第一部4

 ドイツ人たちが武器を細部までこねくり回している間、イアンはオリガと並んで廃工場を徘徊していた。


「まるでコンテナとベルトコンベアの迷路だ。この先はどこに続いているのだろうか」


「わかりませんわ。ですが、少なくともいいところではなさそうですね」


「それはどうかな。オリガ、君は戦わずして平和を掴み取ることはできないと言った。君にとって兵士は救世主か? それとも、破壊者か? それとも、ただの駒か?」


 オリガは悩む素振りを見せなかった。

 悩むほどの質問でもなかった。


「どれも当てはまりません。救世主でもなく、破壊者でもなく、ただの駒でもありません。戦う兵士も戦わない兵士もただの人間です。イアン、あなたもただの人間です」


「ああ、私はただの人間だ。一度たりとも己を超人だと思ったことはない。戦場にいない私はただの人間だ。だが、戦う兵士がただの人間だというのは擁護できない。超人とは思わないが、ただの人間とも思わない」


「戦う兵士もただの人間です。兵士が戦わなくなって初めて平和が訪れるのです」


「戦って平和を掴み取るというなら、何が救世主となる?」


 平和をもたらす救世主――これはイアンが人生をかけて模索し続けてきた問題だった。

 思考することをやめた彼は未だにこの答えを見つけられずにいた。


 だが、オリガはその答えを見つけていた。


「言葉です。言葉こそが世界の救世主となり得ます。言葉の戦争なら人間を傷付けることはできません。精神的には傷付けられても肉体的には傷付けられません」


「言葉……君が言っていることは綺麗事だな」


「ええ、綺麗事ですわ。平和という言葉も綺麗事ですもの。悲しいことですけれど、平和という言葉が綺麗事でなくなるまでに多大な犠牲を払うことになるでしょうね。時既に遅しですが」


 イアンは笑った。

 その通りだと思った。

 同時に、対極にあったオリガの持論に共感することができた。


 綺麗事を実現することほど難しいことはない。

 平和を実現することはなおさら難しく、不可能に等しい。

 平和という言葉はそれほどまでに崇高で低俗なのだ。


 広大な廃工場を一周して戻ると、ジャンとドイツ人たちは取引を終えて武器の入ったトランクと金の入ったアタッシュケースを交換していた。


 先ほどから気になってはいたのだが、オリガはどこかそわそわしていた。

 よほどスイーツ専門のレストランが楽しみなのだろうか。


 しかし、オリガの表情は沈んでいた。


「イアン、早く行きましょう。胸騒ぎがします」


「胸が躍っているのではなくて?」


「嫌な予感がするのです。さあ、行きましょう」


 オリガがイアンの腕を引いた瞬間だった。

 廃工場の外で破裂音がした。

 仕掛けておいたクレイモアが爆発したのだ。

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