第3話 また明日 (A Side)

 物心ついた頃には俺は身寄りのない子供達が預けられる場所――いわゆる孤児院だ――にいた。


 孤児院にいる前の記憶は俺にはなかった。ただ一つわかっていることがあった。


 それは俺が人の手によって造られた存在だということだ。


 孤児院には当たり前だが、孤児達がいて、そのほとんどが戦争で親を亡くした者ばかりだった。


 その頃から天使と人間達の戦争は既にあった。


 ある時、天使達は突然人間の住む世界に現れ、大勢の人間に対して殺戮行為を始めだした。


 それまでは人間達は至って平凡に生活を送っていたという。


 なぜ伝説上の存在であるはずの天使が人間達の前に現れたのかはわからない。


 何かの記録書によれば、ある年のある日、一人の天使が主要都市の一つに降り立ち、そこに住む人間達にこう宣言したという。


「主の命令により、あなた方人間を滅ぼさなくてはならなくなりました。ですのであなた方には消えてもらいます」


 そうその天使が言い終えたかと思うと、その都市は一瞬にして滅んだという。


 その都市の名前はソドムと言った。


 たった一人で一瞬にして一つの主要都市を滅ぼすほどの圧倒的な力を持つ天使。


 そんな、最早化け物と言っても過言ではない存在を前に人間達は成す術もなく、次々と他の主要都市も滅ぼされ、3分の1ほどの人間達が亡き者にされたという。


 そんな状況の中、流石にお偉い方々も不味いと思ったのか、天使達に反抗すべく、軍隊を結成した。


 しかしそうしたところで、圧倒的な力を持つ天使達の前では無力にも等しく。空しくもその軍隊というものは全て滅ぼされたという。


 絶望的な状況の中、人間達が最後にすがったたった一つの希望があった。


 それは悪魔だった。


 悪魔。伝説によれば、それらは悪を象徴する存在とされる。ちなみに天使はその反対、つまり善を象徴する存在だ。この二つの存在は対の関係にあった。


 天使の対となる悪魔ならば、天使達に抗えると当時の人間達は思ったのだろう。当時、どの国の王よりも偉いとされた王――名前は忘れた――の元に各地から沢山の魔術師と魔導書が集められた。そして、数々の悪魔がこの人間界に召喚されたらしい。


 悪魔の力を得た人間達は、それまでの不利な状況から一変。次第に形成を逆転させることに成功した。


 しかし、ここで一つ疑問が生まれる。悪魔に助力を得たのはいいが、人類はどうやって彼らの助力を得ることができたのか。


 悪魔というのは面倒くさい。一つの願いを彼らに叶えてもらう代わりにそれ相応の代償が必要だと言う。しかも代償を払ったとしても、悪魔の気分次第で願いを叶えてもらうのが反故になったりする場合もあるらしい。


 どういうわけか、悪魔との交渉に成功した人間は次から次へと悪魔を召喚しては天使に対抗できたのだそうだ。


 この人間界を守るために、当時の人間は――いや、今の人間もか――はどれほどの代償を彼らに支払ったというのだろう。


「着いた、サシャはどこにいるんだろう」


 中庭に着いた俺はサシャがどこにいるのかと、辺りを見回した。


「いない。待ちくたびれて部屋に帰ったのかもしれない」


 サシャを探すのをやめた俺はとりあえず、中庭にある大きな木の下にある椅子に座る。


 俺がこの孤児院を最後に出たのはいつだったか。


 確かサシャがまだ、3か4歳くらいだった時のはず。現在サシャは今度で7歳になると、孤児院の責任者からの手紙にはそう書かれていた。


 であれば、大体4年ぶりにここに帰ってきたということになる。


「当時まだ3歳くらいで、しかも4年ほども顔を会わせなかったというのに、サシャはよく俺のことを覚えていたな」


 そういえば責任者の手紙にはこうも書かれていた。


 サシャは他の子供とは違ってずば抜けて記憶力が良いと。


 責任者――名前はイサークというんだが――曰くサシャは母親の胎内にいた時の記憶も覚えているらしい。


 それが本当かどうかは知らないが、そういえばサシャは俺にたまにこういう話をしていたか。


『お母さんのね、お腹に来る前はふわふわしたお空みたいなところにいてたの!』


 当時の俺は、それをただの子供がよくする空想の話か何かだと思っていたが、それがそうだったのかもしれない。


 しかし、お腹に来る前というと、サシャの命が母親の胎内に宿る前のことになるが果たして。


 あれこれと思考を巡らせているうちに、いきなり目の前が闇で包まれた。というより、誰かの手で目隠しされた?


「だーれだっ」


 この声に聞き覚えがある。しかも俺の目を隠しているその手はとても小さいから、思い当たる人物はそいつしかいない。


「サシャ」


「あたりーっ」


 そう言うとサシャはすぐに俺に目隠しするのをやめ、はしゃぎ出す。


 さっきも沢山はしゃいでいたと言うのに、まだはしゃぎ足りないか。まあここは廊下とは違って、中庭だし。まあいいか。


「俺がここに着く頃には、サシャはどこにも見当たらなかった。一体どこにいたんだ」


「そこの茂みでお花摘んでたっ」


 サシャが指差した所を見る。確かに人一人が隠れられそうな茂みがそこにはあった。


 そこにサシャがいたのだとしたら、それは俺が見つけられなくても仕方ない。


「摘んだお花でこれ作ったからあげる!」


 そう言ってサシャが俺に手渡したのは桃色や黄色、水色など様々な色の花で作られた花冠。


 俺みたいな無愛想な人間――造られた存在だが――にはあまり似合わないと思うが。


 しかしこの出来上がりを見ると、サシャは相当丁寧に作ったのだろう。


 それをいらないと無下にするわけにはいかない。


「ありがとう」


 そう言い、俺はサシャから花冠を受け取る。


「どういたしまして!」


 にこっと笑った彼女の笑顔はまるで、俺が今受け取った花冠の花のようだと思った。


 この笑顔を守りたい。


 ふと俺はそんなことを思っていた。


 それを俺はとても不思議だと思った。


 周りからは人の心を持たないただの人形だと言われ、自分でもそうだと思っていた俺がどうして。


「どうしたのー?」


「い、いや。何でもない。それより遊ぶ約束をしていた。だから今から」


「でももう暗いよ?もう遊べないよー」


 一瞬頭の中でガーンっという音がした。何故だ。


「アウロ、どうしてがっかりしてるの?」


「いやそれは。約束が。その、果たされなかった。後で遊ぶという、約束が」


 しどろもどろになりながら俺はそう言う。俺がこんな状態になるのも不思議だ。何故だ、俺らしくない。


「約束?じゃあ遊ぶの、明日にすればいいじゃん!」


「おう」


「約束。明日こそ遊ぼうね、約束よ」


 そうサシャが言うと自分の小指を俺の小指に絡めてくる。


 誰かと約束する時はこうするのがいいのだろうか。


「わかった」


 その時。俺はどこか胸の辺りが暖かくなるのを感じた。


「じゃあまた明日ーっ」


 そう言うとサシャはその場から走り出した。自分の部屋に戻るのだろう。


 また一人その場に残された俺は、どうして胸が暖かくなったのか、わからなかった。


 だが、それは悪いものではないと思った。



『見つけた、見つけたぞアウロ』


『お前は滅ぼされなければならない』


『私が必ずこの手で貴様を――』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る