第23話 腹黒策士さんと、天使の羽根のエンジェルさん


「……そんなのおかしいよ!」


 天音さんの声は、そんなに大きくない。でも、そも声は凛と教室内に響き渡った。教室内、波が引いたように、誰もが声を潜める。


 火花を見れば、ニィッと勝ち誇ったかのように笑んでいる。勝った、負けたではないけれど。俺は選択肢を誤ったのかもしれない。そりゃ、そうかと思う。目標に向かって、クラスが走り出していた、その最中で。


 気になる点があったとはいえ、冷や水を浴びせる形になったのは確か。こんなことなら火花とマンツーで話し、後は水面下で動けば良かったと、今さらながら後悔する――。


「そういうこと」


 ポンポン、と火花が俺の肩を叩いた。


「下河、どうしてチームの輪を乱すのかな? 折角、良いムードで団結しているのにさ。本当に、お前って空気を読まないよね――」

「なにを言っているの?」


 天音さんが、首を傾げた。そして、その目を細め、俺たちを見やる。


「おかしいって、言っているのは、《《火花君達》」にだよ」

「「は、い?」」


 俺、そして火花の声が、仲良く重なった。


「翼、何を言って……?」


 火花の引き攣った声、俺は初めて聞いたよ。それにしても名前呼びかよ。イケメンはこれだから――。


「私、名前呼びはイヤだって言わなかったっけ?」

「でも、つば――」

「聞いていた、私の話?」


 天音さんの声音が。その温度が、どんどん下がっていくのを感じる。


(名前呼び、イヤだったんだね)

 これは……肝に銘じておこう。


「下河君が一生懸命、文化祭のことを考えて提案してくれたのに、聞く態度じゃないと思うの。それっておかしくない?」


「え……? おかしいのは、下河の方で……」

「そうだよ、折角のムードが台無し……」


 火花を擁護するように、陽キャ達が口を挟むが、天音さんの毅然とした視線を前に、あっという間に撃沈する。


 でも、情けないなんて思わない。だって正直――俺もメチャクチャ、怖い。どこがって言わないけれど、ヒュンッってなる。背筋が凍りつきそうだった。


「だって、ずっとみーちゃんも言っていたでしょ? 文化祭についてクラス全員で話したいって。でも『いーからいーから』って先延ばしにしたのは、火花君達だよ?」


「それは……でも企画書に……あとは役割分担で……」

「うん。私、全然見てないから。その企画書を見せてもらって良いかな?」


 天音さんが表情を一転させ、柔和に笑む。俺が知っているいつもの天音さんで、ほっと胸をなで下ろした。うん、やっぱり、その笑顔好きだな。


 俺は、天音さんに企画書を手渡そうとして――。


「そ、それじゃ、一緒に確認できないじゃん」

「へ?」


 気付けば、片手は俺が。もう片手で、天音さんがプリントを持つという、摩訶不思議な体勢に――読み方になっていた。


「あ、あの……コピーしたモノが、こっちにも……」


 本馬さんが声をかけてくれたけれど、天音さんは企画書に集中して、まるで微動だにしない。いや、むしろ、近い。さらに距離を寄せて、天音さんは覗きこむ。


 微かに香る甘い匂い。姉ちゃんとは明らかに違うフレグランス、ますます鼓動が早くなる。


「ねぇ、下河君?」

「ひゃい?」


 天音さんの髪が、俺の首筋をくすぐるくらいに、二人の距離がちか――近すぎるから!


「ぐぬぬ……」

「むー!」

「やるなぁ、天音っち。完全に策士じゃん」


 火花の歯ぎしり、本馬さんのなぜか不満気な声も重なって、矢淵さんの呟きはかき消され、よく聞こえなかった。


「ねぇ、下河君? 聞いてる?」

「……き、聞いてるよ! 聞いてる!」


 聞いてない、聞いてない! とても聞ける状況じゃない!


「ココなんだけど」

「へ?」


 天音さんが指をさすのは、予算のところ。予算は例年通り、各クラス、三万円。収支計画書及び中間報告書を提出すること。承認が出なければ、クラス催事は中止する可能性も――そう俺の汚い字で、メモしてあった。


「あぁ……。彩翔から聞いて。一応、確認しておこうと思って。例年、早めに準備したいって声があるんだよね。活動費は早めに支給されるんだけれど……その後、計画書の提出が必須でさ」


「計画書?」


 天音さんが、俺の言葉をなぞる。初めて聞いたとと言わんばかりの、火花――そして、チーム陽キャズ。ちゃんと彩翔達の話を聞かないからだ。お前らのツケ、かなり大きいからな?


「……ようは活動費を何に使うかってこと。正しく使っているか、生徒指導部の先生が監査をするんだって。過去に、承認取り消しのクラスはなかったって、話だけれど。悪質なクラスにはきっちり対処するって、武センが――」


 ピン。俺の鼻頭を、天音さんの指が弾く。


「ダメでしょ? ちゃんと、武林先生って呼ばないと」

「……天音さん? じ、地味に痛いんだけど?」


「痛いの痛いの、飛んでいけ♪」

「今度は子ども扱い?」


「だって、下河君が、そんなことで武林先生に怒られたらイヤでしょ?」

「そりゃ、まぁ……」


 それも天音さんの優しさからかと思うと、なんだかくすぐったい気分になる。


 ――仕方ないんだけどさ。一番先に相談したのが、他の子ってことが納得できないの。これは私のワガママだけど……SORA君のバカ。


「何か言った?」

「何が?」


 天音さんは、首を傾げて――何度も、俺の鼻を指先でピンピン弾く。


「い、痛い、痛い! 天音さん、なんなの?!」

「ん? なんとなくかな?」

「何となくで、鼻ピンしないでよ――」


 でも、俺の声は静かにフェードアウト。その双眸に吸い込まれそうになって。思わず、その瞳を覗きこみたくなって。その衝動が抑えられない。その瞬間だった。


 ぱんぱん。

 乾いた音が響いた。


 視線を向ければ、湊が苦笑を漏らしながら、手を打つのが見えた。


「空、ありがとうね。ずっと、伝えたかったことを、明確に言葉にしてくれて。これ、学級員としての、私の怠慢だ。本当に、ごめん」


 湊が深々と頭を下げる。合わせて、本当に申し訳なさそうに、彩翔も頭を下げた。


(バカ、お前らにそんなことを言わせたいんじゃないんだって――)

 


「全部、空の言う通りで。この文化祭を成功させるためには、一部が頑張ってもダメだと思うんだ。まずは、全員で確認をさせてもらえないかな?」


 これは彩翔達に落ち度はないって思う。確認しようとしても大丈夫の一点張り。ほぼクラス全体が、そんなムードになったら、さ。


「……今さら、そんなこと言われても……この前のビリヤードでお金は……」

「バカ、余計なことを言うなって!」


 火花が慌てて、陽キャズの一人の口を塞ぐけれど、もう遅い。乾いた空気が、教室内を包み込んだ。

 俺は、小さく息をつく。


「過ぎたことは仕方ないよ。でも、火花? 衣装はどうするつもりだったの?」


「……それは、こっちで用意をする。元々、うちの会社が、イベント用で使った衣装を手直しをする予定だったから」

「手直しは誰が?」

「……」


 火花は、沈黙をする。 会社の人にやらせるつもりだったんだろう。でも、それじゃ俺達の文化祭って言えない気がするんだ。


「……とりあえず、火花の会社から、衣装は借りよう。レンタル料、いくらかかるか聞いてくれる?」


「は? うちの会社の備品だから、そんなことをしなくても――」


「火花個人の、じゃないよね? その会社の資産だ。それに、練習で使ったスタジオの費用は?」


 これはいつかの父ちゃんの受け売り。自分のことのように言ったの、実はクソ恥ずかしい。


「スタジオも、うちの会社の所有だから……」


「却下。それもちゃんと支払おう。それから、予算に組み込まれていたお金は、ちゃんと返して。何に使ったのかは、もう聞かない。そのうえで、まず支払おう? 足りない部分は、みんなでカンパしてでも、ね」


「下河、お前が何を勝手に仕切って――」

「だって、アイドル班以外は俺が担当なんでしょ? 本来の目的外での使用は、横領って言うんじゃないの?」


 我ながら、ひどい言い方だ。火花が表情を歪ませるが、無視をする。誰もが、気まずそうに視線を泳がせる。


 多分、火花の恩恵を受けた奴らが、ほぼ大半で。何も考えずに、エンジョイしていたのは間違いない。


(ま、ここからは、嫌われ役に徹して事後処理をするとしますか)


 どうせ、この後も火花が納得するはずがない。それなら……。


 ――良い加減にしろよ! ここまで言っても分からないのかよ?!


 そう、ブチ切れて。俺は教室を出る。ここからの関係修復は、彩翔と湊に託せばオールオッケー。これで、ようやくゼロスタートだ。


 そう計算し、思考を巡らせた瞬間だった。


 天音さんの指が、俺の指に触れていく。企画書を掴む指が、少しずつ解かれて。企画書がパラリ、ゆっくりと床へと落ちていった。


 どうしてだろう。

 窓を吹き抜けて、秋風が頬を撫でる。


 天音さんの髪を揺らして。

 プリントが舞う。


 それだけ。ただ、それだけなのに。俺には、天使の羽根が教室中に舞ったかのような、そんな錯覚を憶えたんだ。





■■■





「ありがとう、下河君」


 にっこり、天音さんは微笑んで言う。


「言いにくいことを伝えてくれて」

「あ……いや……」


 まさか、真っ正面から。

 天音さんから、そんな言葉を言われるなんて、思っていなかったから。どうしよう、思うように次の言葉が出てこない。


「私、みんなと文化祭を成功させたいの」


 それは小さい呟きだったが、反響して――それぞれの――俺の胸に突き刺さる。


 みんな――。

 優しいこの子は、きっと俺まで含んでくれた。


 目を見開いて、無意識に天音さんのことを追ってしまう。


 転校を繰り返してきた女の子の、たった一つのシンプルなお願い。


 それは多分、最初は誰に見えない――小さな波紋でしかなかったんだと思う。



「良いじゃん、天音っち」


 沈黙を破った、その声を皮切りに。


「私も、下河君に任せっきりだったから。もっと、やるよっ。下河君と想い出を作るから!」


 小さな決意が、さらに火をつけて。いや……え? 俺?

「天音さん、俺も! 俺もやるよ!」

「想い出、作ろうぜ!」


「おいっ! 抜け駆けするなよ?! 俺だって!」

「俺も!」


「私だって!」

「あーしも!」


 そんな声が少しずつ、上がって。波紋をどんどん広げて。


「うん。誰かが、じゃなくて。みんなで成功させたいよね?」


 天音さんが、笑顔で――わざわざ俺の瞳を覗きこんで言う。

(え? だから……俺――?)


 目をパチクリさせる。天音さんの視線に耐えきれなくなって、思わず、視線を彷徨わせれば。


 クラスが盛り上がるなか、湊と彩翔が、腹を抱えて笑っていた。


「お、お前ら――」


 ひどくない?


「さすが、つーちゃんだよね」

「空の思惑をちゃぶ台返しした人、初めてみたよ!」


 おい、彩翔? 俺を腹黒のように言うんじゃない。


 ――ねぇ、SORA君。


 え? 思わず、視線を向ける。天音さんに、名前で呼ばれた。そんな気がしたんだ。


「――下河君」

「……天音さん?」

「文化祭、楽しみだね?」


 さらに距離を詰められて。

 コクリと唾を飲み込む。


 笑顔で、そんな風に言われたら。

 その指先で、掌に触れられたら。


 早鐘を打つ、この鼓動を知られたくないと思ってしまって。


 ただただ俺は、コクンと頷くことしかできなくて――。






 視界の隅で、憎々しげに睨む火花の顔が見えて。


 その瞬間――ちょん、と。

 もう一回、鼻頭が指で弾かれる。





 ――余所見している暇なんか、ないんだからね? 

 そう、天音さんに囁かれて。





■■■





 確かに、って思う。


 事後処理は終わっていない。

 考えないといけないことは、まだまだ山積みだった。

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