第9話 死の天使ラズル

 気が付けば、俺の眼前には、懐かしい光景が広がっていた。鮮やかな緑色の葉が生い茂る木々。色とりどりの花達が咲き誇る、庭園。


 そこに彼女がいた。彼女はいつものように歌を歌っていた。たまに吹いてくる風が、彼女の白いドレスを揺らしていた。彼女の大きな白い片羽根も、風に吹かれるたびに若干揺れている。俺に背を向けて歌を歌っているものだから、どんな表情で歌っているのかはわからない。


 しかし、歌声の響きからして、非常に軽やかで、明るい感じがしたから、そんなに悪い表情ではないのかもしれない。


「ルーチェ」


 俺は、彼女の名前を呼んでみた。しかし、彼女は俺の方に振り向くことはしなかった。相変わらず歌い続けている。


 彼女のその長い髪の色もまた、美しい、青空を思わせるものだった。そう、あいつと同じように。


 ?


 あいつと同じように?


 俺が、今自分が考えたことについて、戸惑っているうちに、彼女――ルーチェ――は、突然歌うのをやめた。


「ラズル、あなたって」


 そう言いながら、ルーチェは俺の方に振り向くような仕草をする。


「ルーチェ……?」


「あなたって本当にひどい人」


 完全にルーチェがこちらを振り向く。そして彼女の表情が、どんなものか。はっきりとした。


 その表情は、悲しみと憎しみに満ちたものだった。その美しい藍色の瞳からは大粒の涙が流れていた。


「違う、ルーチェ。俺はただ――!」


「さようなら、ラズル」


 ルーチェがそう言うと彼女の顔と体は粉々になり、砂となって、風と共に散っていった。


「待ってくれ、ルーチェ!俺は――!」


 ハッとした。気が付けば、俺は、寝台の上に横たわっていた。体中が汗でびっしょりだ。さっきのは、夢……?


 それにしても妙に生々しい夢だった。夢の中の彼女が俺に向けた眼差し。思い出しただけで、体が震えだした。あの日、彼女が奴と共に俺の元を去ってから、俺は一度たりとも彼女のことを忘れたことはなかった。最後に彼女が俺に見せた表情は怒りと悲しみに満ちたものだった。先ほどまでの夢を見てふと思う。――彼女は、ルーチェはまだ俺のことを許していないだろうか。


 しばらくボーっとしていると、突然部屋のドアが開いた。……ひどく乱暴な開け方をするものだ。俺は乱暴にドアを開けられるのが好きではない。


「何だ、慌ただしい。何か用か。それと、ドアを開けるときはもっと静かにしろ」


 俺が威圧的な態度でそう言い放つと、俺の部屋のドアを開けたそいつは、びくっとした表情を見せた。しかし、すぐに平静を繕ったようだった。


「も、申し訳ありません、ラズル様。早急に報告したいことがございまして――」


「なんだ、ならさっさとしろ」


 そいつ――まあ俺の部下なんだが――が言い終わらないうちに、俺はそいつを睨みながら早急にその報告とやらをさっさとするようにと急かした。俺に言葉を遮られたその部下は黙り込む。それから、なかなか何も言いだそうとしなかった。俺に睨みつけられながら威圧的な言葉を放たれて、それで俺を恐れているのだろうか。しかし、俺からすればそんなことはどうでもよかった。この程度で俺を恐れるなんて、所詮こいつはその程度の者なのだろう。


「どうした。さっさとしないか、その報告とやらを。それとも何か?別に俺に報告する気はないとでも?ならさっさと出ていけ。二度と神聖な俺の部屋に足を踏み入れてくれるな」


「そ、そんなことはありません!はい、ただいま報告させていただきます!先ほど、以前からラズル様が気に食わないと言っていた――アウロのいる街を襲撃しました!」


「……」


「ラ、ラズル様?」


「それは誰の判断でそうした」


 俺は寝台から降りて、ずかずかと部下の近くまで詰め寄り、先程よりも増して威圧的な態度でそう部下に言い放つ。


「え……?」


 いきなり俺に詰め寄られたからか、部下は戸惑ったような表情を見せた。


「誰の判断でアウロがいる街を襲撃したと聞いている。なんだ?お前は二回言われないと理解できない頭をしているのか?」


「いえ、そ、そんなことは……!そ、それは私達の独断でです。私達の手でアウロを抹消すれば、わざわざそんな人間もどきのためにラズル様の手を煩わせることはないと思って……!」


 ぐいっと俺はそいつの胸倉を掴んだ。


「ひっ」


「今後、俺の判断なしにお前達の独断だけで勝手な行動はするな。いいな?でなければ――」


「わ、わかりました!」

 

 俺が最後まで言い終わらないうちに、そいつは泣きそうな面をしながら首をぶんぶんと縦に振った。


 無言で俺は部下の胸倉を放す。そして俺は自分の部屋から出ようとした。


「ラ、ラズル様?一体どこへ」


 後ろから、おずおずとした声で部下が俺に話しかける。非常に煩わしい。


「アウロの元へだ。アウロは俺が直々に消す。このこと、他の連中にも伝えろ」

 

 そう端的に言い、さっさと俺はアウロの元へ向かおうとした。


「は、はい!……あの」


 また話しかけられる。一体何なんだ。


「なんだ、俺は急いでいる。要件があるならさっさとしろ」


 立ち止まり、後ろを振り向かず、俺はイライラとしながら投げやりに言った。


「は、はい。ラズル様は何故、先日アウロを発見したとき、すぐに手をお下しにならなかったのですか?あの時のアウロは子供と二人だけで――。全くの無防備状態でした。であればあの場ですぐにアウロを消すことができたはず――」


「お前には関係ない」


 他にも何か言いたげな気配を察知したが、それを俺は無視する。


 何故先日、アウロを発見したとき、すぐに消さなかったのか。実を言えばその答えは俺自身にもわからなかった。ただ、何か――。今はまだ消すべきではないと、そう感じた。その感覚があまりにも強かったから、しばらく奴を放置することにした。あんなにもアウロを消すために、奴について調べ尽くしたというのに。


 しかし、しばらく放置しようとしたにも関わらず、無能な部下共の独断により、状況は一変した。


 ――これも、いわゆる啓示なのかもしれない。アウロを早く消せと言う、主のご意思。


 であれば、俺の感じたことなど最早どうでもいい。早急にアウロを消そう。すべては主のために。


 自分の部屋から出た俺は、やがて神殿の入り口――そう、ここは俺達天使達が住まう神殿である――へと辿り着いた。神殿の外は、神殿内とあまり変わらず、清浄な空気で満ちている。空も透き通った青色をしている。この空は、人間界のと比べてとても美しい。


 深呼吸を一回する。そして俺は自分の右腕を横に突き出し、ぶつぶつと何かを呟く。これはある一つの詩だった。これから戦いに赴く自分に神から祝福してもらうための、祈りの詩。


 それを呟き終えると、右手に眩い光が集まる。その集約された光はやがて、ある形へと変わる。俺の武器である、生きとし生けるもの全ての命を刈り取る、光でできた大鎌。


 それを手に、俺は12枚の白い羽根を広げる。そして空を見上げた。


 俺の名は、ラズル・デュリュア・アズラエル。死の天使アズラエルの血を引く者。


 そして傲慢な人間の生み出したアウロを抹消する者。


 さあ、早くアウロの首を刈り取りに行こう。神に捧げるために。


 そして俺は人間界へと飛び立つのだった――。 


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