第29話 TUBASAとSORA君の前夜祭


「いよいよ、明日だね!」

「もう、ウチのクラスが最優秀文化賞ゲットしたようなもんでしょ!」


 勝手に盛り上がる人達を尻目に、私はぼーっと廊下の向こう側を見る。今、ココに下河君がいてくれたら。どうしても、そう思ってしまう。


 ――食べさせて欲しいかな。

 勇気を振り絞って、下河君におねだりしてみたんだ。


『なに言っているの?』

 そう言われる可能性だってあった。それなのに、彼は――。


 サクッ。

 あの時の、クッキーの味……今でも憶えてる。その指先に、私の唇が触れて――。

 思い出しただけで、耳まで熱い。


 でも、それだけ。

 ラブコメだったら、急接近間違いなしの展開だと思うのに。


 下河君たち調理班と、私達実働部隊はいつまでたっても別行動で。火花君の取り巻き達が鬱陶しいとすらとすら思う。


「今から前祝いでカラオケに行かない?」


 何を言っているのだ、コイツら。私は思わず、ゲンナリとした視線を向けてしまった。


「……いや、あんたら。明日、本番で踊る人達を前に、本気で言っている?」


 同じくげんなりした表情を浮かべて、みーちゃんが言う。正直、私も同感だ。一方、満更な火花君。その体力があるのなら、最初から踊ってくれと言いたい。


「いいじゃん、海崎さん! 火花君のパフォーマンス最高でしょ! 本番に向けて、もっとテンションを上げていこうよ! ね。天音さんもそう思うでしょ?」

「え……うん?」


 正直、どうでも良かった。文化祭が近づくにつれて、下河君とまったく、接点がもてない。明日が文化祭本番だというのに、まるで現実感がない。

 と目の前、丸めた模造紙を持って歩く男子が角を曲がるのが見えた。


「……空?」


 彩翔君がそう呟いた瞬間、私の感情は弾けた。思うより早く、廊下を駆けていた。






■■■






「損な性格をしているよね、下河君ってさ。クッキーを焼いた後に、今度は学校に戻って、模擬店の飾り作りだもんね」

「仕方ないじゃん」


 ふんわりと彼が笑む。


「本間さんだって、そうでしょ?」


 もう間もなく下校の時間になろうというのに、二人は模造紙に何かを書き込んでいる。少しだけ開いた入り口から覗きこむけれど、それ以上はよく見えない。下河君と一緒に居るのは美紀ちゃんで――それだけでとくん、と心臓が跳ね上がる。


 文化祭なら、彼ともっと隣にいられると思っていたのに。結局、こんな展開で。。不必要なくらい、火花君は、私にボディータッチをしてくる。湊ちゃんや彩翔君が、フォローしてくれるけれど。正直、本当に気持ちが悪い。私じゃなくて、取り巻きの子にアプローチしてあげたら良いのに。

 そんなコトをしている間に下河君は――。


(……違う、コレは私の我が儘だ)


 文化祭を成功させようって言ったのは私。今も一生懸命がんばっているのは下河君。


 もしかしたら、また転校しちゃうかもしれない。だったら、最高の想い出を作りたい。そう思っていたのに。


「何やってんの、天音っち?」

「ひゃんっ?!」


 突然、声をかけられて、心臓が止まるかと思った。


「……矢淵さ、ん?」


 座り込む私を見下ろす視線。スカートからのぞくスラリとした足を見ながら、やけに背徳感を感じて。

 私は目を丸くするしかなかった。










「……もう一回聞くけど、何やってんのさ、天音っち?」


 そう矢淵さんは言いながら、教室の方を見やる。隙間から見える二人。肩が触れあうくらいに近い。ちか……近すぎじゃないかな? 文化祭の準備でとはいえ、二人っきり。ちょっと、そういう雰囲気を出すのダメだって思うの。不純異性交遊って言われても――。


「ははぁん」


 矢淵さんが、私を見て勝手に納得する。


「そういう目で見るの、良くないと思うけど? 他のメンツも作業しているからね?」


 矢淵さんの声に、私はははっと我に返る。



「下河、こっちの作業は終わったぞー!」

「それなら、こっちを手伝ってよ!」


「男子、ハサミを床に置きっぱなしにしないでよー!」

「……あのさ、遅くなりそうだから。マズいヤツは帰っていいから――」


「「「「「バカっ!」」」」」」


「本当に下河、反省しないな」

「みんなの文化祭なんでしょ?」


「ちゃんと遅れるってママには言ったら大丈夫」

「先生の許可を取ったしね」


「もともと火花応援キラキラ団がやらかしたんじゃん。下河が全部、背負い込むの違うからな」




 そんな声が、教室内から響いたのを聞いて、唖然とする。誰が――何を――やらかしたの?


