第8話 損な性分の下河君とモヤモヤする天音さん

「めんどくせぇ」


 自分の髪を掻き分けながら、つい悪態が出てしまう。

 もう、考えるのは止めた。


 思考放棄。

 ヤケクソ気味に――俺は何もかも諦めて、読みかけのラノベをパタンと閉じた。





■■■





 早めに教室に戻ると、お喋りは未だ尽きず、話に花を咲かせ――爛漫だった。笑い、ハイテンションな歓声、それが溶け合って。さらにボレテージを高めていく。


 相変わらず、主役は天音さん。彩翔と湊がその近く。対角線上には、火花と、その取り巻きがいる。


 湊は、天音さんとすっかり友達になったのか、二人一緒にいることが当たり前のように、馴染んでいる。彩翔は湊がいるから、一緒にいる。まぁ、ブレない。

 火花達は、ちょっとでも天音さんとお近づきになりたい。

 そして、天音さんは――。


(へ?)


 目が合った瞬間、ふわりと笑みが零れる。心底、嬉しそうに。

 天音さんが、一生懸命話しかける火花の声が聞こえないかのように、俺の方に歩もうとして――。


(ごめん、今は天音さんを相手にしている場合じゃないんだ)


 ステップを踏んで、俺は群がるクラスメート達の間に割り込んだ。


「下河く――」

「彩翔! 今日、1 ON 1ワンオンワンやらない?」


 天音さんの声を無視して、ぐっと彩翔の肩を抱く。その瞬間、しゅんと落ち込む天音さんが視界の隅に映って、胸が痛い。


「「……空?」」


 ぱぁっと、彩翔――そして、湊の表情に笑顔が咲く。姉ちゃんのことを最優先してから、この前のバスケ部でのを除くと、こいつらとのバスケもすっかりご無沙汰だった。そう考えると、吐いた嘘が循環して、罪悪感が真綿のように締め付ける。


 でも、躊躇している余裕は無い。

 まるで、バスケットボールのパスをするように。

 お目当てのモノが、天音さんの机の中に飛び込んでいった。


(ナイスシュート!)

 心の中で、口笛を吹く。もうココに用はない。


「あ、悪りぃ。そういえば、今日も俺は用事があったんだった」


 さっと、彩翔から離れる。鳩が豆鉄砲を食ったよう――って、こういうことを言うんだろうな。湊の表情が、ハイスピードで鬼の形相に変化した。

「空?!」

「ちょっと、下河君?」


「自分から誘っておいて、それは無いんじゃない?」

「そもそも、お前がバスケなんかできるのかよ?」


「落ちこぼれで退部したんだろ?」

「それはちが――」


 この期に及んで、湊は俺をフォローしてくれようとするんだから、お前は本当に良いヤツだって思う。


「ちょっと、空! まだ、話は――」


 湊がのばした手を、遮ったのは彩翔だった。


「ちょっと、彩翔あー君?!」

みー、落ち着いて。こういう時の空って、絶対に何かを抱えている時だから。マークして、ディフェンスしよう」


 彩翔が冷静に小声で、湊にだけ聞こえるように囁く。

 これだから幼馴染は――。

 本当に、やりにくい。


(やれるもんなら、やってみろよ)


 先制先行と奇襲は、プロバスケプレイヤー【スカイウォーカー】の十八番で――俺のプレースタイルだから。




「絶対、1 ON 1やるからね、空!」

 湊の怒声を遮るように、授業開始のチャイムが鳴り響くのだった。






■■■






「え、ウソ? ペンケースがない?」


 天音さんの焦った声が聞こえる。

 よく探せ。あるだろ、俺はそう念じる。


「え、これって――」


 それだよ、それ。それを今は使えって。


「……それって、空の?」


 湊、余計なことは言うな。一生懸命、図書室を探したけれど、天音さんのペンケースは、見つからなかったんだ。

 これは、考え抜いた苦渋の決断だ。


(俺って、本当にバカ――)


 後は、仮病でも使って、保健室に避難しよう。実力診断テストだ、再試験でも特にお咎めなんか無い。悪知恵の働く、俺って天才と誰も褒めてくれないから、自分でも褒める。


 問題は武センにどう誤魔化すか。これが1番の難問だった。

 武林将磨――国語教師、剣道部顧問、生活指導担当。通称、武将の武セン。怒ったら容赦ないんだ、この人。


 生徒指導で、何度も他の生徒ヤツらが厳重注意を受けているのを、俺も目の当たりにしていた。


 ごくり。

 俺は唾を飲み込む。

 意を決して、俺は手を上げた。


「……どうした、下河?」


 わざわざご丁寧に、俺の近くに来る。

(良いよ、こなくて!)

