40話
無名玄人こと文豪寺治乃介と、帝流聖こと大黒帝宗介の一騎打ちが始まった。
来たる八月二十七日、全国の書店にて二人の書籍の販売が開始される。
当然のように、二人の書籍はまるでお互いの売り上げを競うかのように売れ続け、その販売部数を着実に増やしていった。
しかしながら、世間が彼らの戦いに注目する中、治乃介はもう一つの問題を解決しなければならなかった。
現在、九月一日……そう、夏休みが明けてから初めての登校となる日なのだ。
「おい、あいつだろ」
「間違いないわ」
「確か、文豪寺って言ったか?」
入学式当日にも通った通学路をトボトボと歩いているのは、文芸高校一年F組に所属する生徒、文豪寺治乃介である。
そんな彼だが、周囲の状況が以前と異なる事態となっており、どういうことかといえば、かなり注目されているのだ。
たったの十数日前の出来事であるためか、あの日のことを忘れるはずもなく、寧ろ様々な憶測が飛び交う状況となっており、治乃介に対する注目度は高くなる一方であった。
(うーん、今日は台所の上の戸棚の中を掃除するか。大掃除でしかやらないところだからな。さぞや埃が溜まっていることだろう)
渦中の人間である治乃介といえば、今日家に帰ったらどこを重点的に掃除するかということで頭が一杯になっており、あの夏休みの登校日に起こった出来事などすっかりと頭の中から抜け出ていた。そのため、自分が他の生徒からどれほど注目される存在かまったく気付いていなかったのである。
「ちょっと、そこのあなた。止まりなさい」
(一番の強敵は最上部の戸棚だな。おでん用の鍋とホットプレートがしまってあるから、棚から降ろすだけでも一苦労だし、鍋自体も埃が被っているだろうから、慎重に降ろさないといかん)
「ちょっと、聞いてるの!? 止まりなさいってば!!」
(棚から物を降ろした後は、一度中をハンディークリーナーを使って粗方の埃を吸引し、濡らした雑巾で拭き上げる。そして、そこにアルコールで生き残った雑菌を消毒し駆逐すれば完璧だ!)
「文豪寺治乃介ぇー!! 止まれぇー!!!!」
「ん?」
脳内で今日行う予定の家事の内容を治乃介が反芻していると、急に名前を呼ばれる。
それに気付いて顔を上げると、そこにいたのはツインテールが印象的な美少女である美作零であった。
何故か、肩で息をしておりどこか疲れた様子を見せる彼女であったが、一瞬理解が追い付かない治乃介ではあったが、呼び止められたことで彼女に反応する。
「確か、みさ――」
「美作零よ!! みさくれいではなく! み・ま・さ・か・れ・い!!」
「それで、そのみまさくさんが一体何の御用で?」
「誰がみまさくか!! 混ざっちゃってるからそれ!!」
治乃介の言葉を先読みした零が先手を打ってきた。だが、最終的には彼のボケに突っ込まざるを得ない状況となってしまう。
しかし、周囲の目がますます治乃介へと向けられることに彼は気付いていない。
「おい、あの人って……」
「美作先輩だよな?」
「誰だ?」
「知らねぇのか? 現役女子校生ラノベ作家として、若手の作家の中でも有望株って噂されてる人だ」
「そんな相手と知り合いなんて……」
「文豪寺治乃介、恐ろしい子」
有名人の登場に周囲が湧く中、さらにそれに拍車を掛ける人物が登場する。
「何を朝から騒いでるんですか? あなたは?」
「あぁ! 出たわね美桃桜子!!」
「今は桜井美桃として通っていますので、ペンネームで呼ぶのは控えてください」
「なによ! それって、本名でやってるあたしが恥ずかしいとでも言うのかしら?」
「そんなことは、一言も口にしていないのですが?」
「口にしてないってことは、心の中ではそう思ってるってことでしょうが!!」
「……」
「やっぱりね! あなたいい度胸じゃない!! 勝負よ勝負!!」
人通りの多い通学路で小競り合いを繰り広げる二人。といっても、零が美桃に突っかかっているだけなのだが、傍から見ればそんな光景も絵になるほど二人には華やかさがあった。
その中に一人あまりパッとしない男子生徒が混じっていることに他の人間は違和感を覚え、そして“なぜおまえがそこにいるんだ?”という視線が治乃介に突き刺さる。
しかし、当の本人はそんな視線など意に返さずとばかりに、ぼんやりと二人のやり取りを眺めていた。
「……」
「大体あなたはねぇ、先輩に対する敬いというものが足りないのよ。あたしの方が一つ年上なんだから、少しは遠慮しなさい」
「年上だからといって、敬意の払えない人間を敬う必要はないと思いますけど? むしろ、年上であるのならそれらしい行動と態度を取るべきではないですか?」
「今はあなたのことを話しているのよ!! あたしのことは関係ないわ!!」
「……」
一体何の話をしているのやらとばかりに、治乃介は二人の話をしばらく聞いていた。だが、内容に興味が湧かなかったため、そのまま自然にフェードアウトするように彼はその場を後にした。
その動きは、まるで気配を殺した忍者の如き動きであった。そのため、言い争っていた二人は治乃介がいなくなったことに気付くのが遅れ、それから数分後になってようやく彼がいなくなったことを認識したのである。
さて、零と美桃の二人を撒いた彼はというと、相変わらず家に戻った後の家事について脳内シミュレートを繰り広げていた。
特に、台所の上部の棚の奥をどのようにして攻略するかについて綿密な戦略を構築していたのである。
だがしかし、やはりというべきか、早乙女乱菊との一件が尾を引いているようで、嫌でも彼に注目が集まってしまう。
そんな好奇な目に晒されている中に、治乃介を窺っている視線が混じっている。
彼は家事のことで頭が一杯になっているため気付いてはいないが、彼を窺うねっとりとした視線は、そういったものに敏感なものからすれば不快に感じてしまうほどであった。
だが、そういった視線を向けている者たちが、直接治乃介に接触してくることはない。
あくまでも秘密裏に行動したい連中であるため、不特定多数の目がある今、彼に声を掛けるということを嫌ったということが一つ。そして、もう一つは他の敵対勢力の牽制がある今、先に動くことは得策でないと判断したためである。
そういった連中の目に見えない攻防がなされているとも露知らず、治乃介は校門から下駄箱に向かっていた。
「おはようございますせんせ……こほん、治乃介君」
「また、あなたですか」
「放課後、少し時間をもらいたいのだけれど、いいかしら?」
「わかりました」
そこに待ち構えていたかのように現れたのは、件の事件の張本人である早乙女乱菊であった。
再び治乃介に接触を試みようとする彼女の執念もさることながら、今回は何やら別の目的を含んでいる雰囲気を持っているため、多少面倒臭さを感じながらも、彼は乱菊の誘いに乗ることにした。
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