「正直、空気は最悪だったよ。火花応援キラキラ団が抜けてさ、模擬店の内装の準備が進んでないって知った時にはね。全部、下河シモがやろうとしてくれてたんだよ? あり得ないっしょ?」


 私は、たたコクコクと頷くことしかできなかった。


「……別にさ、湊っちや天音っちを責めようとは思わないけどさ。アイドル班が主役のような空気でしょ? ダンスがクソ難しいのは知ってるけどさ。でもあいつら、まるで雑用のようにウチらを扱うじゃん」


「そんなこと、な――」


「天音っちにそんなつもりか無いのは知っているよ。でも、スタッフ扱いされてさ、一時期は険悪だったんだよね」

「それはごめ……って、一時期?」


 私は思わず、矢淵さんを見やる。彼女はニンマリ笑みを浮かべていた。


「だってね、下河シモが言うんだもん。『徹底的に、驚かせようぜ』って。なんか、それを聞いたらさ。ムカムカするのバカらしくなるじゃん。絶対に成功させようって、逆に一致団結しちゃったんだよね」


 満面の笑顔を浮かべる矢淵さんが、ズルいって思ってしまう。

 下河君と一緒の想い出、その中に私がいない。それが、たまらなく悔し――。


「正直、納得いかないけどね。下河シモはやっぱり、天音っちをプロデュースしてるんだろうなぁ、って思うし」

「へ?」


 矢淵さんの言葉に、私は目をパチクリさせる。


「気付いてないでしょ? 照明の当て方とか、絶対に天音っちがえるように下河シモはセッティングしていたからね」


 矢淵さんの言葉に、勘違いしそうになる。

 嬉しい。


 でも下河君だから、善意の固まりを向けてくれたに過ぎない。

 頭では、そう分かっているのに――。


(……うれしい、すごく嬉しい)


 どうしよう、放っておいたら、ニヤけちゃう。いや、きっともうニヤけてる。

 だけれども……その前に私にはやることがある。


「ん? 天音っち、手伝わないの?」


 怪訝そうに、矢淵さんが私を見た。


「ごめんね、矢淵さん。もちろん手伝うけど、その前にすることがあるから」

「……我が校のアイドルがして良い顔じゃないって、天音っち」

「私、アイドルじゃないし」


 そういう評価、そのもの本当にジャマって思う。

 それも、あいつらのせい。

 ぐっと、拳を固める。









 とりあえず、絶対にブン殴る――。








■■■










「つまんないの」


 思わず、そんな声が漏れた。

 ゲームにログインした私は、中央区セントラルを彷徨う。時間限定イベントは、とっくに終わってしまった。


(今日はもう無理と諦めていたから、別に良いけどね)


 そう息をつきながら、自分を納得させる。


 中央区セントラルは、ゲームに入り口だ。ここからゲーム本編へ突入、スキンの購入、フレンド募集が行えるのだ。


 一人ソロでゲームに行く気力も無いまま、私は人の流れに実をま買え、闇雲に歩み進めていた。色々なユーザーのボイスチャットが飛び込んできて、これはこれで面白い。



「今日、本当についてねぇ」

「可愛い子って、怒ると怖ぇよな」


「文化祭ぐらいで、そんなにマジにならなくても、さ」

「アイツが良いトコ取りしたせいっしょ」


「ま、明日には、情けない姿をみんなに公開しちゃうけどねぇ」

「ひでぇヤツ~」


「いや、酷いのは指示を出したヒバナさんじゃない?」

「間違いない」


 下卑た笑い。文化祭の時期とはいえ、ボイスチャットで話すような内容じゃない。一生懸命取り組んでいる人をバカにする人は、好きになれない。どうしてもそう思ってしま――。


「スナイパーエンジェルちゃんじゃねぇ?」

「ちょっと、俺とフレンドにならない?」


「いや、俺と!」

「フレンド枠、ムダにできないよね? それなら僕と――」


 無造作に手をのばされる。

 ゲーム上だから、あくまでキャラ画像が重なるだけ。でも、それだけで、不快に感じる。


 ▶フレンド申請が届きました。どうしますか?


