41話



 そんなわけで、放課後となり治乃介は乱菊が指定した場所へと赴いた。



 ちなみに、今日は九月一日であるため、通常のカリキュラムではなく始業式となっている。

 当然、校長が簡単な始業式の挨拶を行い、何も起こることなく二学期開始の挨拶はつつがなく終了した。



 治乃介もまた健一や咲に久々に絡まれ……もとい、級友との再会を果たしていた。

 彼のクラスメイトたちも、例の事件を覚えているため、乱菊との関係を追及したかったが、担任の一森が事前に手を回してくれていたようで、あの事件についてはなかったことにして当事者には何も聞かないようにと釘を刺してくれていたのだ。



 それについては、一森のファインプレーであるが、すべては彼の推しであるみゆきに媚を売りたいという下心からくる行動であるため、手放しでは彼の行ったことを褒められないのが何とも言えないところではある。



 何事もなく終わった放課後、治乃介は乱菊が待っているであろうとある建物の屋上にやってきた。



「……」



 周囲を見回し待ち人の姿を確認するも、屋上には人っ子一人の姿も見受けられない。



 場所を間違えたかと思ったその瞬間、背後でカチャリという音が聞こえる。

 振り返ってみると、そこには後ろ手で屋上の出入り口の鍵を施錠し、口の端を三日月のように吊り上げた表情を浮かべる乱菊の姿があった。



「やっと二人っきりになれたわね」


「……」



 彼女の表情に空恐ろしいものを肌で感じ取り、治乃介は彼女から距離を取ろうと一歩下がる。

 しかし、それを見た乱菊もまた一歩近づき、彼との距離を詰めてくる。



 なぜか、謎に手をわきわきとさせた状態で近づいてくるものだから、本能的な危機感が働いて、距離を取らざるを得ないのだ。



 それを繰り返すうちとうとう逃げ場を失った治乃介は、諦めて口を開いた。



「はあ、俺に何か用ですか?」


「あなたに確認したいことがあります。……あなたは、無名玄人先生ですか?」



 単刀直入に、乱菊はそう切り込んでくる。

 治乃介としては、自分が若手作家の中でも有望株の立ち位置にいるなどという自覚はない。だが、一応そういった名前を使って小説家まがいのことをやっているという覚えはあるため、彼は彼女の問いに頷く。



「一応、そういった名前で小説のようなものは書いてますね」


「……なかったわ」


「なんです?」


「あははははっ! やっぱり、私の勘に狂いはなかった!!」



 自分の直感が正しかったことに、乱菊は狂喜する。

 そして、治乃介の口から彼が自分と同等の才能を持ち合わせた稀有な存在であるということが確認された以上、あとは行動あるのみである。



「治乃介君! いや、無名先生。私の恋人になってください!!」


「は?」



 腰に手を当てながら、まるで運動会の選手宣誓のような堂々とした佇まいに、思わず反応が遅れてしまう。それほどまでに、彼にとっては衝撃的な内容であったのだ。



 乱菊は常にどこかで同類を求めていた節があり、いつか対等な存在と共に生きていきたいという願望があった。



 類まれなる才能と感性を持ち合わせた人間にとって常に求めているものとは、その特異な価値観や考え方を共有できる存在であり、つまりは同じ穴の狢である。



 彼女が持つ才能は並外れており、同程度の才能を持った存在はなかなかいるものではない。

 だが、それでも諦めずに彼女はそういった存在を探し求めてきたのだ。



 もしそういった存在と出会えたのなら、それが異性ならば恋愛的なものとして、同性であれば友情的なものとして友好な関係を築いていきたいと乱菊は常日頃から思っていた。



 そして、彼女は出会ってしまった。“自分と同じレベルの才能と感性を持った人間”と……。



 さらに治乃介にとって不幸だったのは、乱菊が女性であったということ。つまりは、彼女にとって彼は“異性”ということになるのである。



 しかしながら、乱菊の場合それが恋愛感情から来るものではなく、同類と出会えたことに対する興味の方が強く、決して治乃介に対して恋愛的な感情を向けているからではない。



「私の恋人になってください!!」


「いや、あんたの台詞が聞こえてなかったわけじゃないから。そもそも、俺とあんたは教師と生徒だろうが!」


「愛さえあれば――」


「どこのトレンディドラマだ! そういうのはテレビだけだから!!」



 非現実的なことを宣う乱菊に、治乃介が盛大に突っ込みを入れる。

 彼の言う通り、そういった生徒と教師の禁断の恋愛などというものは、漫画やドラマといった架空の世界ではあり得るかもしれないが、こと現実に関しては絶対にありえないのだ。



