58話



「ダメよ」


「どうしてですか!?」



 時は少し遡り、文芸祭が終わってから開かれた文芸部による定例会議の出来事だ。



 そこには選び抜かれたクリエイターの卵たちが集結しており、そこにいる誰もが何かしらの才能を秘めた実力者揃いだ。



 彼らを取り仕切る顧問もまた只者ではなく、まだまだ若輩といっていい年齢の女性が担当している。



 早乙女乱菊は、反論する生徒に冷たい視線を向けながら、頑なに彼らの要求を拒んでいた。それが何かといえば……。



「どうして文豪寺治乃介を我が文芸部に入部させないのです! 彼の実力は先の文芸祭で証明されました。彼なら、文芸部に入部する資格を十分に得ている」


「それでもダメよ」



 確かに、この生徒の言う通り文芸祭において一つの部門で一位に輝く実力を持つことは、文芸高校で最高峰の部活とされる文芸部の入部資格を得たということである。



 だが、顧問の乱菊は生徒の申し出を却下し続けた。その理由としては、すでに彼が一門のラノベ作家として活動しており、いまさら文芸部に所属したところで、得られるメリットが少ないと考えたからである。



(だって、断られちゃったもん……。これであの人が入るってなったら、私が直接勧誘したのはなんだったのってなるじゃない)



 乱菊に食って掛かる生徒も、まさか彼女がすでに治乃介を勧誘済みであり、それどころか愛の告白をして振られているなど夢にも思っていないだろう。



 ここでこの生徒の言う通り治乃介を勧誘し、万が一にも文芸部に所属することになれば、なぜ彼女が勧誘した時に入らなかったのかということになってしまう。



 一人の人間としてちっぽけなプライドと言ってしまえばそれまでだが、乱菊は治乃介が文芸部に入るのなら、是非とも自分の手で入部させたい、他の誰かがその手柄を掠め取るなど許されないと考えていた。



(男の人は大きなおっぱいが好きって言うけど、私が裸になってもダメだったし)



 それはただ純粋にタイミングとシチュエーションが不釣り合いだっただけで、決して彼女の見た目に問題があるわけではないが、なにぶん恋愛経験のあまりない彼女からすれば、そのことに思い至らなかったとしても仕方がない。



 しかしながら、今も乱菊は治乃介を自身のパートナーにすることを諦めておらず、そのことに気付いている圭五郎も普段から目を光らせているため、彼の学校生活はある程度平穏が保たれている。



 そして、圭五郎の目を盗み陰からそっと治乃介を遠くから見守るという若干ストーカー気質なことを行うようになっているものの、今のところ乱菊の毒牙からは逃れられていた。



(この子たちはちゃんと私のおっぱいに視線を向けてくるのに、あの人はちらりともしない)



 自分の両腕を胸の下辺りで組むと、彼女の形の良い大きな胸が強調される形となる。その妖艶な姿は大抵の男の視線を釘付けにし、まるで蛍光灯に誘われる蛾の如く注目を集めてしまう。



 だというのに、治乃介がそういった下心の籠った視線を向けられたことはなく、むしろ「なんだこの変な人は?」という怪訝なものを見るような視線ばかりを向けられている気がするということを思い出していた。



 その視線もまた乱菊にとってはご褒美ではあるが、やはり女として見られたいという願望もあるためか、彼の自分に対する態度に少しやきもきしていた。



「納得できません!」


「……それは、つまりこの私に逆らうということかしら?」


「……っ!」



 次の瞬間、その場の空気が一変する。それは、部屋の温度が急激に下がったような、いきなり冷凍庫に放り込まれたのかと思うほどの寒気が襲い掛かった。



 圧倒的威圧。類まれなる才能を持つ者が有すると言われている存在感。その力は見る者を虜にすると同時に、まるで蛇に睨まれた蛙のように身動き一つ取れなくするものだった。



 まるで人を氷漬けにして連れ去る冷酷な雪女の様相に、生徒たちは息を呑む。生徒たちが疑似的な死を直感したその時、部屋の外からこんな声が漏れ聞こえてくる。



「文豪寺君、洗濯する時にどの洗剤使ってるの?」


「ハモングだな。あれはいいものだ」


「へぇー、じゃあ……」


「治乃介君っ」



 たまたま通りかかったのか、治乃介が同じクラスの女子生徒との会話する声が聞こえてきた。どうやら、掃除当番のゴミ出しを一緒に行っていたようで、同じ当番の女子生徒と歩いていたらしい。



 そして、治乃介を認識した乱菊の行動は素早いもので、まるで漫画のキャラクターを思わせるようなほどの高速移動で教室のドアに接近し、勢いよくガラガラと音を立てながら扉が開かれる。



 だが、いかんせん乱菊がいた場所から扉まである程度の距離があったことも幸いし、彼女が扉を開け外を確認した頃には、治乃介たちはちょうど廊下の角を曲がった後であったのだ。



「ちぃ」



 彼の姿を見つけられなかった悔しさから、あからさまに不機嫌な様子で舌打ちをする乱菊。その姿は、とても子供に見せられるようなものではなかった。



 そして、その一連の行動を教室内にいた生徒たちが咎められるわけもなく、室内は沈黙が支配していた。



 治乃介を見つけられなかった乱菊は、教室の扉を今度はゆっくりと閉め、先ほどの出来事などなかったかのようにすたすたと歩き出し、自分が座っていた椅子へと着席する。



「とにかく、文豪寺治乃介については文芸部は関わらない方針とします。よろしいですね?」


「わ、わかりました」



 乱菊の有無を言わせぬ物言いに生徒たちも納得はしていないものの、渋々頷いた。だが、それでも簡単に諦めきれない生徒たちのささやかながらの抵抗として、彼女に宣言したのだ。



「ですが、レインボークリエイターズの勧誘については引き続き行わせていただきます。これは、我々生徒の個人的なものでもある。いくらあなたでも強制はできないはずだ」


「いいでしょう。では、他に議題がなければこれで本日の定例会議を終了します」



 決死の覚悟で言い放った生徒の要求は、意外にもあっさり受け入れられた。乱菊とて鬼ではない、あれもこれもダメだと言われればいずれ反発することは理解できており、せめてどこかでその不満を発散させる必要があると思っていた。



 だからこそ、文芸部の下位組織にあたるレインボークリエイターズについては黙認するという形を取ったのだ。



 本音を言えば、それも許可したくはないのだが、彼女の力が及ぶのは文芸部のみであって、同好会に近いレインボークリエイターズにまでは手が届かなかったのである。



 こうして、治乃介を巡る一つの方針が決定されたが、そのことが原因で周囲はますます活発になることを今の彼は知る由もなかったのであった。

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