8話



「おい、いきなり何か書けって言われてもなぁ」


「わたしも読むのは好きだけど、文章となるとちょっと……」



 突如として告げられた課題に、生徒たちも困惑する。

 いくら文芸科を希望して入学してきたといっても、中には読むことを専門にしている読み専と呼ばれる人間も含まれており、何の戸惑いもなく渡された原稿用紙に文字を書き始めている生徒は、数えるほどしかいない。



「別に上手く書けとか言わねぇから、好きなことを何でも書け。高校生活でやりたいこととか、何なら将来の夢でもいい。とにかく、思いついたことを原稿用紙にぶつけてみろ」



 そう言いながら、一森は椅子に座って持っていたタブレットを操作し始める。

 ちなみに、このタブレットは一森の私物であり、こうなることを想定して彼が持ってきていた物だ。以外にちゃっかりしている。



「……」



 そして、治乃介はどうしているのかといえば、すぐに書き出さずに原稿用紙とにらめっこをしながらしばらく考え込むような仕草を取る。

 一番前の席であるため、ちょうど椅子に座った一森からはその様子が丸わかりであり、チラチラとタブレットに入っている電子書籍を読みながら治乃介の様子を窺っていた。



 その視線が彼のすぐ右隣に向く。その席の主は、今を時めく人気小説家であり、その見た目も美少女と言って差し支えないほど愛くるし姿は男女問わず目を引き付ける魅力がある。



 凛と背筋を張りながら、配られた原稿用紙に何かしら文字を書き綴っている姿はまるで精錬された舞のような美しさがあり、ただ文字を書いているだけだというのに見る者を魅了する。



 そんな彼女が隣にいるというのに、治之介といえば未だ鉛筆を手に取る様子もなく、ただただ原稿用紙を見据えている。そして、徐に原稿用紙を裏返したかと思ったら、そのまま机に突っ伏して眠り始めてしまった。



 それを見た一森は、呆れを通り越してその清々しいまでに潔い治之介の動きに一瞬放置しそうになるが、そういう訳にもいかないと正しい判断を取り戻し、持っていたタブレットを彼の脳天に軽く落とした。



「んっ、痛い」


「痛いじゃないだろ。始まった早々眠るとは、いい度胸だな。んん? 俺の説明を聞いていなかったのか? 今は文章を書く授業であって、眠る授業じゃない。早く書け」



 一番前の席かつ目の前に陣取られていたこともあって、一森が治之介の行動にすぐさま気付いたのは、治之介にとっては不運だっただろう。

 だがしかし、一森も言う通り今は授業中であり、彼が提示した課題をこなす時間であって、決して居眠りをする時間ではないのだ。



 小突かれたところをさすりながら不満顔を浮かべる治之介だったが、再び居眠りをすれば先ほどよりも強く叩かれることは明白であるため、仕方なく重い身体を起こし、再び原稿用紙とにらめっこを再開する。



(思いついたことか……)



 一森に促されて改めて考えてみた。すると、意外なもので閃いたように文章が浮かんできた。

 ひとまずは、浮かんでくる文章を書き殴るように原稿用紙へと記していき、一枚の用紙びっしりに文章を書き綴る。



 他の生徒たちも、最初はどんなことを書けばよいのか迷っていたが、そこは文芸科を志望するだけあって、すぐに教室に文字を綴る音があちらこちらから聞こえてくるようになった。



 そんな状態が数十分程続いたが、そろそろ全員が文章を書き終えたところで、一森がタブレットから目を離して生徒たちに問い掛ける。



「まだ書いてる奴はいるかー? ……よし、じゃあ後ろから原稿用紙を回して、俺んところに持ってきてくれ」



 一森の問いに反応する者はいなかったため、生徒たちから原稿用紙を回収する。

 すぐに彼の手元にクラス全員分の原稿用紙が集まり、さっそく生徒一人一人の文章を読んでいく。



 生徒たちが綴った文章は、簡単なショートストーリーから、ポエムのような抽象的な表現で構成された分もあり、その内容は様々だ。

 さすがに、プロの物書きではないので、その文章も拙いものが多く、決して目を見張るようなものではない。だが、その中で一際目立つ文が存在した。



(さすがに本職なだけあって、これは何とも趣深い……。ま、これくらいのものが書けなきゃ、プロで食っていくなんて無理だろうがな)



 その文章を見て、一森は内心でそんな感想を抱いていた。

 彼が見た文章を書いた人物。それは、言わずもがな美桃であった。



 その内容は、季節の情景から始まり今の自分の心境を吐露する内容が描かれており、たったそれだけの文章であるのにもかかわらず、形容し難い何か人を引き付けるようなものがある。

