第19話 店員さんの素敵なお仕事


 ――駐輪場のネコが欠伸をする

 ――その横、通り過ぎて

 ――君と手をつなごうと

 ――あと少し 距離が 縮まらない

 ――この気持ち 花弁の裏側にしたためても

 ――届かない、溶けない、ほどけない

 



■■■





「ちょっと、シモ? 黄島きしまっちとのハモリ、めっちゃ最高じゃん!!」


 矢淵さんに興奮して言われて、ちょっと気恥ずかしい。ゆずかりんの【春色】は、元々、二人でよく歌っていた曲だった。元祖は、湊の兄ちゃん、ひかるさん。彩翔の姉さんの彩音あやねさんの十八番おはこで。


 見れば、本馬さんは全力で、拍手をしてくれている。

 それは嬉しいのだが、一点集中、全力な姿に、やっぱり照れ臭くなって――背中がむず痒い。


「なんか、こういうの新鮮だね」


 彩翔が小さく笑みを溢す。


「へ?」

「だって、純粋に空の歌を、褒めてるわけでしょ? 実際、上手いと思うし。ただ、他の女子は、俺にお世辞しか言ってくれないからさ」

「彩翔はイケメンだから。文句なしに評価されているんだよ」


「所詮、普通面フツメンだと思うけど?」

「それをブサメンの前で平然と言う、お前を性根をたたき直したい」

「……」


 なんで彩翔。残念そうな目で、俺のことを見るの?


「でも、彩翔。結果、良かったんじゃない? 湊が見事に虫除けになって、そんな女子達を追い払ってくれているワケじゃん?」


「むしろ、湊に寄りつく虫を、駆除したいけどね。ねぇ空、お勧めの殺虫剤ない?」

「怖いから!」


 目が本気だ。本気マジで俺はお前が怖い! そう苦笑を漏らしつつ、俺は美夏さんと実沙にマイクを渡した。


「「へ?」」


 本馬さんの親友二人は、予想もしていなかったのか、目を点にする。


「順番でいこう? どうせなら、みんなの聞きたいでしょ?」

「「いや、私らは、美紀が幸せそうだから、それでお腹いっぱい――」」

「ちょっと、美夏も実沙も変なこと言わないで!」


 なぜか本馬さんが、真っ赤になって叫ぶ。


「そうだゾ。美紀ティーも私もまだまだ欲求不満だからね」


 ニシシと笑った、矢淵さんが容赦なくタックルしてくる。追い立てられた俺は、本馬さんと矢淵さんに挟まれた格好になって、その肉感が幸せ――いやいや、そんなことは無い。断じて、無い。そんな目で二人のことを、俺は見ていないから。


「私まで、変態のように言わないで!」

「ふーん。美紀ティー、そこでムッツリなんだ。良いけどね? 美味しいところは、私が全部、食べちゃうから」


 パンケーキを食べた後のナイフに、ペロッと舌を出すの止めて。むしろ、大事なところをそぎ落とされそうだ。


「モテモテで良かったね、空」


 彩翔がますます、ニッコリ破顔する。


「これのドコがだよ……」


 どう考えても、からかわれているだけだ。

 そう、小さく息をつくと。

 スマートフォンからバイブ音。小刻みに続く震動が着信を伝える。


「……湊?」


 電話をかけるなら、彼氏の方にしろって。そうブツクサ文句を言いつつ、出てみれば。


 開口一番――冷静とはとても言えない、湊の声が俺の鼓膜を突き刺してくる。






「空! ちょっと、来て! つーちゃんが大変なの! つーちゃんが――」


 その声に。気付けば、自然と体が動いて。

 俺は部屋を飛び出していた。







■■■






「貧血気味? もしかすると、女の子の日だった?」


 ドリンクコーナーまで駆けたら。そう声をかけながら、天音さんを連れてきたのは、湊と――そして、店員さんだった。名札には「小豆こまめ」と書かれている。反射的に、俺は彼女にペコリと頭を下げた。


 天音さんの表情が青白い。


(女の子の日って……)


 姉ちゃんが月に一度、苦しそうになる「生理」のことだと思う。あの期間だけは、姉ちゃんには近づきたくない。痛みに耐えながら――やり場がなくて、結果、八つ当たりを受けるハメになるんだ。


 この時ばかりは、どう接して良いのか分からなくなってしまう。


 ちょん。

 店員さんに、指先で鼻頭を弾かれた。


『反応したり、声に出さなかったのは〝まる〟だけど。でも、盗み聞きは〝ばつ〟だよ』


 小声で、そんなことを囁かれる。そんなこと言われたって、俺にどうしろと――。

 と、店員さんは、ふんわりと微笑んだ。


『お友達に優しくしてあげて。事情はね、もう聞いているから』


 やっぱり小声で、そう囁く。俺は思わず、湊を見た。


つー ちゃん、もう限界だったんだよ。それなのに、休む間もなく話しかけられたり、下手な歌を連続で聞かされて。挙げ句、デュエットを強要されてね。見かねた店員さんが、連れ出してくれたの」

