第1話 消えない傷跡
――ロオの街に来てから3年の月日が経過していた。
おれはまだ…………あの日の悪夢に襲われている。剣の修行や区の外でゴロツキどもと戦うことは続けていたがそれ以外は何の気力も起きずに疲れたら食事を取って眠るだけの毎日を繰り返していた。自分の黒髪は相変わらずボサボサで身体の傷が増えた気がする。
一方のレイは詳しくは知らないが毎日おれたちの住む37区、通称妖精の区の外に出かけたりシスターの手伝いを精力的に行っている様子だった。日に日に傷が増えて元気を失っていくおれをすごく心配してくれている。おれとは対照的にレイのブロンドの髪は相変わらずサラサラのつやつやだ。何かケアをしているのか聞いてみるも『特に何もしてないよ』の一点張りだ。
そういえばふたりとも身長がちょっとだけ伸びた気がする。以前に比べた時は同じぐらいの身長でおれの方が少しだけ高かった。
今日も妖精の区内で剣を振っていると、同区内に住む小さい子供たちがキャッキャしながらおれの所にやって来た。気づけばおれたちは周りの中でも年長組になっていた。
「おい、ディールの兄ちゃん。今日も化け物退治の話を聞かせてくれよ!」
「わたしも~聞きたい聞きたいー!」
神隠しの森の出来事は一昨日話したばっかりだ。
「え~~ぼくは魂色の儀について聞きたいよー」
魂色の儀だって5日前の食事の時に話した。おれはうんざりといった様子で返す。
「どっちもこの間話したばっかりだろ。それにおれじゃなくてレイに聞いてくれよ」
「だってレイの兄ちゃんはディールの兄ちゃんと違って働き者なんだから迷惑になっちゃうだろー」
押しに押されておれは渋々了承した。
「…………分かったよ。じゃあ後で教会でな」
おれが子供たちに約束するとまた別の子供がこちらに向かって走ってやって来た。おれの前に着くなり息を切らしながら話し出す。
「ハァ……ハァ……ディールの兄ちゃん。シスターが緊急の用事があるから呼んで来いって」
シスターがおれを呼びつけるなんて滅多にない。おれは他に呼ばれている子はいるか確認する。
「シスターがおれに用事があるのか?レイは?フィリスは?」
「レイの兄ちゃんとフィリスさんならとっくに教会にいるよ」
おれは急いで教会のシスターがいる祭壇横の部屋へと向かった。
部屋に入るとシスターがベッドで横になっていた。シスターはここ1年ぐらいで年のせいか体調を崩しがちになってしまった。頬はこけており手はやせ細っていて骨と皮だけといったところだ。それでも笑顔を絶やさないのがシスターだ。
ベッドのすぐ脇で席に座っているのはおれの親友のレイとおれたちの中では最年長の女性フィリスだ。フィリスはシスターに次の妖精の区の支配者の後継とされているが当の本人はその座を継ごうとは思っていないらしい。
フィリスはグレーのパッチリとした瞳にシフォンベージュのロングヘアで結ぶことは滅多にない。子供たちからの信頼も厚いがどこか抜けている所があり、それを子供たちに自発的に補ってもらえるのが彼女の持ち味だとも思う。
おれは入り口の近くの壁にもたれかかった。シスターはおれが来たことを確認すると今にも消え入りそうな声でゆっくりと話し始めた。
「今日ここに集まってもらったのは私が最も信頼のおける三人です。恐らく私はもう長くないでしょう。故に”脅威”について教えなければなりません」
「脅威とは一体何でしょうかシスター?」フィリスが質問する。
「つい先日、外からの報告で敷物の区と鋼鉄の区が抗争を終わらせて連合を組み私たちの住む妖精の区を自分たちのものにしようと企てています」
「それはかなり不味い状況ですね。ということはここに攻めてくるのも時間の問題……」
妖精の区を囲んでいる2つの区が手を組むだって!そんな話は噂でだって聞いたことなかった。レイとフィリスの表情は曇っている。それでもシスターは話を続ける。
「彼らは話の通じる相手ではありません。ここを襲いに来たら子供たちは皆その命を奪われるでしょう。皆で協力してこの危機を乗り越えるのです」
シスターは元気がないはずなのにその声は次第に腹の底から出始めていてとても力強かった。おれは質問する。
「他の区から応援は頼めないんですか?シスター程の人望があれば頼めるんじゃないですか?」
「いいえ、私がこれまで他の区と締結していたのは不可侵だけです。しかし、こんな街では約束など容易くなかったものにしてしまうのです」
今までこの子供だらけの区画が襲われなかったのはシスターが他の区に金銭の提供や怪我の治療を施していたその恩から来ていたものだった。恩を無下にするなんて許されない行為だがこの街ではシスターの言う通り当然のことなんだ。
会話を終えたおれたちはシスターの部屋から出た。それから祭壇のすぐそばで三人で話し合う。レイが最初に口を開いた。
「ディール、フィリス。シスターの言う通りだ。何か策を講じないと勝ち目はないよ」
「そうね。まずは何人かの年長組にこのことを伝えましょう」
どうやら二人は本気で戦うつもりらしい。おれは二人の会話を遮るようにして話す。
「…………降伏した方がいいんじゃないのか?おれたち」
おれの一言で場の空気は一瞬で悪くなった。レイは信じられないといった表情でこちらを見ているし、フィリスはおれを睨みつけていた。
「何言ってんのさディール⁉『降伏した方がいい』って!」
「どういうことかしら?ディール・マルトス。冗談でも許されないわよ」
二人が怒っているのも理解できる。それでもおれは話を続ける。
「冗談なんかで言ったつもりはねえよ。おれたちはた・だ・のガキだぞ。そんなガキに何が出来るっていうんだよ」
「いい加減にしておくれよディール。君がそんなこと言うなんて信じられないよ……」レイは沈んだ声で肩を落としていった。
「戦ったところで全員殺されるに決まってる。だったら今のうちに降伏して売りさばかれるなり奴隷なりになった方がまだ命があるだけマシだろ」
おれの考えに賛同できるはずもなくフィリスは反論する。
「そんなのいいわけないでしょ!ふざけたこと言ってないであなたも何か考えなさいよ」
フィリスは怒っている様子だがおれは気にせずに続ける。
「お前は本当の地獄を見ていないからそんな戦うなんてことが言えるんだ!ここに住む子供全員が血に塗れることになるぞ。あの血と肉が焼けたむせ返るような臭い、泣き叫んでもやまない悲痛な声の数々。おれはもうごめんだね。逃げるなり降伏するなりした方が利口だって言ってんだよ」
おれはついムキになって感情的に言い放ってしまい居心地が悪くなってその場から立ち去った。
それから数日間、部屋にレイは戻らなかった。どうやらレイは教会で作戦を練っているようだ。
作戦の日が近づくにつれて妖精の区の年長組はやる気満々のようだった。でも、皆は分かっていない。あまりに強大すぎて見えない敵と戦うことの恐ろしさを……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます