34話



 流聖の叫びに、周囲の音がかき消される。それほどまでの大音声であった。



 佑丞の説明の通り、流聖は治乃介が喧嘩を吹っかけてきたと結論付けた。もちろん、家事が大好きな平和主義者な治乃介が、意図的に誰かに喧嘩を売るような真似をするはずがなく、ただただ純粋に物を知らなかっただけなのだが、彼からすればどちらでも同じことであった。



 超が付くほどの売れっ子作家である自分を知らないと宣い、あろうことか中華料理屋と揶揄した。流聖にとっては明らかな侮辱行為であり、それだけで彼が怒る要素としては十分だった。



「……」


「な、なんだ? 何か言ってみろよ!?」


「……」


「え? あ、ちょっ」



 対する治乃介といえば、流聖の勝負の申し出に再び無反応を示す。彼が追及する中、治乃介は徐に彼に歩み寄り彼の腕を掴む。そして、そのまま引きずるように編集部の出入り口へと引っ張っていく。



「お、おい! な、何をするんだ?」


「……」


「は、放せぇ! 一体何をする気だ!?」


「……」



 そのまま、出入り口へと流聖を連行していく。その力は強く、それだけで彼がみゆきの血を引いているということがよくわかる。



 治乃介の身長は173cm、体重62kgで、対する流聖は身長183cmの体重72kgである。

 普通に考えて身長も体重も劣っている治乃介が、流聖と力比べをして勝てる道理はないように思える。



 ましてや、流聖はただ体格が大きいだけではなく、ジムなどに通って無駄な贅肉が体に付かないようトレーニングを欠かしてはいない。

 つまりは、力自体も常人よりもあると言っていいのだ。だというのに、流聖が治乃介に力負けしているという現実が目の前に広がっていた。



 自分よりも背の小さい相手に力負けした挙句、無理やり引きずられるという男としてさらなる屈辱を味わっていた流聖であったが、ここでさらに彼の自尊心をズタズタにする出来事が起こった。



 周囲の人間も一体治乃介が何をするのか見守っていると、出入り口へと辿り着いた治乃介は、扉を開けそのまま引きずっていた流聖を扉の外へと叩き出したのだ。



「な、なにを?」


「俺も暇な人間じゃないんです。当然ですが、編集部の方々も忙しい。そんな中、あなたの我が儘で一体どれだけの人間に迷惑が掛かったか理解していますか? あなたの我が儘に付き合っている時間はないんです。では、そういうことで」



 ――ガチャン。



 そう言い放った治乃介は、驚愕する流聖に目もくれずそのまま扉を閉めた。



『えぇー』



 その場にいた全員の心の声が重なる。確かに、いきなりやってきた流聖に英雄社の社員たちは迷惑しており、多少業務に支障が出ていたのは事実だ。



 だからといって、日本のラノベ界を席巻する超人気作家の一人である流聖をあそこまで足蹴にするような行為に、治乃介の大物ぶりを褒め称えればいいのか、無知で怖いもの知らずな愚行を非難すればいいのか、その場にいた全員がわかりかねていたのだ。



