第28話 空君を3分間クッキング

「それじゃ、調理班の皆さん! 準備は良いですかー!」


 矢淵さんの掛け声に、調理班全員が「お-!」と応じる。


 総勢、ゲストを除いて16名。アイドル班はもちろん、今日もダンスの練習があるから除外。他、部活でぬけた人。そもそもアイドル班の追っかけの連中もいたから、ソコも片目をつぶるとして。まぁ、そこは予想の範疇。ただ、男子が俺以外いないコトが解せない。

 特別講師スペシャルゲストもセッティングしたワケだし。今回、俺はもう――。


「ドコに行くの、下河君?」


 本馬さんの無垢な視線に、思わず「うっ」と言葉がつまる。満幅の信頼と言えば良いのか、全部一緒に頑張るという気合いを感じて、抜け出すという選択肢をすでに潰された感がある。


「それじゃ、ココから下河シモに重要な説明をしてもらおうと思います!」


 矢淵さんの声に、参加者が拍手を送る。一時は天音さんとの関係で、暮らすの空気がギクシャクしたが、今や湊や彩翔も含め、普通に話しているのが、功を奏したのか、火花一派と線引きしている以外では、何ら変わらない。むしろ、よりクラスのムードメーカーとして貢献している節も――矢淵さん、なんだって?


「だから、ココからの解説は下河シモにお願いって言ったのー」

「なんで俺?!」


「だって湊っちが『役割分担は大事だけど、仕事をある程度渡しておかないと、勝手に離脱するから、しっかり掴まえておくように』って言われたから。下河シモのこと信じていたのに……ちょっと軽蔑しちゃったよ!」


「「「「「下河君ひど~い」」」」」」


 こら! 本馬さん達まで、悪乗りしない。特別講師スペシャルゲスト、あなたもです!


「えーと」


 立って、こほんと咳払いをする。


「矢淵さんが無茶振りを言うから、一応、俺から説明をしますね。でも、調理班のリーダーは、家庭科部の矢淵さんだから。そこんトコ、よろしくね」

「幽霊部員だけどね☆」

「そこ威張って言うことじゃないから!」


 俺が言うと、みんなクスクス笑う。まぁ、矢淵さんがその日の気分で、試食担当して家庭科部に顔を出すのは周知の事実。ただ、俺たちまで巻き込むの、本当に止めて。俺まで試食の常連になっているから。


「続けます。今日は、バタークッキーとココアクッキーを作りますが、俺たち全員素人だから、講師がいた方が良いかなって思いました。紹介します、Cafeカフェ Hasegawamハセガワのパティシエ、長谷川美樹さんです」


 と俺が紹介すると、美樹さんは立ち上がってペコリとお辞儀をした。その途端、割れんばかりに拍手が湧き上がる。


 知る人ぞ知る、隠れ家的カフェ。デートをするならアソコと言うくらい、Cafe Hasegawaは特に、女子に有名だった。一方、下河家は俺が保育園児クソガキの時から通い詰めている。親戚のおばさん以上に、俺のことを知り尽くしている人で――正直、こうやって傍にいるだけでも、恥ずかしい。


「空君にお願いされちゃったからね。しっかり、講師役、がんばります! あ、遠慮はいりません。他ならぬ空君からのお願いですから、手抜き無しでやりますから。気軽に質問してくださいね。ちゃんと、彼から報酬をもらから、そこはご心配なく」

「……え、報酬って?」


 本馬さんが心配そうに俺を見るが、ソコは大丈夫。火花のように、お金がかかることじゃない。ただ、その内容はちょっと俺の口からは――。


「この中で、空君は誰が好みなのか。それを教えてもらう予定になってます~」

「いねぇよ!」


 なんで言うかな。そういう目で女子を見ているみたいで、心証最悪じゃんか。恋愛話コイバナ好きも本当に変わらずで。正直、ゲンナリだった。


「「いないの?!」」


 いや本馬さんと矢淵さんが、機嫌が悪くなる意味が分からない。


「ほーほー」


 あの美樹さん? 気持ち悪い笑みを浮かべるの止めてくれません? 本当に、そんな関係じゃないから。ココに天音さんが――湊達がいなくて、本当に良かったって心底思う。


(あれ……? 何で、天音さんが一番に?)


