第二部2

 春の一際温暖な日、イアンは鉄道に乗ってメッシーナへと移動した。


 駅のホームを降りたところで、茶髪のイタリア人と肩がぶつかった。

 二日酔いでアルコールが抜け切っていなかったこともあり、足元がおぼつかなかったせいだ。


 イタリア人は舌打ちしたが、イアンは無視してそのまま通り過ぎようとした。

 が、肩を掴まれて足を止めた。


「おいおい、かたわだろうがぶつかったら謝るのが礼儀だろう?」


「…………」


 いら立ちが込み上げてきて、懐のウィルディ・ピストルを意識した。


 イアンは振り返った。

 緑色の瞳は殺気を帯びていた。


「お、お前――」


 イタリア人は言葉を失った。

 それはイアンも同じであった。

 身体の力が抜けていら立ちもすっかり消え失せた。


「イアン……?」


「ジャン・バリスティーノ……私は幽霊でも見ているのか」


 二人は握手を交わして生を確かめ合った。


「触れるということは幽霊ではないようだ。ジャン、何故生きている?」


「お前にとっては不思議で仕方ないだろうが、俺からしたらおかしな質問だぜ。そもそも俺は死んでいない」


 ジャン・バリスティーノ――彼は三年前にデトロイトでKIAとなったイアンの親友であった。

 死体を見てはいなかったが、彼はデトロイトでの交戦以来アメリカ陸軍に戻らなかった。

 死んだと考えるのが妥当だ。


 だが、ジャンはこうして生きている。

 しかも、アメリカではなく彼の故郷であるシチリア島で。

 イアンにはもうわけがわからなかった。


「ジャン、どういうことだ? 生きているのなら何故アメリカ陸軍から姿を眩ませた?」


「質問は後だ。それよりどうだ、これからパレルモに行かないか? ここにいるということは旅行なのだろう?」


「まあ、そうだが……」


「パレルモに俺の拠点がある。ホテルの手配をしてやるからさ、積もる話は車内でしよう」


「わかった」


 突然の親友との再会に、イアンは狼狽えていた。

 死んだはずの人間と話していると気分が悪くなりそうだった。


 鉄道の車内は満席になりかけていたが、ジャンの脅迫じみた耳打ちで二人分の席を確保した。

 彼らは三年ぶりに相対し、互いに微笑を浮かべた。


「変わったな、イアン」


「ああ、私は変わったさ。この三年間で私は本当に変わった。それに比べて、お前は何も変わっていないな」


「いや、俺も変わったさ。お前は左目と右脚を失ったようだが、俺は地位を得た。コーサ・ノストラの最高幹部さ」


「ほう。なるほど、話が見えてきた。デトロイトでのKIAはコーサ・ノストラと関係がある。そうだろう?」


「ああ。まあ、そう急くな。吸うか?」


「もらおう」


 ジャンが差し出した葉巻を受け取り、ガスライターで先端を入念に炙る。

 煙草とは異なる強い香りが車内に充満する。


 乗客は誰も文句を言おうとしなかった。

 二人の会話からコーサ・ノストラの名がちらりと聞こえてきたからだ。

 ささやかな抵抗として、わざとらしく咳き込む者や窓を開ける者がいた。


 コーサ・ノストラは主にシチリア島を拠点としているが、勢力を拡大するために一部がアメリカへと移住した。

 かつてはニューヨークを拠点としていたが、マンハッタンが破壊されてからはシカゴが拠点となった。


「お前と出会ったのはシカゴのバーだったな。六年前、俺はコーサ・ノストラの中でも下っ端だった。日頃の鬱憤を晴らそうと飲みまくって酔っ払い、客を無差別に殴り出したところでお前が止めに入ったんだよな。きつい一発をもらったのはいい思い出だ」


「はははっ、そんなこともあったな。懐かしい」


「俺がコーサ・ノストラのメンバーと知っていながらやったんだろう? シカゴのバーにたむろする集団なんてギャングかイタリアン・マフィアくらいだ」


「至福の時間を邪魔されるのは嫌いだからな。つい手が出てしまった」


「くくくっ、それでこそ俺の親友だ」


 イアンは窓の外を眺めながらジャンとの最悪の出会いを思い出した。


 ジャンを殴り倒したのはよかったのだが、その後が面倒だった。

 バーにいたコーサ・ノストラのメンバー全員を相手にしなければならなかったからだ。


「まさか十人以上もいたのに全員やられるとは思いもしなかったぜ。軍人の怖ろしさを知ると同時に、俺はその力に惚れた。だから、お前がいるアメリカ陸軍に志願した」


「コーサ・ノストラのメンバーがアメリカ陸軍に志願するなんて前代未聞だった。しかし、何故コーサ・ノストラのメンバーでいながらアメリカ陸軍に志願した?」


「下っ端からのスタートに変わりはなかったからさ。コーサ・ノストラにとって俺は雑用だった。シカゴで武器を売るつまらない仕事ばかりだった。俺は人間を殺したかったんだよ。それなのに、コーサ・ノストラのメンバーになっても殺しはできなかった。だから、兵士になってコーサ・ノストラから離れようとした。あわよくば足を洗うつもりだった。裏切りと見なされたら殺されてしまうからな、そこは慎重にボスと話をつけたさ」


「ボスもよく許してくれたな」


「まあ、下っ端の代わりなんていくらでもいるからな。それに、兵士になればシカゴを守れる。戦場を生き延びれば後でコーサ・ノストラの戦力にもなる。要は俺がうまいこと説得したってわけよ」


 ジャンは唇の端を吊り上げ、窓を開けて葉巻を投げ捨てた。


 確かに、ジャンは三年前とは変わっていた。

 さすがに最高幹部の貫禄があった。

 高級なスーツとパナマハットのおかげもあり、ただ者ではない雰囲気を醸し出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る