18話
「では、外回りの結果について報告してもよろしいでしょうか?」
「……」
「……」
「……よろしいでしょうか?」
「「は、はぃ!!」」
いろいろと茶番があったが、本来の業務に戻るべく、龍希は武虎に外回りの結果を報告しようとする。
しかしながら、先の“武虎の娘写真コピー用紙バラバラ事件”が尾を引いているのか、その表情は暗い。
零も彼女の報告を聞くためにその場に残ってしたのだが、零もまた姉との一件の精神的ダメージから完全に復帰できておらず、武虎と同様の表情を浮かべていた。
そんな二人に剣呑な表情を浮かべながら少々語気を強めた言い方をすると、途端に飛び上がったかのような反応を見せる。
これ以上龍希の不興を買えば、どんな制裁が待っているかわからないため、二人は声を揃えて返事をする。
そんな現金な二人に呆れながらも、ここは自分の仕事の成果を報告することが先決であると考え、それ以上の追及を思い留まった。
「例の件、英雄社から発表された【勇者伝説】……ブレイバーズレジェンドですが、すでに市場で十三万部強が売れていると予想されます」
「十三万か……てことは、ベストセラー入りは確実だな」
「すでに英雄社も、それを見越して動いているものと思われます」
「作者はどんな奴なの?」
龍希が外回りで動いていた理由……それは、新たに英雄社から発表した新刊の書籍【勇者伝説】についてだ。
発売からわずか数か月も経たないうちに、ヒット作を超えベストセラーの仲間入りを果たした件の作品は、読者だけではなく、出版業界の人間にも注目が集まっていた。
あの言わずと知れた天下の英雄社が手掛けているというだけでなく、その引き込まれる内容は読む者を魅了し、一種の中毒性を持つほどの何かがあった。
そんな作品が世に現れたことで、業界に激震が走った。
そして、各出版社の人間がこぞってその作品についての情報収集に奔走し始めたのである。
龍希もまたそんな人間の一人ではあったが、彼女の場合自主的に行動したわけではなく、武虎と零がその原因となっていた。
件の作品が出現したことで、詳細な情報を手に入れたかった武虎は、自身の右腕とも言うべき龍希を差し向けたのだ。
そして、零もまたこの作品の存在を認識しており、彼女の場合こんな作品を書く小説家とは一体どんな人間なのか、会って話してみたいと考えた結果、彼女もまた龍希に情報収集を依頼していたのである。
龍希としても、直属の上司である編集長と自身が勤める出版社と専属契約を結んでいる作家先生の願いとあっては、断るに断り切れず、半ばなし崩し的に外回りに行かざるを得ない状況となってしまったのであった。
「詳しいことは……」
「「……」」
「わかりません」
「「ズコー」」
龍希の次の言葉に注視していた二人だったが、次の瞬間に彼女から発せられた言葉にズッコケる。
真面目な彼女からまさか冗談が出てくるとは思ってもみなかったため、シリアスな展開が一気にコントへと様変わりしてしまった。
「おい、何の冗談だ?」
「まさか、あなたのような人が冗談を言えるとは思ってなかったわ」
「冗談ではありません。件の小説【勇者伝説】の作者に関する情報を探ってみましたが、どこからも情報が出てこないのです」
「確か、作者の名は……」
「無名玄人っていう奴よね?」
「そうです。その無名玄人について可能な限り調べてみましたが、著者の名前及び作品名以外でわかったことといえば、売り上げ部数などの商業的な情報だけでした。本人に関する詳細な情報は、まったくといっていいほど出てきませんでしたよ」
龍希とて、何も遊んでいたわけではない。
勇者伝説の作者の情報も手に入れようと、編集マンとしてのノウハウを使っていろいろと調べていた。ところが、出てきた情報といえば作者名と作品名、そして具体的な市場での売上数という調べれば簡単に入手できる情報だけであったのだ。
「奴の仕業だな」
「奴?」