 一森は、そんな彼女の文章を見て感心すると共に、やはりプロとして活動している人間の生み出すものは違うのだなと、改めて桜井美桃という人物の特異性を感じ取っていた。



 そして、そんな中彼女に匹敵するような文章はないだろうと思いつつも、他の生徒の文章を読み進めていくと、一人興味を引かれた文章が目に付いた。



 それは、美桃と同じ心境を描いた内容であったが、それは彼女とは異なる切り口で描かれており、これもまた一森の中でこれはと唸らせるものであった。



 だが……そう、だがである。その文章は確かに一森を唸らせるほどの内容であったのだが、あくまでもそれは文の構成や専門的なものにおいて興味を引かれるものであって、その内容自体は彼が看過できるものではなかった。



「おい、文豪寺。これはなんだ?」


「……?」



 一森に問われて治之介は首を傾げた。

 彼の言ったようになんでもいいという課題内容であったため、頭に思いついた内容をただただ愚直に書き綴っただけであったため、治之介の中では特に問題はないと思っていたからだ。



 何が問題なのかということを理解していない治之介を見た一森は、軽くため息を吐きながら、彼が綴った文章をつらつらと音読し始めた。



「“俺が眠っていると、先生が俺の頭を殴ってきた。先生は軽く殴ったつもりだろうが、痛いものは痛いのでちょっとムカついた。これは教育委員会に報告して、ハラスメント行為で訴えるべきであろうか? 大体、今のこの世の中で、そういった行為自体が取り沙汰されている中、よくもまあそんなチャレンジャーなことができるものだ。別の意味で尊敬する。俺ならば、教師などという職を選ぶような愚行を犯さない。興味のない職に就くよりも、自分がこれだと思った職に就くべきなのだ。そういった無駄なことをする人間を世間一般的な言い方では“馬鹿”と呼ぶのだ”」



 何の抑揚もなくただ淡々と口にする一森だったが、その目は笑っておらず、まるで無表情だ。

 それを聞いていた生徒たちは、治之介の書いた文章を聞いていくうちに“あいつやっちまったな”という顔を浮かべており、教室内の空気が重いものへと変わっていく。



「うわぁ、あいつやっちまったな」


「いくらなんでもいいからって、そんな馬鹿正直に書くやつがあるか」


「そういうのは、心の中に留め置くものでしょ」


「……」



 治之介の書いた文を聞かされた生徒たちが口々に感想を漏らす。

 そのほとんどが彼を馬鹿にしたような内容であり、わざわざそんな文章を書き連ねることになんの意味があるのかと嘲笑する者ばかりだ。ただ、一人を除いては……。



「馬鹿で悪かったな。おまえが教師という職業に偏見を持っていることはわかった。だが、こういった内容はいち教師として看過できるもんじゃないんでな。というわけで、昼休み職員室に来い! ああ、それと。俺は教師という職業に誇りをもっている。俺だけじゃない。この学校の校長だって、他の教職員の方々だってそうだ。おまえが書いたこの文章はそんな方々を侮辱する行為であり、立派な誹謗中傷だ。教育委員会に訴える前に、おまえの方こそ誹謗中傷で訴えられるぞ?」


「……授業内容は、“何でも好きなことを書け”というものだった。俺はその内容に沿ったものを書いただけだ。書いた内容に個人的主観が含まれていることは認める。だが、それはあくまでも俺個人の感想であり、他者を批判したり中傷したりするような内容ではない。この文章で思うところがあると感じた人間がいるのなら、それもまた個人的主観による個人が抱いた感想でしかない。それで訴えられるというのなら、例え慰謝料を払うことになっても、俺は俺の考えを捨てることはない。あんたが、教師の仕事に誇りを持っているのと同じように、俺は俺の生き方に誇りを持っているからな。というわけで、いちいち職員室に呼ぶな。昭和の熱血教師かあんたは。テレビドラマの見過ぎだ」


「ぐっ……」



 一森の反論に対し、さらに治乃介が反論を重ねる。思わぬ反撃を食らった一森だったが、彼にも教師としての意地があるのか治乃介を睨みつける。

 治乃介もまた、自分が今まで生きてきた人生を否定されるような言動を許容できるものではない。



 歴史というものにおいて互いの主張がぶつかり合った場合、どうしてきたのか。単純な話である。それは――。



「よろしい、ならば戦争だ!!」


「は?」


「今週の金曜日、おまえの保護者を交えた三者面談を開く。今回の件、おまえの保護者ととことん話し合おうじゃないか!!」


「また面倒なことを……。本当にテレビドラマの見過ぎなんじゃないのか?」


「何とでも言え! とにかくこれは決定事項だからな。自分の主張が正しいというのなら、逃げるんじゃないぞ?」



 かくして、担任の教師を怒らせてしまった治乃介は、半ば強制的に三者面談をさせられることになってしまったのであった。

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