第20話 大合唱「お隣のトロルさん」
「それじゃ、改めて!」
彩翔が、グラスを掲げる。他のクラスメートを置いて良いのかと思わなくもないが、少しずつ、天音さんの表情に血の気が戻った気がする。
「それじゃ、みんなグラスは持ったよね?」
「みんなで注ぎに行ったんだから、あるでしょ」
「はいはい、空。水を差さないの。ぶーぶーぶー」
それ、ブーイングのつもりか。子豚ちゃんの大合唱かと思ったわ。
湊さんや、彼氏さんが隣にいるだけで、上機嫌が限界突破してますが?
「あ、ちょっと待って!」
そう言ったのは、矢淵さんだった。今度は何をしでかすつもりだ? 正直、戦々恐々としてしまう。
「天音っち、こっちにおいでよ?」
そう矢淵さんが手招きする。
天音さんは、湊の隣。反対側に、矢淵さん、俺、本馬さん、美夏さん、実沙さんが並んで、彼氏持ちの隣で、天音さん一人が、孤立状態だった。
(今さらだけど、このルーム、女の子密度が高くて、非常に居辛いんですけど?)
でも、考え方によっては、これはチャンスだった。だって、俺が彩翔の隣に行けば良い。これ、名案じゃない?
「え……でも……」
天音さんは逡巡する。
そりゃ、そうか。矢淵さんとは、一悶着あった関係だ。そう簡単に相容れるほど、女子の関係は安くないって、前に湊も言っていたし――。
「ウチはこっちに座るからさ」
と矢淵さんが座ったのは、俺の真っ正面だった。ニシシって、前にかがみ込んで、笑う。秋物のトレーナーだが、わざとだぼっとしたものを着込んでいて。そんな姿勢になったら、黒いレースんおナニかが見えてしまって。俺は思わず凍りつき――。
「痛っ、痛い、痛っ!」
両方から抓られて、思わず俺は飛び上がる。見れば、天音さんも本馬さんも、ふくれっ面になっているのは、どうしてだ?
「別に、隣に座ることが相手を独占する手段じゃないってこと」
矢淵さんは、またしても「にしし」と天音さん、本馬さんに笑んで見せる。
「今日は席を譲るけど、次はないからね。だって、
矢淵さんの声に、天音さんは大きく目を見開いた。
「声をかけてもらうの待ってたら、誰かに盗られちゃうからさ。欲しいって決めたら、ウチは自分から行くって決めてるの。だから、これで貸し借りなしね?」
「なんか俺、借金の担保みたいになってない?」
「「「下河君は(
「……はい」
三人に口を揃えて言われ、俺は首を縦に振るしかなかった。見れば、彩翔と湊はニヤニヤしながら俺を眺めていた。
(おい?! 乾杯の音頭はどうしたのさ?)
俺の心の叫びはスルー。彩翔は、湊の耳元に口を寄せて囁く。
「これはハーレムってヤツですね」
「いつか刺されろ、バカ空。ばぁか、ばぁか」
聞こえてるよ? そして、ひどくない? チーム幼なじみには見事に見放された俺だった。一方で、女子三人は現在進行形で、妙な団結感を見せている。
「天音さん……」
本馬さんが呼ぶ。
「私は、天音さんが羨ましいよ。だって【
「美紀ちゃん……」
「そういうこと。美紀ティーは、誰より
と矢淵さんが、手をのばす。その手に本馬さんが重ねて。二人は、天音さんを見て小さく微笑む。
「何もしないで、眺めているだけでも。それはそれで良いけど?」
ニッと矢淵さんは笑む。その言葉を聞いて、天音さんは躊躇無く、その手をのばした。
「そんなの、イヤ」
ぐっと、手を重ねて。
その隣で、なぜか俺の手を握る。
「へ?」
俺は展開についていけず、目をパチクリさせる。隣の本間さんが「そんな、ズルい」と小さく呟いて、俺の手を握る。
(へ?)
「ちょと、それ狡くない?」
そう言いながら、なぜか矢淵さんは、俺の頬に触れる。
(へ? へ?)
これは何が? 何なの?
察するに、共通の誰かを三人は好きになったっていうこと? でも、それは俺は関係なくない?
「ほら、空。ちゃんと、言うことあるでしょ?」
湊に促されるが、何のことか全然分からない。
「えっと……がんばって?」
「「「は?!」」」
三人の声がハモって。
「「「「はぁ」」」」
ため息も重なった。
え? 俺、何か飽きられることをしたの?
「ご存知のように、空はかなり自己評価が低いんです。鈍感も通り過ぎれば、犯罪だって思うけどね。空は、素でこんなヤツです。でも、空は本当に良いヤツだから。まず、みんないは友人として仲良くしてもらえたらって思います」
彩翔がようやく乾杯の音頭を――って、なんか俺はディスられてない?
「天音さんの転校を祝して。空の鈍感力にめげないで。乾杯っ!」
「「「「「「乾杯っ」」」」」」」
「かんぱい?」
どうしてか、すっ
と、チン。
ガラスとガラスが鳴る。
真っ先に、俺のグラスを鳴らしたのは、天音さんだった。
「下河君」
グラスのなかで、炭酸が弾けて。
「私ね、遠慮するの止める」
クスリと笑んで。
その声が、まるでエンジェルさんのようだ、って思ってしまう。そう、この笑顔だ。取り繕ってない、心からの笑顔。こんな笑顔で笑って欲しいって思ってしまう。
「だから、ちゃんと受け止めてね?」
ニッコリ笑って。破顔して。笑みが零れて。
グラスのなかの炭酸と一緒に、笑顔がどんどん弾けていって――止まらない。
知らなかった。
知っていた。
知らなかった。
知っていた。
知らなかった――。
天音翼が、こんな風に笑うって。
俺、ちゃんと知らなくて。
目が離せなかった。
■■■
「天音さんも何か入れたら?」
ただいま、矢淵さんと本馬さんがデュエット中。
「あの二人、何やってんのよ?」
「これじゃ、ただの歌唱練習だよ〜」
美夏さんと実紗のボヤきが聞こえてきた。
「……私は良いよ。下河君が入れたら?」
また、そんな取り繕った笑顔を浮かべる。それが俺は面白くない。第一、人数が少ないから、すぐに順番が回ってくるのだ。
天音さんが、そうやって遠慮をするなら――。
「それなら、一緒に歌う?」
無意識で、そんなことを口走っていた。天音さんが、ポカンと口を開けて、俺を見る。羞恥心から、一気に体が熱くなる。
「ご、ごめ、ごめん。やっぱり、今の無しで――」
「嬉しい……」
天音さんが、口元を綻ばせる。
「――でも、私は本当に、流行りの曲を知らなくて……」
そういうことか。妙に、納得してしまう。バスケ部での練習の後。転校して、勉強範囲も違う。それでも、上位をキープしている天音さんだ。その分、努力しているのは当たり前じゃないか。
「どれか、歌える曲ある?」
俺は天音さんを覗き込む。
ふるふる、その目が感情で揺れて。心なしか、頬も耳朶まで赤い。
「下河君、笑わない?」
俺は首を傾げる。どこに笑う要素があるのか、分からない。
「あ……あの。これなら、歌えるよ」
タブレット端末を操作して。表示されたのは【お隣のトロルさん】
日本が誇るアニメーション会社、スタジオポプリが製作した長編アニメーションの主題歌。保育園児だって歌える、超有名曲だった。
「良いね! これなら、みんなで歌えるじゃん」
「……笑わないの?」
天音さんが、怯えた目で俺を見るけど。だから、その意味が分からない。
「今、笑うところ?」
「違うから!」
なぜか湊から痛恨の手刀を食らう俺だった。
「
「べ、別に私アイドルじゃないよ、
「でも、つーちゃんが言いたいことって、そういうコトでしょ?」
「う……うん……」
コクリと頷く。
「……意外も何も。天音さんは、その曲を歌いたいって思ったんでしょ? それ以上もそれ以下もないんじゃない? それに、その曲なら俺も歌えるし」
俺の言葉に、また天音さんは目を点にする。湊も彩翔も「だって、空だもんな」って勝手に頷くし。
「やっぱり
「下河君だよね」と本馬さん、美夏さん、実沙さん。勝手に納得される意味が分からない。
「ココで一曲、歌って。向こうで、本番のライブと行きますか」
「へ?」
天音さんは、目をパチクリさせる。だってさ、これは天音さんの歓迎会なワケじゃんか。だったら、天音さんのとびっきりの笑顔見せてやりたいって、思ってしまう。
どうせなら、誰の歓迎会なのか、あいつらに思い出させてやらなくちゃ。
タブレットを操作すれば――。
ピッ。
電子音が響いた。
――耳馴染んだメロディーが、スピーカーから溢れて。
にっと俺が笑う。
弾けたように、天音さんが笑顔を溢して。
ごめん、って思った。
クラスの奴らに、天音さんの笑顔を見せたいって思ったくせに。
この笑顔、俺が独占したいって思ってしまう。
――トロル♪ トロル♪ トロル♪
耳馴染んだメロディー、一緒に口ずさんで。
やがて大合唱に。
たんたんたん。
近づく足音も、耳に入らないくらい。
俺は天音さんの笑顔に、見入ってしまって――。
気付けば、駆けつけてきたあいつらも。
足を止めた、人達も。
店員さんも一緒になって。
みんなで【お隣のトロルさん】を大合唱していたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます