7話



「よぉ、大先生! おはよう」


「……その大先生ってのはなんだ?」



 みゆきとの親子のイチャラブイベント(?)があった二日後、治之介は学校へと赴いていた。



 あれから、みゆきは部屋に籠り、次の無名玄人の新刊に向けて、挿絵の制作活動に勤しんだ。

 治之介が執筆した物語の続きを読んだ彼女の仕事に対するモチベーションは爆上がりで、治之介が呼びに行くまで食事をするのもトイレに行くのも忘れ、ただただ次の二巻に掲載する予定のイラスト制作に向けて、全力で取り組んでいた。



 そんなみゆきの姿を見て、呆れるしかない治之介だったが、彼女のそういった姿を見たのは一度や二度ではないため、今回も過去に見た時と同じであろうと考えていた。



 だが、治之介は自身の考えがどれほど甘かったかということを思い知らされることになるのだが、この先とんでもないことが待ち受けているとは夢にも思わず、新学期がスタートした学校に出掛けて行った。



 そして、教室に到着し自分の席に着席したところで、ある人物が声を掛けてきたのだ。

 誰かといえば、入学式の時に治之介に挨拶をしてきた山田健一その人である。



「文豪寺の名前である治之介は、太宰治の治に芥川龍之介の之介だろ? 歴史に名を残す二人の文豪の名前を持ってるお前は、差し詰め大先生で間違いない!! うんうん」


「だからといって、作家として活動しているわけじゃない。俺自身が書いた作品が書籍化されて――」



 健一の言葉に反論しようとした治之介だったが、自分が口にしようとした言葉を途中で飲み込んだ。

 みゆきに見つかってしまった彼の処女作といっていい小説は、彼女の手によってすでに書籍化されてしまっており、彼がこうしている間にも書籍の出版元である英雄社には、現在進行形で追加注文の電話が殺到しているのが現状だ。



 そのことに思い至った治之介は、自分の反論しようとした内容に矛盾点があることを瞬時に理解し、途中で口にすることを止めたのである。



「ん、大先生? どうかしたのかい? 何か言いたいことがあったん――あいたっ!?」



 妙な話の切り方をした治之介に、追求の言葉を投げかけようとした健一だったが、それは自身の頭に衝撃が走ったことで阻止されてしまう。

 何事かと自身の背後を振り返れば、そこには予想した人物が立っていた。



「なにすんだ咲!? 痛いじゃないか!」


「あんたが、文豪寺君に変なあだ名を付けてるからでしょ? ごめんなさいね文豪寺君。こいつ小説の事となると、見境なく突っ走る小説バカだから」


「その言い方は、あんまりじゃないか咲! 唯一無二の幼馴染に向かって!!」



 そこに現れたのは、健一と同じく入学式で少し話をした小鈴木咲であった。

 特徴的な名前であったのと、健一とのやり取りが印象に残っていたため、彼女のことは健一と同じくしっかりと覚えていた。



「ああ、もう呼ばないでくれるならそれでいい」


「だが断る! この山田健一の最も好きなことは――あひゃひょわっ!」


「いい加減にしろ! この、小説の事しか考えていない小説オタクが!!」



 治之介の言葉に、即座に誰もが知っているあの言い回しをしようとした健一だったが、彼がその台詞を最後まで言い切ることはなかった。

 なぜなら、咲が健一の脛を蹴ったことで、彼に想像を絶する痛みが襲い掛かったからである。



「お、おまえ……す、脛はダメだろ、脛は……」


「あんたが妙なことを言ってる方が悪い」


「……」



 健一の脛を蹴ったことを悪びれもせず、咲が一見真っ当そうな意見を言う。

 だがしかし、その実言っていることは理不尽極まりない。要は、健一に対し“喋るな”と言っているようなものなのだから。



 彼女の言う“妙なこと”というのは、あくまでも彼女から見た主観によって決定付けられる。

 つまりは、彼女の価値観に照らし合わせた時、その価値観に相対する言動はすべて“妙なこと”に分類されるのだ。



 そして、客観的にも普段から妙な言動の多い健一は、咲の価値観に当て嵌めれば、超絶的な変人に位置付けられており、彼の口にすることすべてに否定的な意見を言ってしまうという連鎖が形成されていた。



