29話



「ん、んぅ……」



 とある高層マンションの一室。そこに住む男が目を覚ます。



 カーテンの隙間から入り込む日差しを浴び、意識を覚醒した男は、ベッドからむくりと起き上がると、日々の日課である鏡の前へと立った。



 男の寝室には、自身の姿を映し出すことができるほど大きな鏡が設置されており、彼が常に自分の姿に気を配っていることが窺える。



 さて、一見するとこの男。どこにでもいそうな少しだけ自己陶酔が強いだけの男の見えるだろう。だが、こういった類の人間というものは、得てして非凡なる存在であるのが定石だ。



「はあ、今日もまた。一段と美しい……」



 鏡に反響する自身の姿を見た男は、そのあまりの美しさに己自身が感嘆の声を上げている。

 この時点で、もはや危ない人間と認定しても差し支えないが、さらに男の危険度を上げていることがある。



 それは、男が下着すら身に着けていない全裸であるということである。



 小説では“一糸纏わぬ姿”という文法で表現されることの多い状態だが、俗的な言い方をすれば“スッポンポン”ということになる。



 どこぞの小洒落た芸能人やアーティストなどが口にする“部屋では全裸で過ごしてます”という生活スタイルを地で行くような人間がここにいた。



 しかし、他の凡夫と男に異なる点があるとすれば、彼が自分自身に下した評価が世間の評価と一致しているということであろう。



 薄紫のショートヘアーに同じ色の瞳を持ち、その整った美しい甘いマスクは、この世に存在するすべての女性を虜にするために生まれてきたのではないかと錯覚させるほどだ。



 百八十を優に超える体は、まるで鉛筆の芯を削ったように研ぎ澄まされているようで、ボディービルダーのようなごつごつとした硬い筋肉ではなく、程よい塩梅で脂肪とのバランスが絶妙に取れた黄金比の肉体をしており、細身でありながらそれなりに厚い胸板と、六個に割れた腹筋という究極の細マッチョを体現したかのような体つきをしている。



 そんな超絶的なイケメンである彼だが、自宅の寝室とはいえ現状全裸であることに変わりはなく、彼が少々……というよりもかなりの変人であることはまず間違いない。



「……ふっ、こらこら。昨日あんなに暴れたのに、またそんな元気になっちゃって」



 男性には、生理現象として“朝立ち”というものがある。

 それは、性的興奮を覚えていなくとも、自分の下半身が反応してしまう男性特有のものであり、寝起きの彼はまさにその状態になっていた。



 だが、何を勘違いしたのか、覚醒した自分の一物を見た男は、まだまだ自分はやれるんだという主張をしていると思い込んでしまった。



 男の寝室にはゴミ箱が設置してあり、そこには昨日の夜に致したであろう丸まったティッシュが……おっと、これ以上はいけない。



 といった具合に、今までの説明で男が自分大好き人間なイケメンということが理解できただろう。では、そんなイケメンが一体何者であるかを説明するとしよう。



 男の名は大黒帝宗介(だいこくていそうすけ)といい、言わずと知れたあの大黒帝グループの跡取り息子である。



 現社長の大黒帝斎牙(さいが)とその妻である百合香(ゆりか)との間に生まれた子であり、息子の宗介がイケメンということもあって、二人とも美男美女である。



 否、美男美女の父と母から生まれてきたからこそ、その息子もまた美男だったと言った方が正しいのかもしれない。



 では、なぜそんな大企業の財閥の息子がラノベ作家などという寄り道的なことをしているのかといえば、彼自身がそれを望んだからと言える。



 類まれなる聡明さを持って生まれた宗介は、自分自身が置かれた立場を小さい頃から理解し、いずれは父の後を継いで大黒帝グループを背負って立つことになると気付いた。



 だが、自由を愛する彼にとってそれは本意ではなく、そのことを両親に相談するべく彼が五歳の誕生日の時に願ったのだ。



“大黒帝グループの後を継がせる弟がほしい”と……。



 五歳というまだ幼い年齢だった彼の言葉に両親も驚いたが、五歳が作ったとは思えないほどに緻密な計画書をその時提示され、そのあまりにも綿密な計画内容に両親とも度肝を抜かれた。



 紆余曲折あったが、宗介の願いは聞き届けられ、二年後弟の冬夜(とうや)が誕生する。



 五歳の時提出した計画書の言い回しを見た父親は、おふざけ半分で「小説でも書いたら売れそうだな」と宣った。

 これに感化された宗介は、すぐに小説家という職業を調べ上げ、業務形態を把握した結果、それが自分の性に合っているものであると感じたのである。



 純文学の正統派の小説家だと、直木賞や芥川賞を受賞した時にメディアに露出する可能性を鑑みて、当時小説の真似事と揶揄されていたライトノベルに目を付けたのだ。



 さっそく行動を開始しようとした矢先、父である斎牙から待ったがかかった。

 それは“おまえの願いを受け入れて好きなことをさせるのだから、弟の教育に手を貸せ”という至極真っ当なものであった。



 元々、大黒帝グループを継ぐはずだった宗介は、父の当然の言い分にこれを承諾し、弟が成人するまでの十数年間彼を立派な大黒帝グループを継ぐ跡取りとして育て上げたのである。



