第6話 突然の訪問者(A Side)


 次の日、俺は盛大に寝坊をかました。


 理由は、ここに帰ってくるまでに戦場職場で片付けられなかった書類の数々を全て夜が明けるまでに片付けたからだった。ようやく片付いた頃に睡魔が襲いかかり、そのまま倒れるように机に突っ伏したまま眠ってしまった。


 時刻はもうそろそろ、昼過ぎを指そうとしていた。


 このままではまた、サシャとの約束が果たせなくなってしまう。急いで身支度を整え、まずは遅めの朝食を取ろうと、俺は食堂へと向かった。


 自室から長い廊下を渡り、食堂に入ると、誰かが厨房にいた。長い金髪の俺と同じ年くらいの少女。


「リサ」


「あら、アウロ。起きるの遅すぎるじゃない」


カチャカチャと音を立てている。俺がリサと呼んだ少女は厨房の洗い場で食器を洗っていた。


「片付けてない仕事があったからな」


「ふーん」


 不機嫌そうな声を出すリサ。何か気まずい雰囲気が俺たちの間に流れた。何か、気に触るようなことでも言ったのだろうか……?


とりあえず俺はリサに謝ることにした。


「すまない」


「何が?」


「何かとても気に触るようなことを言ったかもしれないから」


「……」

 

 食器を洗っていたリサは手を動かすのをやめ、盛大にため息をついた。


 やはり、何か怒っているのだろうか。


「アウロ。私昔、こう言わなかった?」


「な、何をだ」


 あまり、リサに刺激を与えたくなかった俺はおずおずとそう聞く。リサを怒らせると本当に怖いし面倒臭い。


「夜ふかしは体に良くないって!」


 そう言うと、リサは厨房の洗い場から離れ、俺の近くにズイズイと来た。


 結構勢いよく来たので、流石の俺も少し後ずさる。


「そう、だったか?」


「そう!もーあの時あれほど夜ふかしはダメだって言ったのに!規則正しい生活は大事!」


 そういえばそうだっただろうか。すっかり忘れていた。


 夜ふかしはダメだと言うが、そうは言っても、ここを離れている時は、睡眠を削ってでも仕事をする時もあったし、他の連中もそうで、それが当たり前だった。それに戦場にいたということで、いつ何が起きてもおかしくなく。中々規則正しい生活を送ることができない時がほとんどだった。


「すまない。どうしても今日の朝までには仕上げたかったから」


「だとしてもダメなものはダメーっ。その仕事ってそんなに急いで仕上げる必要があるものだったの?実は期限なんてまだまだ先じゃないの?」


「……実はそんなに急を要するものでもなかった」 


「じゃあ、急いで今日の朝までに仕上げる必要もなかったじゃない」


 確かにそう言われればそうなのだが。そうは言っても、例え期限がまだまだ先だとしても、片付いてないものがあると俺としてはどうしても気になってしまい。どうしてもさっさと片づけてしまいたいのだった。それにさっさとやってしまえば、あとでもう一度見返すこともできるし。


 しかしリサとしてはそれは駄目らしい。彼女としては期限がまだ先というのであれば、それを片づけるのはゆっくりでいいし、それよりも体調を優先してほしかったらしかった。


「そうだな。今度からは仕事よりも体調を優先できるよう気を付ける」


「それならよし」


 ようやくリサは機嫌を治してくれたらしく、声も表情も先ほどに比べれば、大分柔らかくなっていた。安堵した俺は、さっさと食事を取ろうと思った。


 食事を終え、自分の分の食器を片づけた俺は、顔を洗った。冷たい水で顔を洗ったので、ぼんやりしていた頭が冴えてくる。


 早くサシャの所に行こう。


「サシャ?サシャなら中庭にいたわよ。アウロが中々起きてこないから、あの子拗ねていたわ」


 リサが言っていた通り、サシャは中庭にいた。花畑の真ん中で、花でも摘んでいるのだろうか。何かをしていた。さて、どうサシャに謝罪しようか。拗ねてるって、リサが言っていたし。サシャが一度機嫌を損ねると、中々機嫌を治してくれず、正直リサよりも面倒くさかった。


「サシャ。すまない。今日遊ぶ約束をしたにも関わらず、寝坊してしまった」


 サシャの後ろからそう声をかけてみたが、俺がそう言い終わらないうちにサシャは突然笑い出した。


「えーっ、それって可笑しいね!」


 そう言いながら俺の方には向かないまま、きゃっきゃっと笑うサシャ。俺が寝坊したことがそんなに可笑しかったのだろうか。


「でもそういう時もあるよ。私もねー、アウロって名付けたお人形にドレス着せるときあるもん。ドレス着たそのお人形見てて、笑えてきたよ!」


 そういう時もあるのか。というか、そういうことをしていたのか、サシャよ。しかも笑えるのか。


「あ、アウロ!」


 勢いよく俺の方を振り向くサシャ。いつからいたのー?と俺にそう聞いてくる。そう聞いてくるということは、今の今まで、俺の存在に気づいていなかったのか?であれば、この瞬間まで、サシャは誰に話しかけていたんだ……?


「さっきからいた」 


「そうだったんだ!全然気づかなかった!おしゃべりに夢中だったから」


「おしゃべり?誰と?」 


 今、この場にいるのは俺とサシャだけだ。第三者などどこにもいない。しかし、サシャは俺以外の誰かと会話をしていたらしい。一体誰に……?空気に話しかけていたとしたなら、サシャは相当精神を病んでいるのかもしれない。


 俺が早くサシャと遊んでやらなかったからか。


「俺のせいでサシャが病んでしまった……。こんなことになるならっ……!」


「何言ってるの?アウロ」


 とても冷静な声でそう言われる俺。サシャは何か憐れむような目で俺を見つめていた。


「寂しいがゆえに、サシャは空気に話しかけていた。俺がさっさと遊んでやらなかったから……!」


「えー、違うよ。空気じゃなくてこの子に話しかけていたのー」


 頬を膨らませながら、サシャはそう言って俺に何かを差し出す仕草をする。彼女の手のひらの上には何もなかった。やはり空気に話しかけていたんじゃないか。


「アウロには見えないの?この子が」


 すまん、見えん。


「そっか、見えないのか。アウロなら見えると思ったんだけどなー」


 がっかりしたようにそう言うサシャ。子供がこういう状態になったときは、なるべくその子に寄り添うように話を合わせるのが良いと、何かの本で読んだ。


 俺のせいでサシャが病んでしまったという負い目もあり、俺は彼女に詳しく話を聞くことにした。


「そうだな、俺には見えない。でもサシャには見えるんだろう?誰と話していた」


「あのね!妖精さん!」


 おう。


 妖精って、あのおとぎ話によく出てくる、あれか。確かにサシャには空想癖がある。しかし、その空想をこうもはっきりと言われると何か色々と心配になってきた。  


 俺が返答に困っていると、サシャはまたもや頬を膨らませる。


「その顔、全然信じてないね。いいよ。もうアウロには何も話さない」


 俺ははっとなった。


『なお、子供がもう何も話さないと言った場合、その子は心を閉ざし、もう一生何も話さない可能性があります』


 そう本に書かれていたことを思い出した俺は急いで彼女の機嫌を取ろうとする。


「い、いや。全然信じていないわけじゃない。ただ、あまりにも」


「あまりにも?」


「あまりにもびっくりしたからだ。妖精がサシャに何の用かと」


 何とか言葉を繋げれた。これは称賛されてもいいのでは。


 俺の言葉を聞いたサシャは、ふふーんと得意気な顔になった。


「私が可愛いから話しかけてくれたんだって!」


 妖精が男だったら、何となくひねりつぶしてやりたいと思った。何でそう思ったのかはわからないが。


「そ、そうか」


 サシャは再び何かを話し始めた。何もない手のひらの上に話しかけているので、その妖精とやらと話しているのだろう。


 しかし、見えはしないが、本当に妖精がそこにいる気がした。妖精と話していたというのは、サシャの空想ではなく、本当のことなのかも……。


「アウロもこの子触る?」


 そう言うとサシャは俺の手のひらに何かを乗せる仕草をする。それを俺は一応受け取る。ほのかに俺の手のひらが暖かくなる感じがした。


 妖精は本当にいる。そんな感じがした。


 その時だった。


「こんにちは。パラケルスス孤児院はここですね?」


 横から男の声がした。その声がした方向を向くと、身分の高そうな身なりをした男がそこにいた。


「驚かせてしまい、申し訳ありません。私はヨハン・シュトラウスという者です。こちらの責任者さんに用があって来ました」


 男はにっこりと微笑む。黒髪に紅い目。その顔は整っている。


 何だろう。何の害もない表情をしているというのに、酷く嫌な感じがする。


 サシャは男に怯えたのか、俺の手をぎゅっと握りしめ、隠れるように俺の背後に回る。その様子に気づいた男はサシャに少しだけ近寄り、目線を合わせるようにしゃがみこんでサシャに微笑む。 


「君がサシャだね」


 庇うようにサシャを完全に俺の背後に隠した俺は、男を睨みつける。しかし男はそんなことを気にする風でもなく。ただ微笑んでいるだけだった。


「責任者さん……。イサーク・パラケルススさんはどちらにおいででしょう」


 何かとても不吉なことが起こりそうな、そんな予感がした。

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