ではなかった。


 アメリカとロシアが輸出と輸入を抑制し合い、中国の生産力が大幅に低下した。

 この災禍は世界中に蔓延し、辛うじて釣り合っていた需要と供給の天秤を破壊した。


 オリガはシャンパンを開けて四つのグラスに注いだ。


「さて、乾杯しよう。何に乾杯するかね?」


「再会か?」


「ありきたりねぇ。せっかくだからこのバーの繁盛に乾杯しましょうよ」


「では、友人の再会とモンスター・バーの繁盛に」


 モンスター・バーと言ったのはオリガも含めた自虐だった。

 が、彼女はアルビノの怪物ではなく吸血鬼になぞらえたつもりだった。

 イアン自身はフランケンシュタインの怪物のつもりだった。

 ゴシック小説の登場人物になったと思えば、怪物呼ばわりもどうということはなかった。


「ところで、夕食の予定はあるのか?」


 ジャンの質問に、エステルは腹をさすった。


「お腹が空いたわ。四人で食べに行きましょうよ。この近くにいいレストランはない?」


「どうかな。最近、外食は控えているんだ。オリガの手料理の方が美味しいし、何より金を使わないでいいからな」


「あら、夫婦みたいね。オリガはいい奥さんになりそうだわ」


「み、ミス・ジェンクスも料理はしますでしょう?」


「あははっ、私は料理なんてしないわ。一度アパートを火事にしかけたことがあるから、ジャンにも止められているの。せっかく作ってあげてもまずいって言われるし」


「あれが料理だと言うなら世も末だ。ほとんど炭化しているんだぜ?」


「恋人が作った料理なんだからちゃんと食べなさいよ。まずかったのは認めるけれど」


 談笑しているうちに夕方になった。

 電気の代わりに灯していたキャンドルの火が揺らめき、四人の影をぼんやりと浮かび上がらせた。


 間もなく夜になる。

 夜になればフランケンシュタインの怪物と吸血鬼の時間だ。

 石畳に残された熱を堂々と踏みしめることができる。

 紫外線を怖れずに外を歩けるようになる。


「イアン、レストランを探しに行こうぜ。レディー二人はここで少し待っていてくれ。いいレストランが見つかったら戻ってくる」


「行ってらっしゃい。あまり遠くには行かないでよね」


 カウンターの下に放り投げていた義脚をつけ、イアンは違和感を覚えながら一歩進んだ。

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