42話
怒涛の二学期の始まりとなってしまった治乃介であったが、乱菊の一件はまだまだ尾を引いていた。
彼女については、何とか圭吾朗が説教やら説得やらを行ってくれたことで彼女の暴走を一時的にストップさせることができた。
しかし、あれほど治乃介に執着していた人間が、たかだか第三者に言われた程度で止まるわけもない。
ましてや、クリエーターという立ち位置にいる乱菊の我は強く、一度こうと決めたらそれに突き進む人間であり、だからこそ売れっ子詩人という特殊な肩書きを持っているのだ。
(嗚呼、私の治乃介君……今すぐ君を抱きしめてクンカクンカしたい)
やはりというべきか、乱菊は未だ治乃介を諦めておらず、その内心にはとても教師が生徒に対して抱く感情とは言い難いものが渦巻いている。
校長からお叱りを受け、一旦冷静になった彼女ではあった。
だが、それは本当に一時的なものであり、状況的にはいつまた彼女の感情が暴走するか予断を許さない状態であった。
それは圭吾朗も理解しているが、現状打てる手がなく厳しい監視の下で乱菊を見張るしか対策がない。
普通であれば、そんな考えを持つ人間が教職に就き続けるのは難しく、学校の責任者である彼としては、彼女を解雇する考えも頭を過った。
しかし、仮に彼女を解雇するとなれば他の生徒や彼女を支援している団体から猛抗議が起こることは目に見えており、最悪の場合彼女ではなく自分がその責任を追及され、辞職に追い込まれる可能性が高いと判断した。
もともと教師としても人気があり、詩人としても絶大な影響力を持つ乱菊であるからこそ解雇は免れており、普通であれば一発アウトだ。
だが、彼女に対する対抗策が完全にないわけではなく、圭吾朗はそれに向けて動き始めているのだが、今はまだ多くは語らないでおく。
といった具合に、当事者同士による決着がある程度ついたところまでは良かった。だが、一つの問題が解決すれば、また新たな問題が出てくるというのはお約束であるからして……。
「ちょっといいかしら?」
「……」
乱菊との一件が終息してしばらくしたあと、ある人物が治乃介の前に現れる。
一人は、制服を着崩した一見するとだらしのない格好をしている女子生徒だが、その着崩し加減は絶妙でファッション性の高いものとなっている。
金髪碧眼の褐色の肌を持ったギャル風の女子生徒といった感じで、着崩した服からこぼれ落ちそうなほど大きな乳房が見え隠れしている。
片やもう一人は口を開かず、上下ジャージにその下にフード付きのパーカーを着込んでいる女子で、ギャル風の女子生徒と比べると胸の大きさも慎ましやかで色気に欠けている。
しかしながら、パーカーのフードと装飾品として装着している漆黒のマスクは、彼女の同じ黒髪黒目を引き立たせており、どこかメッセージ性のあるファッションとして見る者に何かを訴えかけてくるものがある。
それに加えて、マスクで顔の全体は把握できないものの、気だるげに見てくるやる気のないジト目は、どこか彼女のミステリアスな雰囲気をさらに引き立たせている。
「なにか?」
「あなた、文豪寺治乃介くんよね?」
「そうだけど」
「わたしは、二年E組酒巻美琴(さかまきみこと)」
「……二年E組下塚茜(しもつかあかね)。僕らの派閥に入れ」
「は? 派閥?」
「こらこら、いきなり言われてもそれだけじゃわからないわよ」
いきなり不躾に勧誘してくる茜に対して、美琴が窘める。そして、治乃介に事情を説明する。
かつて、昭和末期から平成初頭の時代に流行していた不良集団の総称として【カラーギャング】というものがあった。
それはアメリカのストリートギャングを模倣したものであり、それぞれが掲げるチームカラーで派閥が形成されていた。
いつの世にもそういった色を象徴とする派閥は存在するようで、彼女たちもまたある特定の色をシンボルカラーとするグループだ。
そういった派閥は文芸高校内に複数存在する。しかし、決して暴力などで支配する不良集団というわけではない。
文芸に重きを置く校風であるため、その派閥同士で競っているのは創作物であり、野球やサッカーで言うところのプロ野球チーム・プロサッカーチームといった扱いになる。
各派閥に所属する組員が創作物を介して戦い、どちらの創作物がより優れているか、より第三者からの評価が高いかを競い合っているのだ。
「という感じかしら。まあ、同好会みたいなものだと思ってくれればいいわ」
「はあ」
「……私たち【菫の薔薇(ヴァイオレットローズ)】に入ってほしい」
「ヴァイオレットローズ?」
「わたしたちが所属している派閥の名前よ。どうかしら? もし、文豪寺くんが入ってくれるなら、お姉さんがいいことしてあげるんだけど」
