31話
「では、これにてわしの挨拶を終了する。気を付けて帰るのじゃぞ」
校長の締めの言葉で、全校生徒に向けた挨拶が終わったかに見えた。
だが、ここで予定にはない行動を起こした人物がいた。言うまでもなく、早乙女乱菊である。
「これで、全校集会を終了します。最後に一つ私から伝言です。1年F組文豪寺治乃介君、あとで職員室に来るように」
「こ、こら! 早乙女先生、何を言っておるのじゃ!? 治乃介君、今のは気にしないでいい。職員室には来なくてよい――」
「いいえ、治乃介君。ホームルームが終わり次第至急職員室に来なさい」
「……生徒諸君、しばし待たれよ。早乙女先生、こっちに来るんじゃ」
そう言って、画面外に乱菊を連れて行くと、すぐさま小声で言い合いが始まった。
「……何をやっておるんじゃ! 今は、そんな個人的なことを言っていい場所ではないことは、わかっておるじゃろう!!」
「ですが、こうでもしなければ」
「とにかくじゃ! もう、彼の勧誘については彼が断わった時点で終わった話じゃ。大人しく諦め――」
「嫌です! 私はどうしても治乃介君を文芸部に入部させたいのです!! 例え、校長の命令に背いても、私は彼を諦めません!! 治乃介君は私のものです!!」
二人とも小声で話しているが、現代の科学技術は目覚ましいもので、カメラに内蔵されている広域マイクは、しっかりと二人の声を拾っていた。
そうとなってくれば、内心穏やかでないのが治乃介である。
さすがの乱菊も、教師としての矜持があるのか、今まで公式の場でそういった行動を取ることはなかった。
だが、今回は乱菊が暴走した結果、このような事態が起こってしまっている。
そして、それを聞いている全校生徒。これが意味するものとは……即ち、悪目立ちである。
これで、全校生徒に文豪寺治乃介という名前が認知されることとなり、彼に対して様々な感情が向けられることとなるだろう。
それは、羨望や好奇の目であればいいが、中には嫉妬や憤怒といった負の感情を向けてくる者も少なくない。
それは時にエスカレートし、イジメというものに発展することは想像に難くない。
しかしながら、治乃介は自分がイジメられるということではなく、もっと別のことを心配していた。
(イジメられたら母さんが動いてしまう……それは、何としても阻止せねばならない!)
彼とてもしそうなった場合、ただ黙っている人間ではなく、しっかりと証拠固めなどを行い制裁するつもりだ。
だが、彼の母はそれに関連する人間すべてを社会的に抹殺してしまうほどの力を持っており、本人はそれが当たり前だとすら思っている。だからこそ、質が悪い。
「ええい、わからずや屋め! そんな奴はこうじゃ!!」
「ふぁにふるんふぇすふぁー(なにするんですか)!!」
「ふぃふぁい、ふぉふふぃふぉふぁっふぇふぉふふぇふぁふぁいふぁ(痛い、お主もやっておるではないか)!!」
何やら二人の喋り方が変化したと思ったら、そのまま画面内に姿を現す。そこで見ていた者全員が理解した。
なんと、二人ともお互いの頬を抓っていたのだ。
それと同時に、それを見ていた者はただそれを呆然と眺める。
それはまるで子供の喧嘩の様相を呈しており、傍から見れば、理性的なやり取りではなかった。
そして、それを傍観する一人である治乃介もまた呆れ果てていたが、次の瞬間にはその感情が憤怒へと変化する。
(一人の生徒の学生生活が掛かってるって時に、あの二人は何をやってるんだ!!)
そう思ったら、居ても立っても居られず、席を立ち教室の外へと飛び出す。一森の制止の声を振り切り、猛スピードで現場へと赴く。
この数か月で学校の施設の場所は、大体把握済みであったため、すぐに放送を行っている場所に辿り着く。そして、そのまま力一杯、防音仕様となっている重厚な扉を開け室内へと侵入する。
「いい加減にしろ!!」
「「っ!?」」
治乃介が叫ぶと、二人ともはっとしたように彼に視線を向ける。なぜ彼がここにいるという疑問が湧いたが、余計な思考に時間を使う暇を彼は与えてくれなかった。
「正座」
「「え?」」
「正座ぁぁああああああ!!」
「「は、はひぃー」」
治乃介の有無を言わせぬ咆哮に、二人とも素直に従う。
この時彼は気付いていなかった。自分自身から放たれる圧倒的な覇気に。
彼は乱菊がその才能を肌で感じ取った人間だ。つまりは、彼自身非凡なる存在であるということであり、その秘めたる潜在能力はかなりのものであることは想像に難くない。
それが今怒りによって一部の能力が解放され、それが無意識に垂れ流し状態となっていたのだ。
そして、その圧力を直に受けてしまった二人は、その迫力に従わざるを得ない状況となってしまったのである。
(ま、まさかこれほどまでとは……)
(嗚呼、やっぱり治乃介君は私が見込んだ通りの人間だったわ……)
片や治乃介が持つ若き才能に驚愕を、片や自身の結論が正しかったことに狂喜する何ともイレギュラーな空間が生み出されている。
だが、現状正座をさせた治乃介の説教タイムがスタートしようとしていた。
「早乙女先生」
「は、はいぃ」
「俺は再三に渡ってあなたの勧誘を断ってきました。“一度目は良し、二度目は迷惑、三度目以降は害悪でしかない”。あなたは何度俺を勧誘しましたか?」
(その言い回し、どこかで……。はっ、まさか!?)
乱菊は治乃介の説教を聞きながらも、その特殊な言い回しをどこかで聞いたことがあると感じていた。
記憶を辿っていくと、それは最近話題になっているということで、一度目を通しておこうと手に取ったとあるライトノベル。そのラノベに似た内容の記述があったことを乱菊は思い出した。
そして、彼から感じる才能とそのライトノベルから漂う気配が酷似していることを理解した瞬間、点と点が線となって繋がったのだ。
(無名玄人は、治乃介君?)
それは確信めいたなにかであった。
だが、それが答えであるとばかりに、自身の勘がざわついている不思議な感覚に乱菊は陥る。
そして、パズルの空白の部分にピースが嵌るが如く、自然とある結論に至ったのである。
“文豪寺治乃介は、無名玄人である”と……。
そのことを自覚した瞬間、乱菊の体に電撃が走ったかのような衝撃が走る。
それと同時に、体の内からエネルギーが溢れてくるような、何か困難な試練をクリアした時の達成感に満ちたような得も言われぬ形容し難い何かを彼女は感じていた。
(これは、この感覚は……一体何? わからない。わからないけど、すごく……気持ち良い)
それは、まるで自慰行為を行っている時のような快楽物質が脳内から分泌され、それが乱菊の体中を巡る。
自身の体に起こった出来事に戸惑う彼女であったが、しばらくして今自分の状態を本能的に理解する。
人は誰も知り得なかったことを理解した時、他者よりも一つ上のステージに立っているという優越感を覚える。
彼女が今感じているのは、文豪寺治乃介という人間と無名玄人という存在が同一人物であるという真理に至ったことを今この瞬間自分だけが理解していると思い至ったからだ。
愉悦・驚喜・歓喜・幸福・快楽・快感、それらを体現する言葉は数多く存在すれども、今の乱菊の状態を表現する的確な言葉は見つからない。
しかし、少なくとも今の乱菊は普段の状態ではなく、脳内から分泌される快楽物質によって性的興奮にも似た状態となっていたのだ。
「あなたにはあなたの価値観があり、譲れないものもあるんでしょう。ですが、俺にもあなたと同じく譲れないものがある」
(嗚呼……良い。本当に、君は最高だ……)
真面目に説教をする治乃介の言葉を受けながら、乱菊は彼の言葉に恍惚の表情を浮かべていた。
まるで、彼の声が言葉が自分自身を蹂躙するような、精神的な性的暴行を加えられているような錯覚を感じていた。これが所謂、耳レ〇プというやつなのだろうか?
