32話



 時は治乃介が教室を飛び出し、乱菊と圭吾朗のいる場所へ辿り着くところまで遡る。



 モニターには、画面でまるで子供のようにお互いの頬を抓って喧嘩をする二人の姿があった。



 そんな状況の中、先ほど教室を出て行った治乃介が到着し、雄叫びのような叫び声を上げる。



「いい加減にしろ!!」



 その声に堪らず乱菊と圭吾朗は動きを止める。

 そして、有無を言わせぬ怒気を放ちながら二人を正座させ、治乃介の説教が始まる。



 だが、しばらくして乱菊の様子に変化が訪れた。

 その表情は恍惚とした妖艶な雰囲気を放っており、はっきり言って思春期真っただ中な少年少女たちにとっては目の毒であった。



 それを察した教師たちもモニターの電源をオフにしようとも考えたが、ここで電源をオフにすれば、治乃介のように外へと飛び出し、現場へ向かう可能性があったため、やむなくモニターの電源を消すことを断念した。



 そして、ここで治乃介にとって嬉しい誤算が舞い込んでくる。

 それは、乱菊の言動から二人が恋人関係にあるのではないかと勘繰った一部の生徒がいたのだが、治乃介の乱菊に対する剣幕を見て、少なくとも両思いではなく乱菊の一方通行な片思いだということを理解させられたのだ。



 もっとも、教師という立場の乱菊がいち生徒である治乃介にそういった感情を持つこと自体が異常といっていいのだが、通常時から不思議な言動を取ってきた彼女であるため、すべて“早乙女先生だからな”という言葉で片付けられてしまうのだ。



「はあ、はあ、はあ……」


『めっちゃ、エロぉーい』



 妖艶な姿の乱菊を見て、モニターを見ている男全員の心の声が一つとなって響き渡る。

 それほどまでに、今の彼女から大人な女性のフェロモンが漂っていたのだ。



「はあ、あんっ、はあ……」


『おっふ』



 そして、そんなものを見せつけられた結果、生徒や教師の中から前かがみになる者が続出する。

 穢れを知らない純粋な女子生徒は、なぜ男子生徒がそうなっているのか理解しておらず、理解している女子に至っては「これだから男子は」などと悪態を吐いている。



 だが、モニターに映し出されている乱菊の姿は、同性の女子であってもその妖艶さがひしひしと伝わってきており、それが異性であるならば、そういった反応を示すのは無理からぬことであると、すぐに納得した。



 さらに、男子とは別に過剰な反応を見せる一派も現れ出した。



「きゃあー、お姉様ぁ―!」


「す、素敵過ぎますわ」


「はな、鼻血が……」



 かつては衆道などという文化があり、男同士の色情などがあった時代が存在した。

 現代においても、BL……ボーイズラブなどという形でその文化は色濃く残っている。



 男性同士のそういったアレコレがあるのなら、当然その反対の女性同士のアレコレもあって然るべきであり、黄色い悲鳴を上げている彼女たちは、まさにそれに属する者なのだろう。