「あの若作り拳骨ババアに決まってんだろ! おまえがそこまで動いてまともな情報一つ出てこねぇとなると、誰かが意図的に情報を隠蔽しているってことだ。そして、それができんのは、英雄社んところのあの若作り拳骨ババアくれぇなもんだ」
「なるほど、確かに彼女であれば、作者一人の情報を包み隠すことくらいはできそうです」
武虎のあまりにもあれなあだ名と言い草に、一瞬眉を顰める龍希だったが、冷静になって考えてみれば、彼の言い分にも一理ある部分が存在するため、寸でのところで龍希は彼の言葉に頷く姿勢を見せる。
同じ穴の狢というべきか、同類というべきかはわからないが、武虎はアクト社の編集長ということもあって、業界最大手である英雄社をライバル視している。
その中でも、同じ編集長という肩書きを持つ環佑丞と、その二番手である副編集長の文豪寺みゆきを敵視している嫌いがある。
特に、みゆきに関しては犬猿の仲といっていい程にお互いを憎み合っており、武虎曰く“若作り拳骨ババア”みゆき曰く“筋肉ハゲ”などという蔑んだ呼び方でお互いを揶揄している。
そんな敵同士の二人だが、編集マンとしての能力はお互いに買っており、今回もみゆきが先手を打って何か仕掛けてきたのだろうと武虎は推測していた。
ここで佑丞の名前が出ないのは、ライバル社の編集長ではあるが、人当たりの良い性格であることは武虎も理解しているため、このような意地の悪いことをするのは、あの女だけであろうと決めつけているのだ。
実際のところは風評被害も甚だしい冤罪であり、治乃介の情報を隠蔽するような工作はみゆきは何も行っていない。
では、どうして無名玄人の情報が出回らないのかといえば、こういった場合作家というものは、一度打ち合わせのため自身の創作物を書籍として出版する出版社を直接訪れたりするものであり、そこで他の出版社の人間が、隠れて入り口を張り込んだりなどして現場を押さえることで、情報が漏洩する場合がほとんどなのだ。
現代において、パソコンさえあればWebカメラなどの機器を使っての顔合わせが主流となってきているとはいっても、やはり直接対面することでわかってくるものもあるため、このご時世においても出版社を訪れる作家も珍しくはない。
だがしかし、治乃介の場合みゆきによって勝手に書籍化の話を進められてしまったため、本人の承諾を除けば、そのほとんどは保護者であるみゆきの胸三寸次第となってしまう。
その結果、本人の承諾をすっ飛ばして天下御免の保護者権限を使って、何もかもをみゆき一人で作業を行い、そのまま書籍として出版してしまったのである。
そうは言っても、あとがきや著者プロフィールなどの本人が介入しなければならない部分についてどうしたのかと疑問に思う部分もあるだろう。
その点について仮にみゆきに疑問を投げ掛けると、きっとこんな答えが返ってくるはずだ。
「え? そんなもの、気合と根性とノリと拳でなんとかするのよ!!」
まさに、行き当たりばったりな何の具体性もない答えだが、それがなんとも彼女らしいといえば彼女らしい答えだ。
とにかく、今回件の作者の情報が出回らない原因は、治乃介が出版業界にまったくといっていいほど関わりを持っておらず、出版を担当したみゆきも意識したのかしてないのか、詳細な治乃介の情報を開示していなかったことが今の状況を生み出していた。
「とにかくだ。このまま黙って指を咥えて見てるなんて、アクト社の沽券に関わる。無名玄人については、引き続き調査を続行し、詳細がわかり次第すぐに報告してくれ」
「わかりました。では、仕事に戻ります」
「無名玄人……一体何者なのかしら?」
二人の会話を聞いていた零は、ふとそんな感想を漏らした。
この瞬間こそ、美作零が無名玄人という作家を認識した瞬間であった。
そして、すでに自分がその無名玄人と出会っていることなど、今の彼女は知る由もない。
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