5話

「続きってどういうことだよ!? そういうことは、この話を作った作家に頼みゃあいいだろう?」


「だからおーちゃんにお願いしてるのよ?」


「は? 意味が分からないんだが」



 さも当然とばかりに執筆の依頼をするみゆきだが、治之介の頭ははてなマークがぐるぐると円を描きながら飛んでいた。

 それもそのはずで、彼が小説を執筆したことなど彼の記憶の中ではまったくといっていいほどなかったからである。



「まるで、この【無名玄人】っていうやつが俺みたいな口ぶりだな」


「その通りよ、無名先生」


「いやいやいやいやいや! 俺小説なんてただの一度も――」



 みゆきの突然の依頼に、無名玄人という作家として話し掛けられているかのような錯覚を覚えた治之介は、そのことを口にする。

 だが、彼女から返ってきた答えは、それを肯定するかのような口ぶりであった。



 治之介はさらに混乱することになり、自身が今まで小説など書いたことがないとみゆきに反論しようとしたところで思い出した。そう、思い出してしまったのだ。

 かつて自分がただの一度だけ小説まがいの物語を書いたことがあり、それが今も自分の部屋の押し入れに眠っているということを……。



「っ!? ま、まさか!!」



 そこで嫌な予感のした治之介は、みゆきのことなどお構いなしとばかりに突如として椅子から立ち上がり、自分の部屋へと直行する。

 ドアを勢い良く開け放ち、これまた自分の部屋の押入れの襖を勢い良く横へスライドさせ、中を検め始める。



 押入れには、小学校や中学校の通信簿や卒業アルバムなど、かつての自分の軌跡である思い出の品が保管されており、治之介はその中の一つであろうあるものを探していた。



「ない。ない。ここにも、ここにもない。どこに行ったんだ!?」



 だが、そこにあるはずであろう彼にまつわるとある一つのものが見つからない。

 さらに焦りが募っていく治之介だったが、彼の後を追いかけてきたみゆきの一言によって、止めを刺されることになる。



「探し物の中身なら、この中にあると思うわよ」


「っ!? 貸して!」



 治之介は、みゆきが持っていた書籍をひったくると、中身を確認する。

 そこには、どこかで見たことがある内容が記載されており、どう考えても以前彼がお遊びで書いた小説の内容だった。



「どういうことなんだ母さん!!」


「見ての通りよ。たまたま昔の書類が必要になったから、おーちゃんの押入れに入れたのを思い出して探していた時、その小説が出てきたの。読んでみたら、とても面白かったからそのまま本にしてみましたー。パチパチパチパチ」


「俺に断りもなく、勝手にそんなことするなんて酷いじゃないか!!」


「断ったら、本にさせてくれたの? 私はおーちゃんのことは全部わかってる。あなたが小説を良く思っていないってことも。だから、おーちゃんの許可なく本にした。これだけ素晴らしい作品が日の目を見ないなんて、編集マンとして……いいえ、いち小説ファンとして許されないわ!」



 そう力強く握り拳を作りながら力説するみゆきに、治之介は力なく項垂れる。



 それだけで、わかってしまったからだ。仮に彼女が治之介に許可を求めたところで、そしてその許可を彼が突っぱねたところで、彼女は迷いなく彼の書いた小説を本にしてしまっただろうということが……。



「血は争えないってよく言うけど、やっぱりあなたは、あの人の息子なのね。おーちゃんが書いた作品を見た時、懐かしい気持ちになったの。嗚呼あの人が、私が世界でただ一人愛した人が帰ってきたって……あの人の意志は、あなたの中に脈々と受け継がれているんだって。そう考えたら、例えおーちゃんがダメって言っても、私はこの作品を本にしたいって動いてた。そして、できるだけ多くの人にこの作品を読んで欲しいって思っちゃったの」


「……」



 初めて聞かされたみゆきの思いに、治之介は反論する言葉を失う。

 彼女が他の男から口説かれているということは話に聞いていたし、再婚する機会はいくらでもあった。

 だが、それでも、十年以上も前に亡くなった人間のことを今もこうして思い続けているということは、それだけその人が特別な存在であったということが嫌でも伝わってくる。



 そして、そんな昔を懐かしむ母親のどこか嬉しそうな寂しそうな表情を見て、それでも自分に断りなく勝手なことをしたということを責める気にはなれなかった。



 母親であるみゆきも、そんな治之介の心情に気付いており、ブスッとした表情の彼の頭に手を置いて、彼女が時折見せる母親らしい優し気な顔を浮かべながら、彼にこう言った。



「おーちゃんが、本当にこの小説の続きを書きたくないって言うのなら、無理強いはしない。でも、私は信じてる。何事にも全力で取り組むおーちゃんが、こんな中途半端なことはしないって。ふふ、こんなこと言うと、まるで強制してるみたいだね。とにかく、続きを書くか書かないかは、おーちゃんに任せる。でも、もし続きを書いてくれるって言うのなら、私も全力でサポートするから、大船に乗ったつもりでいなさい! んぅー、じゃあ、言いたいことも言えたので、私は今から冬眠に入ります。ではでは~」



 言いたいことを言ったとばかりに、仕事の疲れを振り払うかのように伸びを一つすると、みゆきは寝室へと向かって行った。

 普段の治之介であれば「寝るなら、風呂に入ってからにしろよ」と抗議の声一つを上げるのだが、今の彼にそんな気は起きなかった。



 みゆきがいなくなってから、治之介はしばらくそのままボーっとしていたが、思い出したかのように立ち上がると、ぽつりと呟いた。



「敵わないな。俺がそんな言い方をされたら、断れないってこと知ってるくせに……。とりあえず、あの悪魔を退治するとしようか」



 そう口にする治之介は、どことなく嫌そうな顔を浮かべたが、自身の頭をわしゃわしゃと掻きながら、やり残していたことをやるべく未だ風呂に蔓延るカビとの格闘にその日を費やした。






 〇×△






「はあ、まったく。彼女と一緒にいると、つくづく自分が能力のない無能人だと自覚させられるよ」




 そう言いながら、デスク椅子の背にもたれ掛かる一人の男がいた。

 彼の名は環佑丞(たまきゆうすけ)。あの天下の【英雄社】に編集長という肩書で在籍するエリート編集マンである。



 紺色の短髪に黒の瞳を持った穏やかな雰囲気の中年男性で、年代的には治之介の母みゆきと同世代の人間だ。



 彼が担当してきた作家たちの多くは、必ず何かしらのベストセラー作品を叩き出しており、それは決して作家の才能だけでなく、編集マンとしての彼の功績が多分に含んでいた。

 だというのに、そんな本人から出た自身の評価の低さに、それを聞いていた編集社員が反応する。



「編集長が無能って言うのなら、平の俺はどうなるんすか? ただのゴミカスっすよゴミカス」


「いや、何もそこまで言わなくても……」


「それに、編集長? そもそも比べる相手が悪すぎっすよ? あの、編集一筋二十年の化け物編集マンって呼ばれてる副編集長と比べること自体がおかしいっす」


「いや、そんな呼び方をするのは君くらいだと思うよ? 時東君」



 佑丞にそう呼ばれた男は、二十代前半の茶髪に黄色い瞳をした軽そうな印象を持った男性だった。

 彼は時東佐門(ときとうさもん)という名前で、佑丞と同じ英雄社に勤める平の編集社員だ。



 その軽い性格から偏った印象を持たれることの多い佐門だが、一般的な編集社員と比べてそこそこできるらしく、作家からの評判も決して悪くはない。

 悪くはないのだが、これが編集長の佑丞や副編集長のみゆきと比べられると途端に詰めの甘さが浮き彫りになってしまい、そのことでよくみゆきに苦言を呈されている。



 そのためか、佐門はみゆきのことを苦手としているらしく、彼女の周囲にいる男の中でも言い寄ってこない珍しいタイプの人間であった。



「でも事実じゃないっすか。あの人の頭の中どうなってんすかね?」


「それは、僕も知りたいところではある。今回の書籍も彼女の持ち込みだったし、一体どこから発掘してくるのやら」


「副編集長が自分で書いたってことはないんすか?」


「それはない。彼女は絵関しては神がかっているが、小説についてはてんでダメでね。以前彼女の小説を見たことがあったが、文章にすらなってなかった。幼稚園児ですらもう少しマシな文章を書くよ」


「そ、そこまでっすか……。じゃあ、一体誰なんすかね? この【無名玄人】っていう新人は」


「わからない。だが、少なくとも逸材であることは間違いないよ。あの文章は、そうそう書けるもんじゃない」



 今から二ヶ月ほど前、どこからともなくみゆきが持ってきた古い原稿用紙に書かれた小説を佑丞は読まされた。

 その文章は、英雄社で編集長として働く彼すらも唸らせるものであり、読み終わった感想としては「このあとの続きはどうなるんだ?」という読者が抱く感想と全く同じであった。



 小説の出処を聞いたが、みゆきは頑なに答えようとせず、佑丞に書籍化の要求を迫った。

 彼としては、出自のちゃんとした相手との取引を行いたかったが、彼女から読まされた原稿があまりに面白すぎたため、彼女の強いプッシュもあって、書籍化に至った。



 さらにみゆきは、佑丞に初版部数五万部というデビューしたばかりの新人作家としては異例の数字を要求してきた。

 さすがに突っぱねようとした佑丞だったが、みゆきの肉体裁判の餌食となってしまい、最終的には彼女要求が全て通った結果となった。



 だが、発売された途端イラストレーターとして名のある彼女の新作ということで話題を呼び、瞬く間に初版部数の半分が売れた。

 大抵の場合、勢いは最初だけでここから販売部数が右肩下がりに落ち込んでいくのだが、この書籍だけは違った。



 なんと、日を追うごとに徐々に販売部数が伸びていき、あっという間に各書店に卸していた分の書籍が完売した。

 ここ数日、書店から直接「あの書籍を追加注文したい」という電話が殺到しており、出版社が保有していた在庫分を全て放出すると同時に、印刷所との取り決めですぐに十万部の重版が決定したのであった。



「はい【英雄社】編集部です。はい。はい。あーその件でしたら、重版が決定しておりまして、大変恐れ入りますがしばらくお待ちいただければと思います。はい。はい。では、そのように。失礼いたします」


「また書店さんからの追加注文の電話か?」


「そうっす。まさか、ここまでの反響になるなんて驚きっすよ。副編集長も、こうなるなんて思ってなかったんじゃないっすか?」


「いや、彼女はこうなると考えていたはずだ。この書籍が販売開始された直後に印刷所から連絡があってね。“お宅のところの副編集長が、近々追加印刷するかもしれないからそのつもりでと言われたんだが?”と電話があった」


「はっ、一体どこまで予想してたんすか?」


「少なくとも、初版部数の五万部が完売することは織り込み済みだったはずだ」


「やっぱ、化け物っすわ」


「それ本人の前で言わない方がいいぞ」



 佑丞の忠告に佐門は「言ったら殺されますよ」と笑いながら、洒落になっていないことを口にする。彼自身もそのことについては十分に理解しており、今本人がこの場にいないからこそ言えることであるというのが二人の共通認識だった。



 それ以降も、書店からの追加注文の電話は鳴り止まず、重版する十万部のうち、六割が書店からの予約注文で埋まってしまい、最終的に次の重版の話にまで発展してしまうことになるのであった。

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