 考えるほどドツボだ。自分でもよく分からない。

 コホン。

 もう一度、咳払いをする。


「……えーと。今回、Cafe Hasegawaにお願いをしたのは、理由があります。文化祭で出店する場合、その場で加熱調理することが前提と保健所から説明がありました」


 みんなから、どよめきの声が上がる。

 それもそうだろう。当初、前日から準備することを想定していた。教室でのアイドル喫茶。調理スペースは当然ながらない。ただ、食品衛生上、営業許可の無い臨時店舗では、事前調理はそもそも許可がおりない。


「それって、そもそも私達のカフェは無理ってこと?」


 そんな声が上がる。俺は首を横に振った。


 では、どうするか――その解答アンサーが、Cafe Hasegawaとのコラボだった。もともとフーとバンクとコラボすることで、売り上げを地震で被害があった地域に寄付することは決まっていた。そこに、Cafe Hasegawaも便乗する。


「クッキーの製造は、前日、Cafe Hasegawaでみんなと一緒に行います。材料費は俺ら持ち。当日、Cafe Hasegawaのチラシも置く。菓子販売業の資格をもつ、長谷川さんが食品管理を受けてくれることになりました」


 俺はペコリと頭を下げる。これで食中毒でも起きようものなら、Cafe Hasegawaの看板に泥を塗ることになる。それだけは、絶対に起こさせない。その覚悟も込めて、俺は頭を下げた。


「「「「「「ありがとうございますっ」」」」」」」


 その後ろで、みんなが同じように――頭を下げるのが見えた。


「……へ?」


 まさかの光景に、目を見張る。文化祭の出し物を決めるときに四苦八苦していた面々とは思えない。


「へへへ」


 矢淵さんが笑む。


「な……何?」


 俺は目をパチクリさせるしかない。


「だって、下河君にだけ任せっきりって、イヤじゃないですか。みんなの文化祭だって思うから」


 そう本馬さんも微笑む。


「美紀ティー、良いこと言うよね。そういうコト! それにさ、今日ココにいないアイドル班とか、欠席組はクッキーの試食ができないワケでしょ? これはやっぱり、私達の特権っしょ!」


 分かったから、バンバン背中を叩かないで。


「ほどほどにしないと太るんじゃ――」

下河シモ、そういうこと言っちゃうんだ?」


 矢口さんへのせめてもの抵抗。そうボソッと呟いた俺は、なぜか女子の皆さんに詰め寄られたのだった。




 俺、悪くないよね?





■■■





「しっかり焼き上がったみたいだね」


 美紀さんはにっこり笑いながら、言うけれど。正直、俺の耳には入ってこない。手があまりにだるすぎた。


 ――ハンドミキサー持っていく?


 姉ちゃんの助言を素直に聞いておくべきだった。バターを溶かし、そこから卵黄、薄力粉を混ぜるのが、こんなに重労働だとは思っていなかった。いつも姉ちゃんは、魔法のようにあっさりお菓子を作る――ように見えた。


 クッキーひとつとっても、これほど重労働とは。次から、心して食べようと思った俺だった。


「じゃぁ、今回はココまで。まこちゃんにお店をお願いしているから、これ以上はごめんね。次は、前日だね。当日はハンドミキサー使って良いからね?」


 クスッと美樹さんは笑う。誠さんは、美樹さんの旦那さんで、Cafe Hasegawaのマスター。バリスタの資格を持つ、コーヒー・マエストロだった。


 今回は、本馬さんの撹拌を手伝ったのが、運の尽き。矢淵さんまで、妙に甘えてきたのはの、絶対に俺を揶揄っているとして。他の子達までわざわざお願いしてくるの、コレなんなの?


 ――下河君って、もしかして。すごく優しい?