 もちろん、そういうシチュエーションが起きる可能性はゼロではない。だが、そういったことは倫理的にも外聞的にも良くはない。



 であるからして、治乃介の答えは当然……。



「お断りします!」


「ダメよ! 断るわ!!」


「え、何を?」


「先生が断ることを私が断る。ようやく見つけた存在をみすみす逃してなるものですか!!」


「どういう理屈だ!!」



 彼の返答に、乱菊はさらに被せるように言葉を紡ぐ。わけのわからない理屈に目上という関係を無視して治乃介が声を上げる。



 彼とて女性にまったく興味がないわけではないのだが、今は自分のやりたいことを優先させたいという気持ちが強く、乱菊が好みのタイプかどうかという以前の問題であった。



 逆に乱菊も見た目の美しさに反して恋愛経験が豊富というわけではなく、今まで恋どころかここまで他人に強い興味を持つということをしてこなかったが故、自分の感情がコントロールできていない。



 とどのつまり、治乃介は今は恋愛にうつつを抜かす時期ではないと考えており、乱菊はこれから恋愛というものを理解していこうとしているというお互いに恋愛という一点において時期が合致していなかったのだ。



 そもそもからして、生徒の治乃介と教師の乱菊では恋愛自体が世間的に不可能なため、おそらく彼女の願いが聞き届けられることは万に一つもないだろう。



「と、とにかく! 俺はあんたと恋人になる気はない!!」


「ならば、既成事実を作るまでよ!!」



 そう言いつつ、乱菊は身に着けていた服を脱ぎ始める。未だ二十代という若々しい肉体は瑞々しい張りを保っており、まだまだ十代の小娘程度には負けていない。



 むしろ、二十代に入ったことでその妖艶さに磨きが掛かっており、その魅力はとどまることを知らない。



 しかしながら、治乃介にとっては迷惑千万な話であり、逆セクハラ甚だしい行為であるため、今すぐこの場から逃げなければという考えに至る。



 迫りくる彼女から何とか逃れようと勢いよく走り出す。そして、一直線に屋上の出入り口に向かい、そのドアに手を掛けた。



「ぐっ、鍵が」


「残念だったわね。こんなこともあろうかと、鍵を掛けておいたの。私のものになるっていうのなら、鍵を渡してあげるわよ」



 絶体絶命のピンチに半ば諦めかけた時、突如として施錠されていたはずの鍵ががちゃりと音を立てる。そして、現れた人物が大声で叫んだ。



「そこまでじゃ!」



 その声の正体は、文芸高校の校長を務める圭吾朗であった。



「治乃介君、大丈夫かね?」


「は、はい」


「ここはわしに任せて、君はすぐに下校しなさい。後はわしが何とかしよう」


「わかりました。ありがとうございます」


「ま、待てぇ!」


「待つのはお主じゃ、早乙女先生。いくらお主でも、さすがにこれは許容できん。校長室に来るのじゃ! その前に、そのあられもない姿を何とかせんか! この大馬鹿者が!!」



 圭吾朗の機転によってなんとか乱菊の魔の手から逃れることができた治乃介は、その日は何とか家まで帰ることができた。



 余談だが、普通であればそんなショッキングな出来事があれば、その日はどんなことでも手につかない状態となってしまうだろう。だが、図太いのかはたまた何も考えていないのか、治乃介はその日も通常運転で家事を行い、脳内シミュレートをしていた台所の棚掃除を行った。



 翌日、治乃介が学校に登校すると乱菊が何事もなかったかのように謝罪してきた。

 どうやら圭吾朗の愛の説教が堪えたらしく、もう二度と学校内で恋人になれなどということは言わないという言質も取った。



 どんな心境の変化があったのかは知らないが、ひとまずは彼女の脅威が去ったことを治乃介は内心で安堵するのであった。





【作者の一言】



 今回の話で校長が乱菊にどんな説教をしたのかというのが、二巻のSSになる予定です。



 まあ、現時点(2024年1月10日)で書籍化の話は欠片ももらってないので、その話が世に出る日が来ないかもしれませんがね( ̄д ̄)ノシ



 書籍化の話をもらえれば、その話を読むことができると思っておいてください。

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