16話
「いてっ」
「痛いっ」
「二人とも、一体、何を、しているのですか?」
「「龍希(さん)……」」
林道龍希(りんどうたつき)……アクト社に勤める編集社員であり、武虎に次ぐ地位の副編集長の肩書きを持つ人物だ。
青色のショートヘアーに青い瞳を持ち、それはまさに青龍を思わせるほどの清らかさを持ち合わせており、その性格も真面目で部下たちから絶対的な信頼を得ている。
中性的な顔立ちをしており、一見すると男性に見えなくもないが、服の上から押し上げる比較的大きな胸がそれを否定する。
先日、三十歳の誕生日を迎えたばかりであり、そろそろ結婚してはどうかと両親にせっつかれている。現在、彼氏募集中の身である。
「編集長? この忙しい中、何をそんなお子ちゃまとじゃれ合ってるんですか?」
「こ、これはその、だな」
「お、お子ちゃま……」
二人に対し、諫める形で龍希が非難する。
その言葉は、些か零の心を抉った様子だが そんなことはお構いなしとばかりに、彼女は武虎に向かってある写真をコピーした用紙を掲げる。
「編集長、私は言いましたよね? 今度騒ぎを起こして周りに迷惑を掛けた時は……」
「ま、まさか!? お、おいやめろ!!」
「この、あなたの大事な娘さんの写真がコピーされた用紙をあなたの目の前で破り捨てると!」
「た、頼む! 後生だ。それだけは、娘にだけは手を出さないでくれぇー!!」
武虎には、三歳になる娘がいる。
彼のような人間が結婚していることに驚きを隠せないが、それについては今は重要な部分ではないので、置いておくことにする。
武虎にとって初めての子供であり、かつ娘ということもあって、武虎は娘をこれでもかというくらいに溺愛していた。
下手をすれば、娘のためならば自らの命を差し出したり、はたまた人を殺したりできるくらいには、武虎は娘を愛していたのだ。
そこに龍希は目を付けた。
迷惑ばかり掛ける武虎に向かってこう宣言したのだ。
“今度騒ぎを起こせば、目の前で娘の写真がコピーされた紙を破り捨てる”と……。
さすがに写真そのものを破り捨てるほど、龍希は冷酷ではない。
だが、コピーであればいくら破いてもオリジナルの写真は無事であるため、問題はないと判断し、武虎から無理矢理写真のコピーを取っていたのだ。
まさか、こんなに短期間で約束が破られるとは思ってもみなかった龍希だったが、約束は約束であるため、それを実行に移した。
「恨むなら、約束を破った自分自身を恨むことです、ねっ!」
「ノォォォォォォオオオオオ! 我亜子ォォォォオオオオオ!!」
龍希は、手に持っていた武虎の娘の姿が映っている写真のコピー画像の紙を、何の躊躇いもなく破り捨てた。
彼女の名誉のために言っておくが、彼女は決して冷酷な性格をしているわけではない。
根が真面目過ぎるところがあり、普段から真面目に仕事をしない武虎に対して“どうすれば、真面目に仕事をしてくれるのだろう?”という問題を突き詰めた結果、彼が最も大切にしている娘という存在を盾にして、言うことを聞かせようと目論んだに過ぎない。
彼女自身武虎の娘に対し何の恨みもないが、愛すべき家族に顔向けできないような不真面目な言動を行っている以上、それを諫めるために協力の一つもしてくれてもいいだろうという彼女の独断と偏見であった。
ちなみに、武虎の娘の名は我亜子(があこ)という名で、自分が虎であるなら、その子供は“があ”という鳴き声を上げるだろうという安直な由来の名前となっている。
その名前を聞いた際、武虎の妻も呆れていたが、彼がずっとその名前で娘を呼び続けるうちに愛着が湧いてしまい、最終的に我亜子という名前が採用され、正式に彼の娘の名が決まった。
「そ、そんな……我亜子が、俺の我亜子が……我亜子――」
「ふんっ」
「あっ」
もはや死に体の武虎に対し、龍希は更なる追い打ちを掛ける。
破り捨てた我亜子の姿が映った紙を武虎の前でひらひらと見せつけるようにし、彼がショックを受けているところに、さらに目の前でその二つに破った紙を片手でぐしゃりと握り潰したのである。
そして、それをさらに両手でくしゃくしゃにし、二度と元に戻らないよう細かく千切って、それを紙吹雪のように宙へと放ったのである。
我亜子を溺愛する武虎にとっては効果は絶大であり、彼には何かの悪夢を見せられているほどに大ダメージを負っていた。否、最初の我亜子のコピー用紙が破られた時点で大ダメージを負っていることを鑑みれば、最後の追い打ちはまさにオーバーキルである。
「我亜子、我亜子……」
もはや、龍希に抗議の声すら上げることなく、両膝と両手を床に付けた状態で動かなくなる。まさに、ORZ状態とはこのことだ。
武虎に制裁を加え、これで満足した龍希かと思ったが、もう一人迷惑を掛けた人間がいることを覚えているだろうか?