 そんな反応を見せる者が多い中、また違った反応を見せる者もいた。



「おい、見ろよ咲! あの早乙女先生のぷるぷるしたおっぱい。どっかのデカ尻女とはおおちがい――ぎゃあぁぁぁぁぁぁああああ」


「何か言ったかしら? 小説ばかり読んで目が腐ってしまってるようね」


「め、目がぁー、俺の目がぁぁぁぁあああああああ」



 ……間違えた。これが、本題だ。



「まさか、文豪寺君が……」



 それは、誰にともなく呟いた言葉だった。

 彼女の目に映るのは、憤怒の表情を浮かべる見知った男子の姿だったが、彼女は他の生徒とは異なる見方で彼が見えていた。



 小説家として、物を創造するクリエイターとしての観点から、美桃は今の治乃介の纏う雰囲気を敏感に感じ取っていたのだ。



 それは、モニター越しでも十二分に伝わってくるほどに重く強力なものであり、直接的に敵意を向けられていないにもかかわらず、彼女は彼の気に充てられ、圧倒されていた。



「あ、あいつがなんで……」



 そして、ここにも治乃介の異常性に気付いた人間がいた。



 誰かといえば、先日美桃桜子と無名玄人に勝負を挑み、見事に惨敗する結果に終わってしまった美作零である。



 実は、彼女も文芸高校の生徒であり、治乃介と美桃の一個上の先輩であったのだ。



 しかしながら、発育があまりおよろしくないのか、美桃の方が先輩の見た目をしており、どことは言わないが、特に体のある一部分に関しては完全に負けていた。



 それはともかくとして、彼女もまたモニターから伝わってくる威圧感を感じており、その異常性に気付いていた人間の一人であった。



「なぜあいつが姉さんと同じ威圧を……」



 零は、先日出会ったばかりの少年になぜあれほどの威圧感が放てるのかわからなかった。



 一つ可能性があるとすれば、彼が英雄社の副編集長を務める業界でも有名な人物の息子であるということであり、その血に流れているものがそうさせるのかとどことなく推測していた。



 美桃もそうだが零もまた非凡なる才能を持ち合わせ、それを発揮し小説を執筆してきた人間だ。

 しかしながら、他者の才能を感じ取る能力に関して言えば、二人ともそれほど優れてはいない。



 だからこそ、治乃介と無名玄人が同一人物であるという結論に至った乱菊の異常性が浮き彫りとなっており、治乃介本人もまさか小説に使ったたった一つの言い回しから、自分が無名玄人であるという結論に辿り着くなど夢にも思っていなかったのである。



「どちらにせよ。あとで問い詰めなきゃいけないわね」


「治乃介君、あなたは一体何者なの?」



 モニターに視線を向けながら、零がそんなことを口にする。

 美桃は美桃で治乃介が何者であるのか、その正体を知りたいという好奇心に駆られていた。



(あのガキ、やはり覇気を開眼してやがったか……)



 そして、ここにもまた治乃介の特異性に気付いている人間がいた。

 それは、彼の担任でもあり先日彼と一戦やらかした人物……相賀一森であった。



 彼もまた自身が担当する授業を通して治乃介の文章から伝わってくる異様と言うべき才能を感じ取っており、何かしらの創作を行っているのではないかと薄々感じ取っていた。



 しかし、具体的にどんなことを行っているのかという詳細は掴めておらず、彼もまた治乃介が無名玄人であるという真理には辿り着いてはいなかったのである。



(だが、自分の意志でコントロールできてねぇところは、まだまだ未熟ってところだな)



 モニターに映し出される状況から、そんな結論を出した一森は事の成り行きを見定めるべく他の生徒たち同様モニターへと意識を向けるのだった。



(……それにしても、デケェな。いやいや、ダメだ。俺にはみゆっきーという心に決めた人が……)



 モニターに映し出される乱菊の豊満な体つきに反応しかける一森であったが、自分には推しがいるということで、鋼の意志を持って理性で抑え込む。彼は意外と硬派な人間なのかもしれない。



 治乃介の周囲の人間が彼の異常性に気付き始める中、未だ影に潜み表舞台に出てこない実力者たちもまた、彼の能力を敏感に察知していた。



「彼、使えるみたいだね」


「いいや、ありゃあ無意識にやってやがる。まったくコントロールがなってねぇ」


「でも使えることに変わりないじゃないか。あの領域に辿り着ける人間が何人いることやら。早乙女先生と校長も使えるけど、それは想定の範囲内だ。彼のあれは明らかなイレギュラー、瓢箪から駒的なものだよ」


「……どうする? こちら側に引き込むか?」


「まだ様子を見よう。我々が表舞台に立つには、時期尚早だ」


「……」



 治乃介が乱菊と圭吾朗に怒りをぶつけている中、裏に潜む者たちは確実に動き始めている。

 そして、彼らだけではなく他の実力者たちもまた治乃介の特異な才能に感化され始めていた。



「すごぉい、乱菊先生がああなるのも無理ないわねぇー。……美味しそう、食べちゃおうかしら?」


「やめておいた方がいい。あれは危険。近づかないのが正解」



 またある実力者は……。



「……」


「アレが今年の新入生か」


「……」


「面白そうな奴だ」


「……」


「……なんか喋れよ!!」


「……ふごっ、あ、ああなんだ? 寝てた」


「寝てたんかい!!」



 文芸高校に燻る実力者たち。一般の生徒たちに混じって連中もまた、文豪寺治乃介というニューフェイスを認識する。



 これが新たな勢力図を塗り替えるきっかけとなるのか、はたまた治乃介自身が新たな勢力として台頭するのか……。それは、まだ誰にも予測できないことであった。

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