「な、なん……だと。ば、馬鹿な……あり、えない……」



 そう、あり得ない。“日本ラノベ界のトップであるこの帝流聖に、このような仕打ちをして許されるはずがない”と流聖は怒りに拳を震わせる。



 そして、鍵の掛かっていない扉を勢いよく開くと、今までにない程の大音声で叫んだ。



「ふざけるなぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!」



 それは、静まり返っていた編集部の端の方まで聞こえるほどの怒号であった。

 さらには、纏っているオーラのようなものが視認できるのではなかと錯覚するほどの威圧感であった。



 流聖とて一門の人間である。その才能は半端なものではなく、そんな彼が威圧をすれば、内に秘めていた覇気がダダ洩れとなる。



 実際、その覇気に充てられた周囲の人間が委縮してしまい、身動き一つできないでいる。

 なんとかまともに平静を保っているのは、編集長の佑丞くらいだろう。



「俺は帝流聖! 日本ラノベ界に君臨する帝王!! ぽっと出の作家如きが、この俺に、何をしたぁぁぁぁぁああああああ!!」


「……」



 流聖の敵意を直接受けている治乃介が黙ったまま俯いている。さしもの彼も、流聖の覇気の前では身動き一つ取ることができないでいた……かに見えた。



 だが、俯き加減の顔を上げた彼の表情からは、圧倒され委縮している色は浮かんでおらず、寧ろ激昂する流聖に冷ややかな視線を向けていた。



 その視線は、明らかに侮蔑や呆れといった表情を浮かべており、流聖の放った覇気などまったくといっていいほど意に介していなかった。



 その事実を突きつけられた流聖は、途端に目の前にいる少年に脅威を感じる。あれだけ自分の渾身の覇気を受けて、眉一つ動かさず、呆れたような表情を返してくる存在など、限られていた。



(危険だ。この男……危険過ぎる)



 ここにきてようやく治乃介の内に秘める才能に気付いた流聖だったが、気付いた時には後の祭りであった。



 流聖ほどの実力者の覇気を受けて平然としていられるということ。それ即ち、治乃介が自分と同格か下手をすればそれ以上の潜在能力を持っているということを意味している。



 常に頂点に君臨してきた流聖にとってそれはとても許容できるものではなく、本日何度目かの屈辱を彼は味わう。



「周りを見てみてください。あなたの目には何が映っていますか?」


「なに?」



 治乃介にそう言われて、流聖は初めて周囲の人間に目を向ける。

 そこに映し出されたのは、自分の覇気に委縮し恐れ慄く人々の姿であった。



 その瞬間、流聖は治乃介が何を言いたかったのか理解したのだ。

 自身の欲のため、他者に迷惑を掛けるという愚行を犯したことに……。



「人は一人では生きてはいけない。自分以外の他人の手を借りて初めて生きることができる。あなたや俺が作家として輝くことができるのは、我々の創り上げたものを書籍という形にしてくれる裏方の存在がいることを忘れてはいけない。自分の実力などと驕ってはいけない。彼らがいなければ、我々はただの趣味人に成り下がるのだから」


「っ!」



 治乃介の言葉に流聖ははっとした。

 一体、いつからそう思うようになってしまったのだろう。



 自分の作品が売れているのは、自分の実力であり、他の誰かのお陰ではないということを……。



 書籍は出版社を介して出版・販売される。そのため、作家が作り上げた作品を商品として形作る人間がいることになる。



 小説の場合、作家の執筆した作品を書籍化という形で商品化するのだが、いくらたくさんの物語を書こうとも、それが商業的に需要があり、かつ多くの利益が見込めると判断するのは、小説を書いた本人ではなく、裏方の人間なのだ。



 逆を言えば、いくら自分が面白いと思える作品を生み出そうとも、出版社がそれを商業化する意思を見せなければ、例えどんなに面白い小説であっても書籍にはならないのである。



「デビューして間もない俺ですら、それくらいは弁えているつもりです。これだけ言ってわからないのであれば、俺はこれ以上あなたと話す舌を持ちません」


「……」


「ここはあなたのいる場所じゃない。お引き取りを」



 もはや話すことはないとばかりに、治乃介は手で退室を促す。自分よりも年下の若い少年にここまで言われて、これ以上の騒ぎを起こせば、それこそ大人としての威厳を失うことは必至だ。



 そして、治乃介の目が如実に物語っていた。“邪魔だからとっとと失せろ”という拒絶の意志が込められていることに……。



 完全に打ちのめされる形となった流聖は、まるで風船がしぼんだかのようにしゅんと沈んだ状態で、彼に促されるままとぼとぼとした足取りで編集部を後にした。



 無名玄人の、文豪寺治乃介の完全勝利であった。

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