 そんなダイアログが目に飛び込む。

 キャンセルボタンを押すまでもなく、嫌悪感に包まれた私は、ライフルを発砲する。


「ちょ、ちょっと?!」

「な、なんで?!」

「ぶべらっ?!」


 名前も知らないユーザー達を吹っ飛ばしてしまった。中央区セントラルではプレイヤー殺人キルはできない。その代わり、執拗なユーザー申請や迷惑チャットを送信し続けるユーザーに対して発砲できる。


 撃たれたユーザーは、中央区セントラルの端に飛ばされてしまう。その間に、退避するか運営に通報するか。別に、彼ら如き怖いとは思わないけれど――。


(そういえば……ヒバナって言った?)


 どうしても生理的に嫌悪してしまう火花煌を思い出しながら。

 ゲームの世界でまで、アイツに干渉されたくない。


 首を軽く振って、いつもの場所で私はを待つことにした。








「ごめん、本当に遅くなった!」


 SORA君がログイン――二人限定のクリエイティブステージに入室するや否や、私に手を合わせてきた。思わず、ふふっと笑みが零れる。手を合わせるモーションは何気なにげに難しいのだ。


「……大丈夫だよ。今日はね、私も文化祭の準備で忙しかったから。イベント、実は行けてないんだよね」

「あ、そうなの?」

「そうそう、だから気にしないで」


 私がそう言うと、SORA君はほっとしたように、息をついて私にならって、に腰をかける。本来、クリエイティブモードは練習用ステージを作成するのだが、一部のクリエイターは、造成に拘る。SORA君もその一人だった。

 現在、この二人限定ルームは、文化祭のステージを模していた。


「……SORA君、何か良いことあった?」

「え?」


 彼は戸惑ったように、声が上擦る。心なしか、彼が上機嫌に見えた。そんなに美紀ちゃんと一緒に作業できたことが楽しかったんだろうか。仄暗い感情が、胸の奥底で蠢いていく。


「TUBASA、鋭すぎない?」


 唖然とするSORA君を尻目に、ざわつく感情が止まらない。やっと名前を呼んでくれた。でも、これはあくまでゲームのなかでの話。現実の空君は、私を天音さんとしか呼ばない。そう考えれば、またジリジリ胸が焦げついた。


「あ、あのね。言いにくいんだけどさ……」

「言えないのなら無理して、言わなくて良いけど?」


 そっぽ向く。空君が慌てたのがボイスチャット越し感じた。私、悪い子だって思う。思い通りに行かない感情を、こうやって空君に八つ当たりしている。


「あ。そういうことじゃなくて。あのね……俺のクラスに、TUBASAと同じ名前の子がいて、ね……」

「へ?」


 同じも何も、本人ですけど?


「その子が、他の面子を怒ってくれたんだよね。おかげで、作業が一気に進んでさ」

「そ、そうなんだ……」


 怒ったというか、八つ当たりでしかなかった。少し冷静になってちょっと大人げないと思うが、反省はしない。思い描いていた空君との文化祭をジャマしてくれたんだ。絶対に許さない――思い出したら、また腹がたってきた。


「やぱり、すごいなぁって思ったんだよね」

「すごい?」


 私は目をパチクリさせる。


「うん。クラスの中心にいる子なんだけれどね。常にみんなのことを気にかけている人だから。自分も大きな役割があって大変なはずなのに」


 買いかぶりすぎだ。誰にも彼にも、私は良い顔しかしない。所謂、転校生の処世術だった。


「そっか」

「うん」


 無言で。

 ステージの上で、プラプラ足をバタつかせてみる。ヘッドフォン越し、空君の息遣いが少しだけ聞こえて。それだけで、満たされている私がいた。


「文化祭、成功させようね」


 私はTUBASAとしてではなく――翼として言う。


「お互い、ね」


 空君はヘッドフォン越し、きっと微笑んでいる。容姿スキンは無表情。普段の空君を知る私からすれば、味気ない。


 でも声だけで――それだけで、耳の奥底まで幸せになっている私。本当にチョロいって思うけれど。






「がんばろう?」


 耳元に響く、空君の声。

 今は、これだけで十分だった。







■■■













 ――文化祭、明日開幕。

 でも、まだまだ眠られそうになかった。

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