第9話 図書室での密会
「空、待って――」
「ちょっと、空?!」
「「下河く――」」
何事もスタートダッシュが大事だ。ホームルームが終わり、担任が今日の終了を告げた刹那、俺はカバンを取り、疾走した。
彩翔、湊、本馬さん。そして多分、天音さんの声を聞いた気がしたが、今日は構っていられなかった。
――損な性分。
武センの言葉を思い出す。
(確かにね)
割に合わねぇ。
面倒くせぇ。
でも、どうしても放っておけないと思ってしまう俺は、やっぱり本当にバカで――。
走りながら、スマートフォンを取り出し、急いでメッセージアプリ、LINKで姉ちゃんに送信する。
すぐに返信が来た。今日は短縮授業。もう、文芸部にいるんだっけ?
こんな姿を武センに見られたら、即、生徒指導室行きだ。校内では原則スマートフォンは使用禁止。廊下は走るな。すでにこれで2ペナルティー。
(でも、そんなこと言ってられない――)
sora:姉ちゃん、今日は少し遅くなるから、学校で待っていて。
yuki:心配しすぎだよ。最近、調子が良いから大丈夫だよ? 一人で帰れるから。
sora:何を言ってるの? 人がちょっと多くなったら、息が苦しくなるクセに。
姉ちゃんは、人が多い場所や、精神的に追い詰められると過呼吸になってしまう。何かおかしいと思いながら、そんな姉の変化に気付いたのは、つい最近のこと。極力、一人にしないように登下校を一緒にしているのだった。
yuki:最近、深呼吸したらわりかし落ち着くんだよ? 『ヒッ・ヒッ・フー』って!
sora:それ、出産時の呼吸法! 姉ちゃん、そんな相手いないじゃん!
そんな相手がいたら、今から物理で排除するけどね。
yuki:空がつめたいー!
sora:やかまひい!
yuki:キャラ変したの? 普段、そんな風に言わないじゃん😙
急いで移動しすぎて、階段の段差に躓きかけただけだ!
sora:良いから、部活終わっても動かない! 待ってる! ステイ!
yuki:うん。いつも、ありがとう。
俺はスマートフォンをポケットにしまう。多分、これで大丈夫だと思う。心配はつきないけれど。
(とっとと、終わらせる――)
そう思いながら、一段飛ばしで階段を駆け下りた。
■■■
1時間が過ぎて――。
俺は、図書室で、本をめくる。
全然、本の内容が頭に入ってこない。
本を読む振りを徹しながら、入り口を睨んでいた。
もう一回、図書室の中を回ったが、それらしきペンケースは探せなかった。どこに隠したのやら……。
がらっ。
静かにドアが空いて――同じクラスの、
ぱらっ。
俺は本をめくる。
まったく、本には興味が無い銀髪ギャル。火花達のグループに属している陽キャだった。思わず、その短いスカートから晒される太腿に目――は行ってないよ?
ただ、彼女の動きに目を向ける。
足を向けたのは、学校の記念誌が並ぶ、誰も読みに行こうとしない書架。通称【読まずの間】
俺は、本を閉じて、矢淵の後を追いかける。
創立100年と書かれた数冊の本が、少しだけ前に出ていた。
矢淵は、本を取り除き――ペンケースを取り出す。
「ちゃんと、あるじゃん。じゃあ、どういうこと?」
矢淵は首を傾げていた。
「むしろ、こっちが聞きたいけど?」
「ひっ――」
思わず、矢淵が声を上げそうになって、俺は手でその口を塞いだのだ。
■■■
「し、下河、なによ?」
ようやく落ち着いたのか。矢淵がキッと俺を睨んでくる。図書委員から死角の位置で助かる。下手に騒がれても困るから、もう単刀直入に言葉を紡ぐ。
「それ、天音さんのペンケースだよね?」
「ち、ちが……」
「中を見せてもらえたら、分かると思うんだよね」
「下河に何の権限があって、そんなこと――」
「何もないよ」
「だったら……」
「お前らの話を聞いちゃったんだから、仕方ないでしょ?」
矢淵が目を大きく見開く。ゴクリと、唾を飲み込んだ。
「……先生に言うの?」
怯えた目をするぐらいなら、最初からしなければ良いのに。バカかよ、思う。
「別に、そんなこと興味ない」
「は? だったら、なんで――」
「矢淵さんが、天音さんにペンケースを返して、謝りなよ。俺が言いたいのは、それだけ」
くるっと、背を向けると――矢淵が俺の手首を掴んできた。
「……べ、別にイジメたいとか。そんなことを思っていたわけじゃなくて……」
「天音さんが、調子に乗っているんだっけ?」
もう一度、俺は矢淵を見やる。
「そ、それは……その……だって! アイツが、火花君に馴れ馴れしくて――」
「火花が仲良くする子は、全員、矢淵さんはイジメるの?」
「ちが、違う! だからイジメたかったワケじゃなくて!」
「それ、窃盗だからね?」
俺の言葉に、矢淵は顔を歪ませた。
「な、なんで? ちょっと、からかって――隠しただけじゃんか! こんなこと誰だってするよ!」
「静かに。ここ図書室だから」
俺は、人差し指を唇に当てる。
「良かったね。天音さんが、あの時『盗られた』って、オープンにしなくて」
「……」
「先生達に、広まって
「そんなこと……」
「もし、これが理由で、天音さんが学校に来られなくなったら、本当にどうするの?」
「……」
「天音さんにペンケースを返して。そして、ちゃんと謝れたら、まだ引き返せるって思う」
「下河……」
矢淵の声が掠れ、そして震えている。今さらになって、怖くなったのか。でも、そんなこと、どうでも良かった。
転校して間もなく、クラスメートからこんな仕打ちをされて。
矢淵達が「それぐらい」と思ったとしても。受け取った相手がどう感じるかは、その人次第。
気を引かせておきながら、侍らせるだけの火花にも問題はあると思う。でも、天音さんにはそんなこと、関係ない。
「……天音さんは、許してくれるかな?」
何言ってるんだ、コイツ?
思わず感情を隠せず、矢淵を見てしまう。
「お前、バカ?」
「ば、バカって何よ! 私は真剣に――」
「悪いことしたって、思うんだったら。まず謝るでしょ? そんなの保育園児だって分かるよ。その結果、許すか許さないかは、天音さんが決めることだよ。何、許してもらうこと前提に考えているの? 甘えるな」
「え……そ、そんな。そこまで言わなくても――」
「そこまで言うことだよ。当たり前でしょ? 矢淵さん達は、それだけのことをしたんだよ」
「あ……あ……ご、ごめ――」
「謝る相手が違う」
「う……うん……」
俺は今度こそ、踵を返す。
折角、一緒のクラスメートになったんだ。
俺達クソガキだから、誰かを羨ましいって思うし。妬んだりするって思う。
でも、もしかしたら。
また、転校するかもしれない子なんだ。そんな子に最低の想い出を作らせたくない。
どうしても、俺はそう思ってしまって――。
■■■
「まぁ、余計な推お世話よね?」
湊の、無遠慮な声が飛び込んで――席に戻れば、湊と彩翔が仲良く並んで、本を読んでいた。
彩翔は『デートスポット大全集~初めてはここでキめろ~』
湊は『月刊・大人の色香 勝負下着特集』
……うん。中学校の図書室に置いてある内容じゃないよね?
「……見てたのかよ?」
「言っただろ? 今度は空をマークするって」
彩翔がニッと笑う。
「何か有れば出て行こうと思ったけれど、その必要はなかったみたいだね」
雑誌に目を落としながら、彩翔は柔和に微笑む。うん、雑誌とセリフがあまりにアンバランスだ。
「そんなに気にかけるのなら、変に距離を置かなければ良いのに」
「うっせー」
湊の言葉に反論ができない。だって、仕方ないじゃないか。下手に俺とつるむよりも、クラスの中心にいた方が、絶対に彼女の魅力が映えるんだ。
「……空、これ」
湊が投げてきたのは、ペンケースだった。俺は、パシッと小さな音をたてて、キャッチする。
「
「は? いや、俺は何も――」
「消しゴムと鉛筆に【しもかわ】って書いてあったよ? 流石に無関係を装うのは、ムリがあるんじゃない?」
にぃっと、湊が笑む。
「空って物持ち良いよね。小学校の時のモノ、未だにつかうでしょ? 卒業記念のシャープペンシルもあったもんね」
「人の物をを見るなよ」
し 渋い表情も、湊にはなんのその。ゲンナリだった。
「今から、雪姫さんの迎え?」
「まぁ、ね」
コクンと頷いて、ペンケースと本をバックにしまう。
「1ON 1楽しみにしているね?」
「
「いや……あれは……口実で……」
俺の言葉なんか、この二人は聞いちゃいない。ただ、最近の姉ちゃんの体調が落ち着いているのは確か。久々に、少しなら良いかも。そんなことを思ってしまう。
「……そのうちな」
「空、それ絶対にやらないヤツでしょ!」
食い下がってくる湊がしつこい。
「……次の日曜日は? 試合とか入っていない?」
俺はため息をついて、そう言葉を漏らす。こうなった湊は本当にしつこいのだ。観念した方が早い。
「空いてるね。じゃ、またいつもの公園で。時間とか、細かいことは、またLINKするからさ」
「あいよ」
調整は彩翔に任せるとして。やっぱり姉ちゃんのことが気になる俺は、おざなりに手を振って、図書室を出たのだった。
【図書室AFTER】
「
「
後ろの席に私がいたことに、下河君はまるで気付かない。背中を向けていたから、仕方がないと思うけれど。
頬が熱い
そして――視界が滲む。
転校を繰り返すなかで。
人間関係が、いつもリセットされる。好意的に私を見てくれる人がいる一方で、やっぱり、そうじゃない人もいて。
色々な人と関わるためには、私が上手く立ち回らないといけない。
友達ができて――。
少しずつ頼る人が増えるまで、どうしても時間がかかる。
それまで、私はいつも一人で戦うしかなかったんだ。
それなのに下河君は、フルスロットルで――最初から、私のことを考えてくれていた。これまで、そんな人を私は知らない。
(だったら……)
ずっと、傍で友達として居てくれたら良いのに。
声をかけたい時に声をかけられない。
傍にいて欲しい時に、傍にいない。
でも、あとちょっと近づいたら。すぐ、そこに君がいるのに。
君までの距離感が、こんなに苦しいなんて、思いもしなかった。
あの矢淵さんですら、羨ましいと思ってしまう。
(お願いだから――)
他の人に優しく笑わないで。
優しい言葉をかけないで。
気持ちが、追いつかないよ――。
唇が乾く。
(落ち着いて)
こんな時はリップクリームを、と制服のポケットを探して――困惑してしまう。
(……ない?)
こうしている間も――下河君の紡いだ言葉が、私を揺さぶり続ける。
どんどん、どんどん。
私の中で、下河君の存在が大きくなっているのを実感した。
【今日のAfter、in 下河君】
疲労感が半端ない。宿題をする気にもなれなくて、結局ゴロゴロしていたのだが。無為に時間だけ、過ぎていく。
(やるか……!)
意を決して、デスクにノートを広げて。
目をパチクリさせる。
ペンケースの中から、見覚えのないリップクリームが覗かせていた。
俺はそのリップクリームに手をのばして――。
「空、ご飯だよー!」
一階から、姉ちゃんの声が響いた。
「今いく!」
リップクリームを、デスクに転がしたまま、俺は一階へと駆け降りたのだった。
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