 これからウソつくのに、心苦しすぎた。


「……あ、あの。お腹が痛くて、保健室に――」


 ギロッと武センが目を剥く。


「ペンケースはどうした?」

「へ?」


 俺は目をぱちくりさせる。俺にしか聞こえないように、武センは囁く。


「……今のお前、バスケ部を退部した時と、同じ顔をしてるぞ?」

「え、や、何のこと――」


「これでもな、生徒のことは毎日、見てるから。お前が健康優良児なことも知っているし。誰かのために、自分を犠牲にする損な性分って、分かっているから」

「いや、先生……だから、そういうことじゃなくて――」

「本馬? お前、予備の鉛筆持ってないか?」


 突然、声をかけられて、隣の本馬さんがビクンと体を震わす。


「あ、あります。消しゴムも……」

「自分から言っておいてなんだが、なんで予備があるんだ、お前?」

「あ……私、文房具集めが趣味で……だから、下河君に使ってもらって、問題ありません……」

「だって、さ」


 武センがニッと笑う。


「下河が退部した時は、俺は何もしてあげられなかったけどな。お前、ガキなんだから抱え込むなよ? どうしようもなくなったら、大人を頼れ。良いな?」

「……う、うっす。別に、何もないですけど……」


 ただ、頷くことしかできない。これじゃトラブルを抱えているの、丸わかりだった。





「それじゃ、実力診断テストをはじめる。始めっ!」


 武センの声が、教室内に響く。

 カリカリと、鉛筆を走らせる音に交じって。




 ――チッ。

 そんな舌打ちと。



 ――むむむむむむ。

 なぜか、唸る転校生の声が交じったのだった。




(……男の鉛筆とか、キモかったかな?)

 ちょっと自己嫌悪に陥る俺だった。






________________


【転校生さんのテスト時間中の苦悩】


 これは、どういうことなんだろう。私のペンケースがない。それ以前に、下河君に 

 無視をされた。それがショックで。

 湧いてくるクラスメートのA君もBさんもCさんも、本当にどうでも良い。

 私は、ただ下河君と話したいのに――。


 どんどん、彼との距離が遠くなる気がする。

 そんななか、私のペンケースが消えた。

 転校していると、たまにこんなことがある。


 異物な私を排除したいのか。

 疎ましいのか。

 隠された――直感で、そう思った。


(それなのに……なんで?)


 その不自然な、下河君の素振り。


 みーちゃんは、可哀想って思ったけれど。

 少しだけ、ほっとしている私がいて。


(どうして?)


 下河君が、他の子と仲良くしている姿を見ると、モヤモヤしてしまう。

 そんな雑念を振り払うように、知らないペンケースを開ける。


【しもかわ】

 使い古された、消しゴムに、そう名前が書かれていた。


(……下河君が、助けてくれたの?)


 そう考えれば、合点がいく。

 消しゴムを、唇に当てて――。


(な、なにやってるの?)

 まるでカンニングをしてしまったような、そんな錯覚に囚われた。


 でも――。

 今は、まるで下河君が傍に居るような。

 初日、彼の手を引いて。

 校内を回った時の、手の温かさがよみがえって。


(誰よりも私が、下河君と近い――)

 そう思った刹那だった。




 下河君が、本間さんから鉛筆を、消しゴムを借りる瞬間を見てしまう。




「むむむ――」


 唸ってしまった。

 モヤモヤする。


 それなら私が、下河君に鉛筆を貸した――そうか、私のペンケースは紛失しているんだった。


(あの隣に、私がいたかったなぁ)

 ため息をつく。


「天音」

「ひゃい?」


 いきなり、武林先生に声をかけられて、私は飛び上がりそうなほど身を震わせてしまう。


「緊張しすぎだ」


 武林先生が苦笑する。


「……それと、癖なら直した方が良いぞ?」

「へ?」

「鉛筆にキスするの」


 誰にも聞こえないくらいの小声で囁いて。そして、教室内の巡回に戻っていく。






 私は固まってしまう。

 ――キス?


 無意識だった。

 下河君の後ろ姿を見ながら。





 また唇が、鉛筆が触れていた。



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