「美作零先生?」
「な、なによ」
そう、武虎と一緒になって暴れていた零である。
彼女とて、武虎と同様に周囲の人間に迷惑を掛けたことは事実であり、龍希にとって彼同様制裁の対象なのだ。
「私は、以前にこう言いましたね? 美作先生の行っていることは独りよがりの我が儘であり、他人に迷惑を掛ける行為の何物でもないと。そして、次にまたそういった迷惑行為を行うのなら、こちらにも相応の対処をさせてもらうと」
「あたしは、悪くないわ。悪いのは、あたしの言うことを聞かない書店じゃない」
「仕方ありませんね。反省の態度が見られませんので、ここは保護者の方に出張っていただきましょうか?」
「そ、それってまさか……」
「あなたのお姉さんに、今回の件についてご報告申し上げます」
「なっ、そ、それだけは! それだけはやめてちょうだい!!」
美作零には、六つ年の離れた姉がいる。
名を美作静音(みまさかしずね)といい、彼女もまた零と同じく小説家をやっている。
同じ小説家といっても、姉の静音の拠点は日本ではなく、主に海外を中心として活動を行っており、ペンネーム【SHIZUNE】として自身の作品を発表している。
ちなみに、美作零という名前は彼女の本名であり、姉の静音とは異なり、零は本名での活動に強いこだわりを見せている。
これは、自分に絶対の自信を持っているという本人の思考と、姉とは違う存在でありたいという願望から来る対抗心ようなものだ。
そんな零だが、静音に対し苦手意識を持っており、もちろん血の繋がった家族である以上、愛情もあり姉として尊敬もしている。
だが、幼き頃から姉の厳しい教育によって、どこか姉に対して拒否反応が出るようになってしまった。
某漫画の有名な台詞をアレンジしたものを静音は口癖のように言っており、それは“姉より優れた妹など、この世に存在しない”というものだ。
その言葉の通り、小説家としてだけでなく、勉強やそれ以外のすべての物事において、零は静音に一度たりとも勝てたことがなく、姉に対し劣等感を感じるようになっていた。
特に、姉は曲がったことが大嫌いな性格であり、一際彼女の逆鱗に触れることは、他者に対して迷惑を掛けるということであった。
そのことを零は幼き頃から耳にタコができるほど言われてきており、その反動なのか姉の目の届かないところへ離れてからというもの、自分の思うがままに我が儘を突き通してきたのである。
だが、ここにきてその姉に自分の近況を知られてしまうかもしれないという緊急事態が発生した。
零としては、今の自分の状況を姉に知られるわけにはいかず、龍希が姉と連絡を取ると言い出したことに焦りを覚え、必死に懇願する。
「私は貴女に対して再三に渡って忠告してきました。ですが、貴女は私の忠告を無視して行動してきた」
「わ、わかったわ。もう我が儘を言ったりしない。真面目にするし、ハゲとも仲良くする。だから、姉にだけは連絡しないで」
人は、自分の立場が悪くなった瞬間、初めて他人の話に耳を傾ける生き物だ。
だた、得てしてそうなった時には、すでに手遅れな場合がほとんどである。
“人の忠告は素直に聞け”というのは、そういった手遅れにならないうちに自制しろという意味も含まれており、自分の立場が悪くなってからでは遅いのだ。
「……」
「はあ、姉には連絡しないのね?」
「もう、手遅れです。貴女のお姉さんに連絡しました」
「なぁ!?」
龍希が不意ににっこりと微笑む。
その微笑が、自分の願いが聞き届けられたのだと勘違いした零は、安堵する。だが、そんな生温いことをする彼女ではない。
龍希は後ろ手にした両手で零の無意味な懇願を聞きながら、すでに静音にスマートフォンで連絡を取っていたのだ。
ちょっとしたメッセージのやり取りができるアプリ【ルイン】には、零の姉である静音に宛てたメッセージで短くこう表示されていた。
“貴女の妹さんが、人様に迷惑を掛けています”と……。
そして、零にとっては最悪の瞬間が目に飛び込んできた。なんと、その画面に新しいメッセージが表示されたのだ。
言わずもがなそのメッセージの送り人は彼女の姉であり、それは小説家らしからぬ短いメッセージだった。
“わかりました。こちらで、対処します”
美作零、完全終了のお知らせである。
姉に自分が他人に迷惑を掛けていることが知られた以上、零に逃げ場などはない。
「トゥ~トゥ~トゥ~、トゥ~トゥトゥ~、トゥ~トゥトゥ~。トゥ~トゥ~トゥ~、トゥ~トゥトゥ~、トゥ~トゥトゥ~……」
「……」
龍希のスマートフォンのルインにメッセージが表示されてからものの数秒後、何やら怪し気な曲調の音楽が流れる。
それは某有名SF映画の悪役のテーマ曲であり、壮大なオープニング曲とは似ても似つかないほどに暗く重苦しい曲であった。
零はそれが自分のスマートフォンの着信音であることを理解し、その相手が自分の姉であることもわかっていた。
実の姉の着信音としてはあまり相応しくないが、彼女としては自分の姉と対峙する時は、SF映画に登場する悪役と対峙しているくらいの気持ちなのだろう。
震える手で懐にあったスマートフォンを手に取り、零は恐る恐る電話に出た。
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