37話
ハンデ戦……それは主に競馬などで使われるハンディキャップ競走のことを指し、実力に差がある相手と五分五分程度の勝負ができる条件で行われる競技である。
それはスポーツの試合やその他の勝負事にも用いられることが多く、圧倒的実力差を埋め、対等な勝負ができるところまで不利な相手の勝利条件やルールを改訂して行われるものである。
今回のラノベ作家の対決においてもハンデ戦が適用可能で、例えば勝利条件を“相手の売り上げ部数に対し、〇倍以上の差を付けること”という条件を加えれば、勝率がどちらかに傾くことがなくなるというものだ。
しかし、そもそもの話としてハンデを付けるということは、それだけハンデを付けられる相手が有利ということもあり、仮に条件として対等な内容だったとしても、最終的には有利な方が勝つ場合が多い傾向にある。
「つまり、俺の書籍の売り上げが、おまえの書籍の売り上げの何倍以上になれば俺の勝ちという条件で勝負をするということだな」
「そういうことです。例えば、あなたの勝利条件が俺の書籍の売り上げ数の五倍以上で勝利という条件の場合、俺の売り上げ数が仮に十万部だった場合、あなたは五十万部以上の売り上げを叩き出さなければならないということです」
「なるほど。……面白い! その条件で勝負してやる!!」
「最後まで話を聞かない人ですね。この条件だと、俺の売り上げ数が二十万部だった場合、その五倍の百万部の売り上げを出さないといけないってことですよ」
「そんなことはわかっている」
「だ・か・ら。あなたが望んでいるのは対等な勝負でしょうが! これだと、今度はこちらに有利な条件になってしまうってことになる」
「ぐぬぬぬぬ、ではどうしろというのだ!!」
それから、あーでもないこーでもないと、いろいろと勝負の内容を話し合った結果、治乃介の売り上げ部数に対し三倍以上の差を付ければ勝ちということになった。
「では、改めて言いますが、勝負の内容は今月発売した新刊の売り上げ部数によって勝ち負けが決定し、あなたは俺の売り上げ部数に対して三倍以上の差……例えば十万部であれば三十万部以上、二十万部であれば六十万部以上の売り上げを出せば勝ち、それ以下ならば俺の勝ちということで。それで問題ありませんね?」
「ああ、それでいい」
「じゃあ、これでもう用が済んだでしょう。お引き取りを」
「……いらん」
「なんです?」
「それだ。俺に対し敬語はいらん」
勝負の内容が決まり、流聖の用が済んだと見るやすぐに編集部から追い出そうとする治乃介だったが、彼は治乃介に対してそのようなことを言ってきた。
どうやら、彼の中でライバルに敬語を使われるのはどこか対等な存在としてむず痒い部分があったらしいが、治乃介にとっては年上であり小説家としても遥かな格上にいる流聖にタメ口を使うというのは気が引けた。
なりよりも、治乃介自身が逆の意味で流聖と対等な関係になりたくないという思いがあり、どこか一線を引いているところがあった。
もちろんだが、この対等な関係になりたくないというのは悪い意味であり、こんな頭のおかしい人間と同じだと思われたくないというささやかな抵抗からくるものであることは言うまでもない。
「逆ですよ」
「なに?」
「今のあなたと俺の関係はそういう関係だということです。俺があなたに敬語を使っているのは、対等な関係になりたくないという拒絶です。もっと言うなら、対等な関係になる資格があなたにはない。それだけ、あなたが俺や英雄社の人たちに迷惑を掛けてきたということになる。そんな人間と同じだと思われたくない」
「ぐふっ」
「自分勝手に行動した結果、他の出版社に突撃をかました挙句その会社に出入りしている作家を名指しで呼び出そうとし、迷惑にもかかわらず居座る。自社が契約している出版社に無理を言っての急な発売日の変更。そして、再びの突撃。一体どれだけの人間に迷惑を掛ければ気が済むんですか。あなたは」
「ぐはっ」
「そんな常識知らずの迷惑な人間と対等な関係に誰がなりたいと思うんです? はっきり言ってゴミですよ、ゴミ」
「てはっ」
治乃介の唐突な言葉に、流聖は大ダメージどころかオーバーキルを食らう。
彼の最終的なゴミ発言にいくら強靭な精神力を持つ流聖とて耐えられず、たまらず両手両足を床に付け再びのORZな状態となる。
治乃介の辛辣な感想に、その場にいた編集部の人々も心中で称賛を送っていた。
確かに、治乃介が英雄社の編集部に出入りする以前から連日のように突撃し、無名玄人を出せと要求する行動を流聖が行ってきたのは揺るぎのない事実であり、それが原因で多少なりとも業務に支障が出たこともまた変わらない事実である。
そんな迷惑男にライバル認定されるばかりか、事あるごとに絡んでくるなど、一体どんな罰ゲームだと思いたくもなる。
挙句の果てには、対等な関係になりたいから敬語をやめろと口に出し始める始末。はっきり言って、治乃介でなくとも流聖の言動を快く思わないのは当然のことであった。
「さすがは我がライバル。この俺にこれほどのダメージを与えるとは……」
「そのライバルっていうのもやめてください。不愉快です」