 しかしながら、その教育は尋常ではなく、元々才能の塊であった宗介は、文才だけではなく経済学などの財閥を継ぐに相応しい帝王学を早い段階で理解してしまい、そのあまりの才能に「兄さんが継いだ方がいいんじゃないか?」と弟が愚痴を零すほどであった。



 だが、そういった柵に囚われたくなかった宗介は、早々に冬夜の教育を終わらせると、満を持してライトノベル界へと殴り込みをかけたのである。



 この時の彼の年齢は二十五歳、今から僅か二年前のことであった。

 すぐさま己が執筆した原稿を以前から決めていたライトニング文庫に持ち込むと、瞬く間に書籍化が決定し、あれよあれよという間に累計発行部数を伸ばしていった。



 そして、現在に至りその累計販売部数は九百六十万部という化け物作家へと変貌を遂げたのである。



「さて、そろそろ書くか……ん? これは」



 最近はマイペースに執筆活動を行っているため、かつての宗介が望んだゆったりとした生活を送れている。

 しかしながら、一定のペースで執筆は行わなければならず、そろそろ次の新刊に向けて書き始めなければならなかった。



 そう彼が思ったその時、彼の視界にある雑誌が視界に移り込んだ。それは昨日、担当編集の人間から手渡されていた【あのライトノベルがやべぇ】であり、その最新版であった。



 あまり他者の評価に関心がない宗介だったため、そういった類のものはあまり目を通さなかった。

 ある時興味本位で見てみると、そこにはランキング一位と評された自身の名があり、それを関心なく見つめていた過去があった。



「まあ、どうせ見たところでまた俺が一位だとは思うけど……ほら、やっぱり」



 そこには、総合一位の座に燦々と輝く帝流聖という自身のペンネームが掲載されていた。

 それを喜ぶでもなく、当然のこととして受け入れているあたり、彼の大物加減が垣間見える。



 そこで興味を無くした宗介だったが、彼が見ていたのは総合ランキングであり、他にもランキングは存在する。



「なんだ。他にもランキングがあるのか。今注目のラノベ作家ランキング。ふーん、どうせ俺が一位に決まって……ん?」



 そのことに気付いた宗介が、雑誌をパラパラと捲って該当のページに目を通す。

 すると、彼にとっては信じられないものが掲載されていた。



「二位だと? 馬鹿な!? 俺よりも優れた存在がいるというのか?」



 宗介がランキングに興味を示さなかったのは、他者の評価を気にしないということもそうだが、どうせ見たところで一位であるということに変わりはないという自己評価の高さからである。

 一位になるのがわかっているのに、わざわざ確認する必要性がないという判断から今までランキングを確認してこなかったが、今回の件でそれが見事に覆された形となる。



 何事においても自分が一番であるという自負のある宗介にとって、他者の評価が自分よりも優れた人間であると示された存在に興味を持たないわけもなく、この時初めて彼はその存在の名を口にする。



「無名玄人、一体何者だ? この俺よりも優れていると評価された人間……うむ、気になる」



 もはや執筆活動どころではなくなった宗介は、無名玄人という人物のことが知りたくて堪らない衝動に駆られた。



 そうなっては、宗介の行動を止めることはできず、彼が件の作家に会いたいと考えるのは当然の帰結であった。



「待っていろ。その正体、この大黒帝宗介……否、帝流聖が必ずや突き止めてやる。ふふふふふ、はぁーははははははは!!」



 自分より優れた可能性を持つ人間の出現に高笑いをする宗介だったが、彼は一つ重要なことを忘れていた。



 現在宗介は寝起きであり、彼は就寝時には全裸で睡眠をすることが多い。

 それ故に、今の宗介は全裸で高笑いをする変態と化していたのだ。



 いくらイケメンとはいえ、どんなことでも許されるというわけではない。

 しかしながら、彼にとって幸運だったのは、そこに第三者の目がなく、公然の場ではなかったということだろう。



 もし、そうであれば間違いなく公然わいせつとなっていた。



「さて、そうと決まれば、まずは我が宗介ジュニアを諫めなければな。さあ、おいで宗介ジュニア。エクスタシータイムの時間だ」



 そう言って、宗介は自身の一物を右手で優しく包み込み、そのまま上下に……おっと、これ以上はいけない。



 このあと宗介が何をしたのかは、各々の想像に任せるとして……日本ラノベ界のトップをひた走る作家に、デビュー間もない新人の無名玄人が目を付けられることになってしまったのであった。

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