「……」
そう言いながら、胸元を強調してくる美琴。
形のいい乳房が、まるでスライムのように不定形の如くぷるぷると揺れ動く様は、思春期の少年には目の毒である。
このままでは押し切られる形に話が進んでしまうと思われたその時、美琴の誘惑を妨害するように声が上がった。
「よおよお、抜け駆けは勘弁してくれよ薔薇の女狐」
「七色円卓会議(レインボーミーティング)で、彼との接触は折を見てという決まりだったはず。これは立派な協定違反ですね」
「……(コクコク)」
「げっ」
突如として現れたのは、まったく毛色の異なる三人の生徒だ。
制服を身に纏っているため、文芸高校の生徒であると辛うじて理解できるガタイの良い体格と、とても十代とは思えないほどの貫禄のある厳つい顔をした男子生徒が一人。
少し地味な見た目に痩せこけた頬は、健康的とは言えないが、真面目が服を着ていると言わんばかりの七三分けの髪形に黒縁眼鏡というお約束のような姿をした男子生徒が一人。
高校生とは思えないほどに背が小さく、中学生や小学生と言われた方がまだ納得のいく上背に、クリっとした大きな目が愛らしい無口な女子生徒が一人。
まるでタイミングを計ったかのような登場は、美琴たちを監視していたのではないかと思うほどのベストな間で、おそらくはずっと様子を窺っていたことは明白だ。
三人の姿を見た美琴がバツの悪い顔をしたかと思ったら、彼らの正体を口にする。
「橙の野獣(オレンジパンサー)の牙山に、群青の大空(ブルースカイ)の北条、それに紅の木苺(レッドストロベリー)の柊……」
「……ち、あと少しだったのに」
彼らが姿を見せたことで、茜も眉を歪ませながら口惜しそうに言葉を漏らす。
そんな彼女らに、北条と呼ばれた男が眼鏡の位置を直しながら、通告する。
「というわけですので、あなた方お二人の身柄を確保させていただきます」
「無駄な抵抗はしない方が身のためだ」
「……(コクコク)」
北条の言葉を皮切りに、牙山が手の骨をポキポキと鳴らし、相変わらず柊は一言も口にせずただ頷く。
何やら剣呑な雰囲気に周囲の生徒たちがざわめき立つ中、さらに爆弾が投下される。
「あなたたち、何をやっているのですか?」
「「「「早乙女先生!?」」」」
一触即発な雰囲気の中、どこからともなく乱菊が出現する。
治乃介としてはまた厄介な人間が一人増えたと思っていたのだが、彼以外全員がなぜか直立不動の状態となる。
見た目が厳つい牙山がまるで軍人のようにピシッとする姿は、なかなか様になっているが、着ている服が学生服であるため、些かの違和感がある。
そして、乱菊といえば治乃介を一瞬だけちらりと見た後、明らかに怒ったような雰囲気で問い掛けてきた。
「一人の生徒に寄ってたかってとは、七色創作会(レインボークリエイターズ)も地に落ちましたね」
「違います。我々は決してそのようなことは――」
「言い訳無用です」
北条の言葉を遮るように乱菊がぴしゃりと言い放つ。
その内から出る威圧感に中てられ、その場にいた生徒が委縮する。
その場で唯一ケロッとしている治乃介といえば、乱菊の登場に居心地の悪さを感じていた。
「せんせ――治乃介君、大丈夫だったかしら」
「ええ、まあ」
「ここは私に任せて、あなたは教室に行きなさい」
「は、はい」
治乃介の身を案じつつ、職員としての務めを果たそうとする乱菊であったが、その心境はどす黒いものが渦巻いていた。
(嗚呼、無名先生……あなたはどうして文芸高校の生徒なのでしょう。その縛りがなければ、いますぐにでもあなたと……。いや、我慢、我慢よ私。あと三年待てば彼も卒業してこの学校の生徒ではなくなる。その時にまた改めて襲……いや、アタックすればいいのよ)
彼女の心の声を聞いた者はいない。だが、その含みのある視線を現在進行形で向けられている治乃介からすれば、彼女がどんなことを考えているのかは何となくだが感じていた。
そして、そのことについて身の危険を感じつつも、彼女の言葉に従って彼はその場をあとにしたのであった。
なんとかその場を脱し、自分の教室である一年F組にやってこれた治乃介であったが、彼が教室に入った瞬間、教室内にいた生徒の視線が突き刺さった。
未だ乱菊との一件が噂となっており、好奇の目に晒されている状態であり、彼があの事件を起こす前に教室から飛び出していくところを見ているクラスメイトとしては、気にならないはずもない。
そんな視線を受けながらも、治乃介は自分の席の椅子にリュックを引っ掛け、そのまま着席する。すると、そこへいつものメンバーがやってきた。
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