48話
「なん……だと。ば、馬鹿な……あり、えない」
辛うじてそう口にしつつ、大吾は今回の戦いの結果に項垂れる。
絶対の自信があった彼にとって、治乃介に敗北するという結果は信じられるものではなかったのだ。
そんな大吾の態度に反して、特に勝利した喜びもなくせいぜいが“こんなものか”といった感想しか治乃介は抱かなかった。
もともと大吾に無理矢理付き合わされた形となっている以上、今回の戦いに勝っても負けても彼にとってはどうでもいいことであったからである。
「やったぜ!」
「文豪寺君が勝ったわ!」
「……」
「まさか、本当に勝つなんて……」
友の勝利に素直に喜びを表す健一と咲だが、美桃と零は信じられないといった様子だ。
レインボークリエイターズの中でも序列を持つ人間というのは、それこそライトノベル業界では書籍化できる基準を満たしている存在であり、はっきり言って実力者と評されてきた。
だというのに、ただのいち生徒に過ぎない治乃介が勝利してしまったことが、何かの間違いではないのかと思うほどの出来事であり、それこそどこのラノベの物語だと突っ込みたくなるほどのことなのだ。
「これで気が済んだだろう。俺は帰らせてもらう」
そう捨て台詞を残し、未だ放心状態から復活していない大吾を放置して、治乃介は理科準備室を後にした。
慌てて健一たちも彼に追従し、残されたのは勝負の結果に呆然と佇むオレンジパンサーの面々だけであった。
「さすが大先生だ! あのオレンジパンサーの幹部クラスに勝つとは」
「そんなに凄い奴なのか?」
「そりゃあそうよ。レインボークリエイターズっていう組織は、扱いとしては同好会寄りの集団だけど、文芸高校内外にかかわらず圧倒的な組織力を持ったグループとして注目されてるって聞いたことがあるわ」
「ふーん」
咲の説明に興味なさげな反応をする治乃介に呆れる咲であったが、レインボークリエイターズという組織を知らなければそんな反応なのかと思い、特に突っ込むことはしない。
しかしながら、そうも言っていられない人間がここに二人いた。言わずもがな美桃と零の二人である。
本職のライトノベル作家として活動している彼女たちにとって、文芸高校のレインボークリエイターズという存在は決して無視できるものではなく、そこの序列持ちに勝ったとなれば、その勝った人間に興味が湧くのは自然なことで……。
「……」
「美作先生? どうしたんすか?」
「あなた……一体何者なの?」
荷物を取りに行くため一年ℱ組の教室に戻っている道中、突然零が治乃介たちの進行を止めるように躍り出る。
そして、鋭い視線を向けながら、治乃介に聞きたかったことを直球にぶつけてきた。
「俺は……この学校の――はぶっ」
「せんせぇー!!」
彼女の質問に対し、治乃介が返答しようとしたその時、急に彼の視界が真っ暗となる。
なにやら、柔らかい感触と甘ったるい匂いが彼の鼻腔をくすぐった。
その正体とは、早乙女乱菊が彼の顔を自身の胸に抱きかかえたことで起きた現象であった。
「ぷはっ、何をする」
「オレンジパンサーとの戦いを見てました。さすがは先生です!!」
「そんなことはどうでもいい! 鬱陶しいから放せ!!」
「嫌です放しません!!」
治乃介とて青少年であるからして、女体の神秘というものに興味がないわけではない。
だが、彼に誰かと恋愛するという意思はなく、今の彼にとって乱菊の行為は迷惑以外の何物でもない。
女性の胸に顔を埋められるという行為は、母親のみゆきが彼が子供の頃から度々行ってきたものであり、特にそれについて何か思うところはない。
「放せ! この変態教師!!」
「おぐわっ」
断固として解放しようとしない乱菊に対し、苛立ちを覚えた治乃介が彼女の頬にビンタを見舞った。
教師であるはずの彼女に敬語を使っていないあたり、彼がどれだけ苛立っているかがうかがえる。
そもそも、入学して以来彼女にはいろいろと迷惑を掛けられ続けており、最初は冷静に対応していた治乃介であったが、あの屋上での告白から彼女に対して敬意を払うことを止めたのだ。
「早乙女先生!? ぶ、文豪寺君、さすがに先生に対してそれはないんじゃないかな?」
「アレを見てもそう言えるか?」
「え?」
治乃介が指を差した方を見てみると、彼が叩いた頬を愛おしそうに両手で撫でながら恍惚の表情を浮かべている乱菊の姿があった。
「嗚呼、いい……先生の手が私の頬に……捗るわ」
「……」
普段の冷静沈着な彼女の姿は見る影もなく、そこにはだらしのない上気した顔を浮かべた痴女がいた。
そのあまりの光景に、先ほどまで治乃介に抗議していた咲が言葉を失う。それほどまでに、今の乱菊は普段の姿からかけ離れていたのである。
「くんかくんか。嗚呼、治乃介君を感じる。これが、愛なのね」
『いやいやいやいやいや』
乱菊の言葉に、治乃介以外の全員が心の中で突っ込みを入れる。
それほどまでに、彼女の言動は異常であり、これが本当にあの早乙女乱菊なのかと疑いたくなるほどであった。
そして、自身が奇行に走っているという自覚のない彼女はここでもまたやらかす。
「改めて、今回の勝利おめでとうございます。さすがは……さすがは無名玄人先生ですね!!」
「「「「え?」」」」
乱菊の言葉に、再び彼女らの思考は停止する。
乱菊の放った言葉の中に聞き逃せない内容が含まれていたからである。
無名玄人……それは、今若手のラノベ作家の中でも異彩を放つ新進気鋭の存在であり、美桃も零もかの作家の動向に注目している人間であった。
治乃介の母みゆきの突拍子もない提案により、一度かの作家とは対決している。結果は、見事なまでの惨敗でそれ以降彼女らは無名玄人を意識するようになっていた。
そんな彼女たちが、自身の目の前に無名玄人がいるという事実を受け止めるには衝撃的過ぎる内容であり、その内容を認識した瞬間彼女たちの反応はこうなる。
『えええええええええええええええええええええええ!!』
文芸高校に彼女らの叫び声が木霊した。
【作者の一言】
さあ、いよいよ無名玄人の正体がバレてしまいましたね。この先一体どうなってしまうのか( ̄д ̄)!?
次回、乞うご期待!!
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