「おはよう文豪寺君、朝っぱらから馬鹿が絡んでごめんなさいね」


「おうおうおうおう、黙って聞いてりゃずいぶんな物言いじゃないか咲」


「なに、何か文句でもあるっていうの?」


「……ありません」



“ないのかよ”と、それを聞いていた治乃介は心の中で突っ込んだ。

 それはあまりに潔く、そしてこの二人の力関係を如実に表している。



「……ちっ、安産型デカ尻女が(ボソッ)」


「なんですって?」


「お、俺は理不尽な暴力に屈したりはしない!! 事実を事実として受け止めないおまえが悪いのだ!!」


「……そうね。確かに、他の子と比べて私のおしりは大きいのかもしれないわね。でも……」


「がっ」



 ぼそりと呟いた健一の呟きを聞きつけた咲が、剣呑な雰囲気で詰め寄る。

 だが、ささやかながらの抵抗としてそれが事実であると宣う健一に対して、咲も自身の臀部が一般的な大きさではないという自覚があることを認めた。



 そして、認めつつも健一の顔をグワシと掴みながら、掴んだ手に力が込められていく。所謂、アイアンクローである。



「それを自分で言うのならまだしも、他人に言われる筋合いはないわぁー!!」


「ぎゃああああああああああ」



 まったくもってその通りである。



 仮に一般的な見た目とは異なる特徴を持っていたとしても、それを自分自身で口にするのと、他人に指摘されるのとではその意味合いが違ってくる。



 自分で言うのはいいが、他人から言われることはただの悪口であり、それを敢えて口に出す人間の浅はかさが露呈するだけなのだ。



 そんなやり取りが行われている間に、気が付けば授業の時間となっており、またしても授業が始まるまでの居眠りを治乃介は邪魔されることになってしまったのだった。



「おーし、全員いるかー?」



 始業のチャイムが鳴ってすぐに、担任の一森が気だるげにやってきて出席を取る。

 それはあまりにやる気がなく、普通は一人一人名前を呼んでいくことで出席の確認なのだが、それが面倒なのかこの場にいない人間はいるかという効率的だが、どこか投げやりな出席の取り方だった。



 出席確認が終わったところで、朝のホームルームが始まった。

 しかし、またしても彼の面倒臭がりな性格が前面に押し出された言葉が彼の口から出てくる。



「とりあえず、このホームルームで決めることは、席順とクラス委員を男女二人選んでくれって話らしい。でも、面倒だから今の席順に文句のあるやつはいるかー? いないなら、このままでいいよな? じゃあ次、クラス委員だが……山田と小鈴木やってくれるか?」


「せ、先生! 何でこいつなんですか!?」


「ん? 確か、おまえら中学ん時もクラス委員やってたんだろー? こういうのは経験者にやってもらった方が手間が省けるんだ。いいよな?」


「そ、それはそうですが……」


「なら、決定だ。というわけで、ホームルームで決める内容はこのくらいにして、今日は俺が担当する【文芸技術】の授業から始めるぞ」


(ああ、そういえばそんな授業があるって話だったな)



 ホームルームもそこそこに、二時限目から始まる予定の授業がいきなり始まる。

 教科書等については、事前に入学予定者の家庭にすべての教科書データがインストールされている端末が配られており、生徒はそれを持ってくるだけで授業を受けることができる。



 紙の教科書が主流だった時代もあったが、持ち運びが大変ということと、コスト削減の結果このような形態に移り変わっていった。



 治乃介は、自分が文芸科に入ったことを入学式に出席していた時点で知らされておらず、みゆきが彼の処女作を勝手に書籍化した事実を話した時、初めてそれを知らされた。



 すべては、みゆきが治乃介に才能があると踏んでの策略だったのだが、彼女の予想した以上の才を持ち合わせていた結果となり、内心では小躍りしたくなるほどに喜ぶと同時に、自分の判断は正しかったことに対する自分への称賛が渦巻いていた。



 治乃介自身は、高校生活は無難に過ごしたいと考えていたため、みゆきの策略については納得しておらず、転科をすると告げたのだが、文芸高校のシステム的に転科は一年に一度しか認められておらず、さらにはちゃんと単位を取得した上で昇級した者でなければ、転科できない仕組みとなっている。



 つまりは、治乃介が普通科に移動するためには、



 そんなわけで、生徒たちは端末を取り出し、一森が受け持つ【文芸技術】の教科書を開こうとしたのだが、それを遮るように彼が宣言する。



「今日は教科書を使わないから、端末はしまっとけ。とりあえず、まずはおまえたちに何か文章を書いてもらおうか」


「鴎外先生! それはどういうことでしょうか?」


「俺が受け持つのは【文芸技術】だ。その中でも、特に文章についてのあれこれを教えている。だから、最初は何か適当に文を書いてもらうということだ。あと、俺の苗字は相賀であって鴎外じゃねぇ!!」



 この相賀一森という教師が受け持つのは、文芸科にある特殊カリキュラムの中でも文章について深掘りする講義を行っている。



 彼自身、何か書籍を出版している訳ではないが、文章の理解力とその詳細を読み解く力に長けており、本人もそれを活かした講義を行うことを得意としている。



「ったく、毎回のことだが、面倒な名前を付けられたもんだぜ。よーし、というわけで、おまえら原稿用紙くばっから、何か思いついたことを書いてみろ」



 こうして、文芸高校での初めての授業【文芸技術】の最初の課題をすることになった治乃介であった。

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