 ――面倒見が良いよね。

 ――なんか一生懸命だし。ずっと文化祭のこと考えてくれていたワケでしょ? なんか、そういうの、良いよね。


 いや、今そういうこと言われても。むずがゆさしかない。


「はい、どうぞ」


 ぼーっとしていたら、本馬さんにクッキーを差し出された。


「え?」

「みんなの分の泡立てまで、本当にお疲れ様でした。下河君が作ったもの方が美味しいかもだけど。私の、食べてみてくれない?」


 そう言われたら。もう無意識に、本馬さんのクッキーを齧っている俺がいた。うん、甘くて美味しい。疲れが溶けていくような感覚を憶える。


「ひゃんっ」


 本馬さんが変な声を出す。あれ? 指まで食べてないよね? 大丈夫、うん、大丈夫。きっと大丈夫……と思うけれど――なんで、顔が真っ赤なの?


下河シモ、今度はウチが食べさせて上げるね――」


 矢淵さんの言葉は、途中で凍りついた。

 妙に突き刺すような視線。


 いや、見たくない。今は見たくないけれど――。


 ギギギギ。

 油をさして欲しいくらいに、首が軋んだ気がした。


 家庭科室の入り口で、両手を腰に当てながら、こっちを凝視する天音さん。そして、彩翔と湊が、ニヤニヤ笑いながらこっちを見ていた。


「……大変だろうなぁって心配して来たんだけれど。美紀ちゃんとイチャイチャするぐらい余裕あるんだね?」

「いえ、あの? え?」


 余裕じゃない! 全然、余裕じゃない! むしろ天音さんから睨まれて! 意味も分からず、心臓が止まりそうなくらい、余裕がない! 背中が寒い!!


「……ダンスの練習は?」


 こうなったら強制的に話題を切り替えるしかない。


「あぁ、火花が根を上げてね。今日は解散になったんだ。明日から、もっと追い込むって姉ちゃんは意気込んでいたけれどね」


 はい、会話終了。COLORS初期からのファンである黄島彩音。彩翔の姉ちゃんは、一切の妥協を許さない。これは明日、血を吐いても先生は許してくれない。


「下河君の焼いたクッキー、どれ?」


 天音さんが、あえて会話を戻してくる。はい、話題転換失敗。スリーアウト! 9回の裏、天音さんの攻撃、まった無し!


「えっと、それ……。食べて良いよ? むしろ感想を教えてもらえたら――」

「食べさせて欲しいかな」

「へ?」


 天音さん、あなたは何を血迷ったことを言っているのですか?


「だって、クタクタだし。私、頑張ったんだけどなぁ。誰かが褒めてくれたら、明日はもっと頑張れるんだけどなぁ」


 チラチラ、オレを見るの止めてくれない?


「いや、俺の手は汚いし。自分で食べた方が――」

「汚い手でクッキーを焼いたの?」


 はい論破、yesイエス論破! 誰か、助けて。見ていないで、マジで助けて!



 ――天音さんって、もしかして?

 ――うんうん。空と話している時、表情が全然違うでしょ?

 ――湊ちゃん、そこんトコもっと詳しく知りたいよ!



 ダメだ。味方もクソもあったもんじゃない。


「まだかなぁ。早く食べたいなぁ。本当に美味しそう♪」


 そう言いながら、天音さんはまるで自分で食べようとしない。


(彩翔や湊にするのと一緒、これは一緒だから!)


 そう思いながら、クッキーを差し出す。

 サクッと音がして。

 それから、チュッっと水音がした。指先に暖かい何かが触れた感覚を憶えて――。


「え?」

「な、な、なんでもない! なんでえもないから!」


 天音さんがそっぽを向く。表情は見えなかったけれど、耳が真っ赤なのは見てとれた。


(……ダンス、大変だったんだろうなぁ)


 そう思うことにした。

 と。

 くいくい、藪地産が、俺の制服を引っ張る。


下河シモ、ウチにも。ウチも頑張ったよ? ウチにもご褒美ちょうだいっ!」


 まさかの矢淵さんまで、便乗。正直、まともに付き合う余力が無い。だって、さっきの天音さん。あれ、指先に唇が――いや、考えるの止めよう。考えたら、天音さんのことを、まともに見られる気がしない。


 気を紛らわせようと、俺は矢淵さんにクッキーを――。










■■■












イタっぁぁぁぁぁぁっっっ!?」

 まさか指ごと、矢淵さんに持って行かれそうになった俺だった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る