「それは……」


 さぞ、パーティールーム内は揉めたんじゃないだろうか。まぁ具合が悪そうな天音さんに、それ以上は強要しなかっただけ、良しとすべきか。


 俺は小さく息をつけと、思わず天音さんと目が合ってしまう。


 血の気が引いて、本当に青白い。まるで陶磁器のようでだった。

 落としたら、すぐに砕け散ってしまいそうで。


 その両目が、感情で揺れていた。流石にバカな俺でも分かってしまう。その目に、強く不安が色塗られている。


 こういう時は、なんて、声をかけて上げるべきなんだろう。


 気の利いた言葉なんて、持ち合わせていない。こういう時こそ、彩翔の出番だっていうのに。湊はいったい何を考えているのだろう。


(俺に何かを要求されても困るんだけど……)


 小さく息をつく。

 それから、少し笑んでみせて。

 少しでも、安心してもらえるように。


 彩翔や火花ならともかく。俺がにっこり笑っても、キモいだけだろうって思うけれど。


「……天音さん、今日の格好。すげぇ、可愛い」


 ――天音さんにも言ってあげなよ。

 今さら、彩翔の声が、耳の奥で響いたから。


 気付けば、俺はそう小さく呟いていた。考えようによっては、それこそセクハラなセリフだって思うけど。


 案の定、天音さんは大きく目を見開いて、俺を見る。


「あ――」

「あ、ごめん。イヤだったら、謝る。気の利いたこと言えなくて、ごめ――」

「ちが、違う。そうじゃないの」


 そう言うのに、天音さんの目から、ぽろぽろ涙が止まらない。離れようとした俺に手をのばし――裾を掴んだ。


「……天音さん?」

「バカね、君は」


 小豆さんになぜか笑われた。


「小豆さん……?」

「あのね。一番、言って欲しい人に、そういう言葉をかけられたら、そんなの嬉しいに決まっているじゃない。何よりね、心配して真っ先に駆けつけてくれた、君なんだから。少なくともさっきの部屋で、彼女を気遣う子は、いなかったよ?」


 ふんわりと、笑んで。

 それから――。


 とんと、背中を押された。

 俺の胸に、天音さんの顔が当たる。


「あ、ごめ……」

「し、し、下河君――」


 掴まれた袖から、指が離れて。俺の胸元に手が置かれる。


「下河君、下河君、そ、下河君――」


 天音さんの絞り出すような声。それは、やがて嗚咽となって、ついに言葉にならない。


 これはきっと天音さんが、生理で不安定だから。

 ただ、俺がたまたま近くにいたから。


 そんな言い訳を、心の中で繰り返しながら。 


 誰よりも近い距離で。

 俺にしがみついて泣く子に。


 ただ背中をさすってあげることしかできない俺だった。












________________


【その頃、パーティールームでは】



「ちょっと、天音さんを放っておいて良いのかよ?」

「ま、でも海崎さんがいるし。少し休んだら、きっと戻ってくるでしょ」

「確かに、熱気でむわっとするよね、この部屋。人酔いしちゃうかも」

「あのバイト、余計なことを――」

「火花君、何か言った?」

「なんでもないよ。ちょっと、俺、天音さんの様子を見てくるね」

「流石! 優しい!」

「それなら俺も行く!」

「私も!」

「俺も――」






【その頃、ドリンクコーナーでは】


「なに、別れ話?」

「あれ、絶対、彼氏が妊娠させた系じゃない?」

「どう見ても中学生だけど?」

「マジ? なお最低ー」

「いや、でも彼女の雰囲気を見ると、ちょっと違う?」

「むしろ、嬉しそうに見えるけど?」

「ドリンク、注ぎ辛い……」

「彼氏、ちゃんと彼女を抱きしめてやれよ!」

「ぎゅっとっ!」

「ぶちゅっと!」

「すいません、この人酔っ払っているので。連れて行きますね。あ、でも公衆の面前だから、ほどほどに。はいはい、行くよ! とっとと歩く」





【その頃、下河君は】


「……なんか、俺がひどい男認定されている気がするんだけれど……」

「ある意味、ひどい男だよ、空は」

「湊、ひどくない?!」


「そんなこと……下河君はそんなことない……から……ぐすっ」


「まぁ、ついでに言っても良いかな?」

「……小豆さん?」


「私、小豆こまめじゃなくて、小豆あずきだからね……ぐすんっ」

「面倒くさいから、ここで嘘泣き止めてくれます?!」


「あいつ、店員まで泣かせてるぜ?!」

「本当に最低だな!」


「ぐすん」

「湊、お前は泣くキャラじゃないだろ!」

「ぐすん」

「嘘泣きしながら蹴るな、俺が泣きたい」


「ぐすっ……」

「天音さんはくっつかない! ちょっと落ち着いて――」


「ちーん」

「俺で鼻をかむな!」


「くすっ」

「今、笑ったでしょ?」


「ぐずー」

「もう嘘泣きですら無いからね!」








 目を真っ赤に腫らしながら。

 至近距離。

 艶やかな天音さんの唇から、ようやく笑みが零れて。




(……うん、天音さんは、やっぱり笑っている顔が良いよね)

 つい、そう思ってしまう。





…。

……。

………。







 そんな天音さんから――湊に蹴りを入れられるまで、目が離せなかった俺だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る