「ぐおっ、ここに来て更なる追い打ちとは……恐れ入る」
最終的には、一向に帰ろうとしない流聖を治乃介が無理矢理引っ張り、前回同様編集部の外に叩き出すことになった。
その時、その場にいたみゆきに気付いた流聖が「おお、愛しの子猫ちゃん」などと気障な台詞を宣ってくれたが、そんな流聖に目もくれない彼女の態度と、邪魔な人間を排除する治乃介の意見が合致したことで、速やかに編集部から追い出されることになってしまった。
流聖が追い出される直前、あたかも対等な感じで「いい勝負をしよう」などと言ってきたが、残念ながら勝負にすらならないだろうと治乃介は感じていた。
腐っても累計販売部数九百万超えの実績は伊達ではなく、デビューしたばかりの彼では、三倍程度のハンデなどあってないようなものであると考えていたのだ。
だから、正直に「そんな勝負にはなりませんよ」とだけ返し、そのまま外に押し出すように編集部から叩き出したのだが、大音声で「無名玄人! おまえが何と言おうと、おまえは俺の終生のライバルだ!! そのことを今わからせてやる!!」などと口にし、高笑いでその場を去って行った。
そんな彼の態度に、あからさまに眉を寄せて怪訝な表情を浮かべる治乃介だったが、とりあえずは邪魔者を排除できたことで、事態は終息に向かっていったのであった。
「大変なことになったわね。でもこれはチャンスでもあるわ」
「チャンス?」
「あの子の持つネームバリューは伊達じゃない。ハンデを貰っているとはいえ、そんな相手と戦って勝てれば、無名玄人の名声は益々日本中を駆け巡ることになるでしょうね」
「あの人を踏み台にするってこと?」
「そうよ。向こうから喧嘩を吹っかけてきたんですもの。当然、利用される覚悟くらいはあるでしょうよ。でなきゃ、あそこまでの啖呵を切るべきじゃないわ」
「……」
転んでもただでは起きないとはよく言ったもので、みゆきは今回のことを利用して無名玄人の名声を高めることを考えていた。
彼女にとって、流聖などちょっと見た目がいいだけの坊やであり、息子の踏み台になるための存在という価値しかない様子であった。
治乃介の流聖に対する扱いも大概であったが、みゆきのそれは彼を踏み台としてしか見ていないことを鑑みれば、その辛辣さは治乃介の上を行くかもしれない。
そういった意味では、似たもの親子と言えるのだろうが、治乃介本人としてはそこは是が非でも否定したいところであった。
「と、とにかく。しばらく様子を見てみよう」
「そうね。ふふ、精々私たちの掌で踊ってちょうだい」
ニヤリと口端を吊り上げたみゆきを見て“魔性の女”という言葉が浮かんだ治乃介であったが、それを口にすればどういった結末が待ち受けているかはわかりきっているため、まかり間違っても彼がそれを口にすることはない。
だが、人間思わずという突発的に出てしまうということはままあることで、彼女のあまりにも清々しい程の態度にある人物が口を滑らせた。
「……魔性の女ですね(ボソッ)」
「環編集長、それはどういう意味かしら?」
「あっ、しまっ――」
慌てて口を塞ぐ佑丞であったが、時すでにお寿司……否、遅しであり、彼の肩にみゆきの手が掛けられた。
「どこが魔性の女なのか、そこのところしっかりと説明してもらいましょうか?」
「お、治乃介くん!?」
「……」
自分の失言を後悔する佑丞であったが、一縷の望みを賭け、治乃介に助けを求める。
だが、治乃介とて全知全能ではない。できることとできないことがあり、今のみゆきを止めることはできないことに分類されていた。
「おーちゃん、今日はもう帰っていいわよ。私はちょっと彼と肉体さいば……OHANASHIがあるから」
「わ、わかった」
佑丞の思惑を察知したのかどうかはわからないが、みゆきは治乃介に帰宅を促した。
彼としても、もはや編集部に特筆すべき用はなく、帰れと言われたら帰る他ない。
どう転んでも逃げられないと悟った佑丞の顔が絶望に染まる。
だが、それで許してくれるほど、彼女は甘い相手ではない。
「では、行きましょうか。環編集長」
「た、助け……助け――」
そう言いながら、みゆきは引きずるように佑丞を会議室へと引っ張っていく。
誰かに縋るように口に出た救援の言葉が、会議室の扉が閉まることで遮られた。それが、彼の最後の言葉であった。
「北〇百裂拳!」
「あ・べ・し!!」
「ゴ〇ゴ〇のガトリング!!」
「がばばばばばばば」
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ」
「あんまりだぁーーーー!!」
「……」
会議室の中で一体何が起こっているのか、その詳細は判りかねる。
だが、佑丞が悲惨な目に遭っているということだけは、内から聞こえてくる彼の断末魔の声でなんとなく理解した。
せめてもの弔いとして、編集者の人たちはみゆきと佑丞のやり取りについて一切反応することなく、各々の仕事に集中することにしたようだ。
「……帰るか」
治乃介もそんな彼らに倣って、佑丞の無事を祈りつつ、英雄社を後にするのだった。
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