49話
「ど、どど、どういうことよ!? 早乙女先生があんたのこと無名玄人って!!」
「ん? あー」
「どういうことも何も、この人こそ正真正銘の無名玄人先生ご本人ということよ!」
「それは本当なんすか? じゃあ、大先生はホントに大先生だったってこと!?」
全員が叫び声を上げたあとのことは、当然質問責めが待っていた。
あの話題の作家の正体が、同じ学校に通う生徒だったということにも衝撃的だが、それが見知った顔であったことにもさらに驚きなのだから……。
「どうして今まで黙っていたのよ!?」
「聞かれなかったから」
「そりゃあ、誰も聞かないわよ! いきなり来て“あなた無名玄人ですか?”なんて質問するほうがどうかしてるわ!!」
「この変人先生は聞いてきたぞ?」
「ん? 私ですか?」
「……」
その答えに全員が絶句する。
一体どういう状況でそうなったのか小一時間ほど問い詰めたい気持ちだが、今はそれよりも重要なことがあった。
なぜここまで彼の、無名玄人の情報が規制されていたかだ。
基本的にだが、作家というものは芸能人のようにメディアに顔を出す人間ではなく、文章力でご飯を食べている。
たまに帝流聖のような作家でありながらメディアに露出している人間も存在するが、すべての作家がそうではない。
それ故に、見た目の情報が表に伝わることはほとんどなく、彼らが生み出す作品の情報が先行して世に発信されていることがほとんどだ。
だが、人の口に戸は立てられぬという言葉もある通り、そういった情報はどこかしらから漏れ聞こえてくるものであり、100%規制することは不可能に等しい。
だというのに、無名玄人が高校に通う未成年であることや、性別などの詳細な情報が表に出てくることはなく、まるで何か見えない権力が働いてそれに遮られていたかのようだった。
これについては、治乃介の母であるみゆきが関わっているのだが、彼女の持つコネクションによって情報統制がなされていたなど、一般人や業界の人間でそれを思いつくのはごく一部しかおらず、それも“あの鬼の編集マンならやりかねない”という不確かなものであった。
とにかく、乱菊からもたらされた突然の文豪寺治乃介=無名玄人という情報に、それを聞いた彼女らは驚きと困惑を隠せなかったのである。
(この人が、無名玄人先生)
(どうりでレインボークリエイターズの幹部に勝つわけだ)
ずっと不透明だった治乃介が持つ違和感の正体を知ったことで、美桃と零の二人は得心がいく。
そして、次の瞬間彼に対する作家としての敵愾心のような感情が芽生えた。
それは、ライトノベルというものを通じて新たな好敵手を見つけたことに対する歓喜か、それとも同じ作家として生きる者に対する敬意なのか、どちらにせよ彼女たちは治乃介を一人の作家として認識したのである。
(待てよ。こいつが無名玄人なら、あたしはコレに負けたってこと!?)
(なんか、ちょっとくやしいかも……)
治乃介を作家だと認識した二人だったが、それを認識すると同時にある感想を抱いた。
それは、自分と同世代の少年に後れを取ってしまったという悔しさだ。
これが五つ以上歳の離れた相手であれば、年上であるという事実によって負けても仕方がないという言い訳のようなものが成り立っただろう。しかし、実際に治乃介は彼女らと歳がほとんど変わらず、零に至っては一学年下という状況であり、自分と生きてきた時間が変わらない相手に負けたということになってしまうのだ。
同年代の相手に負けることは、年上に負けることよりも悔しく、彼女たちに明確な敗北感を植え付ける。
(“なにがいいのか理解できない”って言ってたくせに)
かつての治乃介が口にした言葉を思い出し、美桃は内心で憤る。
小説の良さを理解していないにもかかわらず、あのような名作を生み出してしまう彼の才能に、美桃は小説家としての自尊心を傷つけられ、嫉妬心に駆られる。
こういったものは人それぞれであり、比べるものではない。だが、隣の芝生は青く見えるとはよく言ったもので、自分が持っていないものを持っているということは、その人にとって羨望の対象であり、それと同時に持っている者に対して嫉妬する対象でもある。
(これが、生まれながらに持った才能とでもいうの? あたしが姉さんに勝てなかったように)
その一方で、零もまた治乃介の持つ特別な才能に思うところがあるようで、口には出さないものの、彼の才能を妬んでいた。
人の欲は深い。だからこそ、人が人である由縁でもあり、それをバネにして更なる成長を遂げることも決して不可能ではない。
そういった意味では、二人の前に突如現れた無名玄人という存在は、今後の彼女たちの成長に大きく関わってくることになるのだが、それはまだまだ先の話である。
話を戻すが、乱菊によってもたらされた情報は、美桃たちにとって衝撃的であると同時に治乃介という人間の形容しがたい特異性を説明するには納得のいくものであった。
彼にとっては、作家活動は“家事の片手間にやっている暇つぶし”程度のものであり、みゆきに頼まれたからやっているという側面が強い。
書籍化している以上、その売り上げの一部が報酬として発生していることを鑑みれば、ちょっとしたアルバイト感覚でもあると言えなくもないが、作家活動に心血を注いでいる人間からすれば、彼の思っていることは冗談の一言では済まされない。
「ま、まあ。とにかく、勝ててよかったな!」
「そ、そうね! 今は勝負に勝てたことを喜びましょう」
「「……」」
健一と咲の口にしたことに素直に頷くことができない美桃と零は、彼らの言葉に反応することはしなかった。
そして、話題は乱菊が治乃介が無名玄人だとわかった理由に移ったのだが……。
「愛の力です!!」
などと、わけのわからないことを宣ったため、その場にいた全員が彼女に関して放置を決め込むことにした。
こちらから話を振っておいて酷い話だが、それだけ乱菊の言動が異常だったのだ。まさに、残念美人とはこのことである。
しかしながら、野生の本能なのか彼女の鋭敏な人の才能を嗅ぎ分ける嗅覚は本物であるため、そこについては一定の評価をされて然るべきなのだが、治乃介を始め他の面々の彼女のイメージがあまりいい印象として捉えられなかったため、乱菊が治乃介の正体を見破った凄さに気付くことはなかった。
かくして、レインボークリエイターズの一角オレンジパンサーとの戦いは、一見幕を閉じたかに見えた。
だが、治乃介にとってこれがかの組織との戦いの始まりに過ぎないことを思い知らされることになる。
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