第一部4

 イアンはエスプレッソで口内を潤してからラスクをひっくり返した。


 焦げた裏面に苦笑し、かちかちのラスクを齧る。

 炭化した黒い粉が舌に纏わりつき、エスプレッソでそのまま胃へと流し込む。


「飲まないのか? まさかカプチーノも飲めないわけではあるまい?」


「よほどマフラーの下が気になられているのでしょうね」


「まあね。君もこの眼帯の下が気になるだろう?」


「ふふふっ、そうですね。何色の瞳なのかしら」


「この黒焦げのラスクと同じ色さ。義眼でね、金をかけようとは思わなかった。さあ、マフラーを解いてサングラスを取ってくれ。君の素顔が見たい」


「わかりました。きっとびっくりされますよ」


 オリガはそう言って厳重に巻いたマフラーに手をかけた。


 とぐろを巻いた蛇のごとき長いマフラー。

 何を匿っているのか。

 どんな醜いものが露わになるのか。


 イアンは固唾を飲んだ。


 白い顎の先端がちらりと覗く。

 みずみずしい薄紅色の唇、すっと筋の通った鼻、白粉を塗りたくったかのような頬がイアンの視線を釘付けにする。


 ロシア人はこうも色白だっただろうか、という疑問が芽生えることはなかった。

 それほどまでにオリガの肌の白さは鮮烈だった。


 レンズの大きなサングラスがゆっくりとオリガの目元から遠ざかる。

 冷たい瞳に射抜かれた瞬間、背筋が凍りつく。


「これは驚いた」


「そうおっしゃると思いました」


 球体のアメジストを彷彿とさせる薄紫色の瞳、白い花弁のようなまつ毛。

 帽子を脱ぎ、白髪の束がはらりとこぼれる。

 想像していた醜さなど欠片もない。


「アルビノをご存知ですか?」


「ああ、知っているとも。だが、こうして見るのは初めてだ」


 アルビノ――先天的に色素が欠乏する遺伝子疾患。

 そのため、アルビノの人間や動物は白くなる。

 個体差はあるが、皮膚や体毛や瞳の色が薄くなりがちである。


 その希少さから、アルビノはアフリカの一部で人身売買の対象となった。


 イアンがアルビノの存在を知ったのはテレビのニュースであった。


 アルビノの肉体には特別な力が宿っており、それを食らうと特別な力を得られる――無論、全くの迷信なのだが、金と力の亡者はアルビノの肉を欲した。

 アルビノはくだらない迷信のために大量に殺された。


 戦争も相まってアルビノの希少性は高まりつつある。

 現代ではすっかり見かけなくなったが、アルビノに対する風当たりは未だに強い。


 人間は差別したがる生き物なのだ。

 人間には排他的な性質があり、短絡的に物事を隔絶しようとする。


 戦争がいい例だ。

 敵国同士であることからアメリカ人とロシア人は互いを敵視し、忌み嫌い合っている。


 戦争は敵を見誤らせる。

 それと同じで、アルビノは人間の排他的な性質を刺激し、ある種の嫌悪感を生じさせる。


 アルビノが悪いのではない。

 人間のフィルターが悪いのだ。


 アルビノと戦争は非常に似ている。

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