第二部4

「ところで、恋人はどうなった? お前が死んでからシカゴを去ったようだったが」


「ああ、エステルか。シカゴに残ると言えば別れるつもりだったが、俺についてきてくれた。家族を捨ててまでろくでなしの俺を愛してくれるエステルに惚れ直してな、シカゴにいた時のようなガキの付き合いはやめることにした。大人の交際っていうのか? 俺も本気でエステルを愛する決意をしたってことよ。三年前から二人でパレルモのアパートを借りて同棲している。まあ、詳しい話は本人に聞いてくれ。エステルもお前に会ったら喜ぶはずだ」


「会うのが楽しみだ。それにしても、エステルとは長く付き合っているようだな。私とお前がバーで出会う前から一緒にいるのだろう?」


「ああ、そうなるな。最高幹部になって生活費も安定してきたことだし、そろそろ結婚も考えている。問題はエステルがイエスと言ってくれるかどうかだ。俺と結婚したらイタリアン・マフィアの妻だぜ? はぁ、自信がない」


「弱気になるなんてお前らしくないな。何も心配することはない。エステルはお前を愛しているのだろう?」


「それはそうだが……」


「家族を捨ててお前についていったんだ、プロポーズを断るはずがない」


「そうだといいのだが。なんにせよ、こういうことは慎重に運ばなければならない。急いてはことをし損じると言うくらいだしな」


 ジャンは落ち着きなく頻繁に脚を組み替えた。

 贅沢に葉巻を吸っては窓の外に放り投げた。


 イアンは車内でウイスキーの瓶を購入し、二日酔いの頭痛をアルコールで緩和した。

 やはり酒は何もかもを忘れさせてくれた。

 戦争の記憶さえも脳内の片隅に追いやられていた。


「イアン、お前に恋人はいないのか?」


 不意を突いた質問に、イアンは静止した。

 脳裏をオリガの白い横顔が過ぎった。


「私の恋人は戦争だった。もう別れたよ」


「そうは言っても、お前もそろそろ結婚を考えておいた方がいいぜ。身体が不自由な分、長生きするには伴侶がいる。お前には支えが必要だ。義脚ではなく、信頼できる伴侶がな」


「恋人とよりを戻せるならそうするさ。だが、この身体ではもう戻れない。私に必要なのは左目と右脚だ。伴侶はいらない。長生きするつもりもない。もう十分生きた。神は私を戦場では殺さなかった。神の加護もここまでということなのだろう。私がもっと信心深ければ戦場にいられたのだろうが、生憎私は神を信じていないのでね」


「イアン……まあ、生きていれば気が変わるさ。俺も神を信じていないが、きっと神が救ってくれるだろう」


 兵士時代の話に花を咲かせているうちに、鉄道はシチリア島の都市――パレルモの駅に到着していた。

 駅からはジャンの部下の自動車に乗り、ホテルを目指した。

 部屋が空いていなかったのでアパートを借りると言ったのだが、ジャンはわざわざVIPルームを手配してくれた。


「近いうちにまた連絡する。レストランの予約が取れたらそこで食事しよう」


「ああ。世話をかけてすまないな」


「いいってことよ。親友のためならなんだってするさ。困ったことがあったらなんでも相談してくれ。これでもコーサ・ノストラの最高幹部だ、シチリア島では顔が利く。役に立つぜ」


「恩に着る。エステルによろしく伝えておいてくれ。会えるのを楽しみにしている、と」


「わかった」


 ジャンが部屋から出ていき、イアンは煌びやかなソファーに腰を下ろした。


 唇から漏れ出るのはアルコール臭い溜め息。

 片手には部屋のテーブルに置かれていたウイスキーの瓶。


 頭痛は治まったが、今度は猛烈な睡魔に襲われた。

 このまま眠ってしまったらひどい寝覚めになることだろう。


 今はそれでも構わなかった。

 どうなってしまおうと構わなかった。

 アルコールによってとろけた精神なんてどうでもよかった。

 戦場にいない肉体なんてどうでもよかった。


 ひょんなことから死んだはずの親友と再会し、オリガと出会ったシラクサを離れてパレルモに来てしまった。

 VIPルームで生活することになったが、驕奢な部屋では落ち着かなかった。


 これからどうするか、イアンは途方に暮れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る