しかしながら、乱菊が治乃介=無名玄人だという真理に至ったのは、彼女が他人の才能に敏感に察知できるほどの感性を持っていることが起因となっている。
そのため、他の人間であれば気付かなかったことも彼女だけが気付くことができたのである。
すべては、早乙女乱菊であるが故に起こった不慮の事故とも言えなくはない。
さて、彼女がその心理に至り、体に変化が起こるここまでの時間、僅か数秒しか経過していない。
当然、治乃介も圭吾朗も彼女の変化には気付いていない。
「はあ、はあ、はあ……」
「俺にはやりたいことがある。だから、入部の件は断らせていただきます。いいですね」
「はあ、あんっ、はあ……」
「いいですねっ!?」
「わ、わかりました……すべて、あなたの言う通りにします」
乱菊から言質を取った治乃介は、次に校長に視線を向ける。
彼は普段から乱菊の突撃を阻止してくれていたため、情状酌量の余地は十分にある。
だが、今回は平静さを失い周りの状況を鑑みずに軽はずみな行動を取ってしまったこともまた事実であるため、ちょっとした小言を言うに留めた。
何よりも、治乃介が老人と言ってもいい年代の圭吾朗に説教をするのが気が引けたというところもあったのかもしれない。
これで事態は終息したかに見えた。だが、急に乱菊の様子がおかしくなり始めた。
顔は上気した顔は艶を帯びており、まるで発情した雌のそれであった。
そして、その仕草もよくなかった。
治乃介の指示に従って正座した状態であったが、上半身はフリーとなっており、その両腕で自身の体を抱きしめている。
早乙女乱菊……身長167cm、体重60.5kg、スリーサイズは上からバスト91、ウエスト61、ヒップ87でGカップのダイナマイトバディという素晴らしい豊満な肉体を持つ妙齢の女性だ。
そんな体を持つ彼女が、自身の体を両腕で抱けばどうなるのか?
服の上から押し上げる胸を押し潰し、普段は形の良い形状を保っているものが、まるでスライムのような不定形の生物のようにふるふると揺れ動く。
それをカメラ越しに見ていた男子生徒の一部が前かがみな状態になり、女子生徒の一部が黄色い悲鳴を上げる事態に陥る。
乱菊の状態が普通でないことに気付いた治乃介と圭吾朗は何とかしようとするも、一体何が原因でそうなってしまったのかわからない以上手の施しようがない。
「お、治乃介君、あなたに、聞きたいことが……」
「なんだ?」
「あ、あなたは、む、むめ――」
「せ、先生!?」
乱菊の状態がピークに達した瞬間、ぱたりと彼女が倒れる。
それと同時に、カメラのスイッチがオフにされ、そこで中継が途切れた。
カメラのスイッチを停止したのは、平静さを取り戻した圭吾朗であった。
すぐに事態を重く見た彼が、他の生徒たちに見せるものではないと察知し、すぐさまカメラの電源を止めたのだ。
これは、咄嗟に機転をきかせた圭吾朗のファインプレーであった。
こうして、放送自体は止めることができたが、この事件が解決したとは言えない。
このあと待っている苦難に治乃介は辟易しつつ、とりあえず圭吾朗に話し掛けた。
「どうするんですか、これ?」
「早乙女先生のことはわしに任せておくのじゃ。それよりも、お主はこのままもう帰ってよいぞ」
「いいんですか?」
「幸い、夏休みはあと十数日残っておる。それまでに生徒たちが落ち着いてくれればいいのじゃが……」
「無理だと思いますよ」
「じゃろうな。とにかく、お主もこのまま教室に戻るのは気まずかろう。荷物は後日取りにくれば良いから、今日のところは帰りなさい」
圭吾朗の提案に、治乃介は素直に従って、そのまま逃げるように学校を後にした。
かくして、乱菊が発情したという【乱菊エロスティックバイオレンス事件】というどこがバイオレンスな事件なのかと突っ込みを入れたくなるネーミングで、その噂は生徒の間で持ちきりとなった。
そして、その事件の当事者である文豪寺治乃介という存在が、全校生徒たちに知れ渡ることになってしまったのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます