36話
「どうしたの母さん? 急に呼び出したりして」
「あいつやりやがったわよっ!!」
「何のこと?」
「これを見てちょうだい!」
帝流聖との初邂逅から数日後、治乃介は英雄社に呼び出された。
珍しくみゆきからの呼び出しとあって、その日の家事を済ませると治乃介はすぐに家から飛び出した。
編集部に顔を出すと、いつも打ち合わせで使っている会議室に通された彼だったが、そこにいたみゆきが開口一番わけのわからないことを叫び出したのだ。
みゆきが奇行に走るのはいつものことであるからして、特に驚いた様子のない治乃介であったが、それよりもいつもと比べて彼女が焦った様子を見せているのが気になっていた。
そして、テーブルに叩きつけられるようにして置かれた雑誌はライトノベルの発売に関する情報誌のようで、開かれたページには以下のような記載があった。
【八月発売のライトノベル】
○○○○ 著者 ○○○○ 【20×〇年8月3日発売】
□□□□ 著者 □□□□ 【20×〇年8月7日発売】
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勇者伝説 二巻 著者 無名玄人 【20×〇年8月27日発売】
ソード&マジカルズクロニクル 十二巻 著者 帝流聖 【20×〇年8月27日発売】
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「これは」
「そうよ、あいつわざと勇者伝説の新刊発売日に、自分の作品をぶつけてきやがったのよ!!」
「なるほど」
「おーちゃん、これはあの男の宣戦布告よ。さっそく動いてきたってわけね!」
「みたいだね」
憤慨するみゆきとは打って変わり、特にこれといった反応を治乃介は示さない。
デビューしたばかりの彼にとって、作家の世界の矜持やあれこれに精通しておらず、ただただ発売日が同じなんだという読者とほとんど変わらない感想しか抱かなかったのだ。
プンプンと恨み節を口にするみゆきを治乃介が宥めていると、会議室の扉をノックする音が聞こえる。
返事を待たずに入ってきたのは、編集長の佑丞で、どこか慌てたような様子であった。
「環さん、どうかしたんですか?」
「あ、ああそれが……」
どこか言いにくいといった様子の佑丞だったが、彼が言い淀む原因であろう人物の大音声が響き渡った。
「無名玄人ぉー!! 居るのはわかっている!! 無駄な抵抗はやめて大人しく出てこい!!」
「……」
その声は忘れもしない、あの見た目の良さだけしかない男。帝流聖の声であった。
まるで、こちらを犯罪者のような言い方に治乃介も不快感を覚えたが、このまま会議室に隠れていても諦めて帰らないだろうことは明白であるため、大人しく会議室から姿を現す。
「またあなたですか」
「無名玄人。この情報誌を見たか?」
「ええ先ほど見ました。それが何か?」
「であれば、おまえの新刊と俺の新刊が同じ日に発売されることも理解できているな」
「はあ」
「無名玄人、俺と勝負しろ!」
「……あなたは馬鹿ですか?」
流聖の突拍子もない言動に、治乃介は呆れ返る。
彼の言葉と行動は、自分の立場と相手の立場を理解していないと言っているようなもので、それは周囲に滑稽な印象を与えた。
わざとやっているのならまだしも、彼の顔色から察するに本気であることが窺える。
もし、今取っている行動が演技によるものであるのならば、流聖は相当な役者ということになるのだが、残念ながら役者顔負けなのは見た目だけであり、中身については残念としか言いようがない。これぞまさに、残念美人ならぬ残念イケメンといったところであろう。
「馬鹿とはなんだ、馬鹿とは!」
「現時点であなたが俺に作家として勝負を仕掛けてきた時点で、あなたの立場と俺の立場をまったく理解していないということになるからですよ。……いいですか? あなたの今のシリーズ累計販売部数はいくつですか?」
「ん? 九百六十万部だが」
「環さん、俺の累計販売部数っていくつですか?」
「ちょっと待ってね。……ええと、確実な数字として上がってきてるのだけでなら四十二万部ってところだね。市場全体では五十万部はあるだろうけど、読者の手に渡ったという意味での販売部数としては四十二万ということになるね」
「だそうです。これで俺がなにを言いたいのかわかったでしょう?」
「わからんが」
治乃介は、今の現状を理解していない流聖に丁寧に説明してやることにした。
だが、表面上の説明だけでは彼に伝わらなかったらしく、頭の上に?を浮かべている。
そんな彼の態度にあからさまな溜息を吐きつつも、治乃介は根気よく彼に説明を続けた。
「つまりはですよ。あなたと俺の累計販売部数の差はざっくり九百二十万部あって、倍率的には二十倍以上の差がついてます。数は力と言うように、あなたと俺では累計販売部数に差がありすぎて、知名度からして圧倒的に違いが出てしまう。そんな相手に何の勝負を挑むつもりですか? 発売日を同じにしたということは、売上数で競うつもりだったようですけど、圧倒的に知名度に差のある有利な状態で勝って満足なんですか?」
「うっ……」
ここまで説明されて、流聖はようやく気付いた。
自分が圧倒的に有利な立場にあり、治乃介に対して不利な条件で勝負を挑ませようとしたことに。
いくら彼が治乃介のことをライバル認定したところで、それはあくまでも彼個人の評価であり、それが世間一般の評価とイコールになるとは限らない。人と人を評価する際、客観的な視点からどこで評価するのか。それは数字である。
結婚相談所で女性が男性を選ぶ時に年収という数字で見ているように、男性が女性を選ぶ時、女性の年齢という数字で見ているように、人は人を客観的に評価する際、その人が持つ数字という表面的なものでしか評価できないのである。
累計販売部数九百六十万部の作家と四十二万部の作家を比べた時、どちらが知名度があるかなど自明の理であり、どちらの作家が書いた本を読みたいかと聞かれれば、当然数字を持っている方の作家の本を選ぶのは至極当然のことであった。
「つまりあなたは、俺に対し有利な条件での勝負を仕掛けてきた。圧倒的に知名度がある自分の立場を利用し、それを理解しようともせず、目先の勝負にこだわった」
「そ、それは」
「こんなことちょっと考えれば小学生だってできる計算だ。だというのに、あなたはその小学生ができる計算すらできていない。はっきり言ってあげましょうか? 今のあなたは俺に勝負を仕掛ける資格すらないということなんですよ」
「ぐふっ」
前回に引き続き、またしても治乃介のオーバーキルが流聖に炸裂する。
その辛辣な一言に、流聖もたまらず両手両膝を付いて床に伏せった。所謂ORZな状態だ。
だが、ここで治乃介は言葉のマジックを仕掛けた。
普通に考えれば、勝負を仕掛ける側は販売部数の少ない治乃介側で、有利な立場にある流聖がそれを受けて立つ形になるはずなのだ。
しかし、今回はその逆で流聖側から勝負を仕掛けてきているため、勝負を受ける側の立場にある治乃介の方が数字的には下でも、立場的には上位になるという通常とは何もかもがあべこべな状態となっていた。
普通に考えれば、勝負を仕掛ける資格がないのは無名玄人……治乃介なのだが、今回はその治乃介側が勝負を受けるか否かの選択権を握っているため、今回のような数字的には格下の人間が大きな態度で格上を見下すというおかしな現象となってしまったのである。
どちらにせよ、数字的に不足しているのは治乃介側であり、せめて彼の累計販売部数が流聖の半分くらいあればいい勝負ができると思うが、現状では数字に差があり過ぎるため、勝負にならないのだ。
治乃介と流聖どちらの立場から見ても、この勝負自体が対等な立場ではない以上、すでに結果は見えている。流聖の圧倒的大勝利という結果が。
だが、それは彼の本意ではなく、ライバルと認めた治乃介と勝つか負けるかわからないぎりぎりの勝負で勝利を収めたいという何とも贅沢な願望を抱いていた。
「はあ、仕方ないですね。では、ハンデ戦をやってみますか?」
「ハンデ戦だと?」
本気で落ち込んでいる流聖を見かねた治乃介が、彼にとあることを提案してきた。
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