第4話 読者君と物語の主役さん


「空、すごかったよ!」


 彩翔あやとが俺に肩を組んできた。退部した俺が休憩なしで連続ゲームとか、これは新手のイジメか?


「……彩翔、汗ぐらい拭けよ? 風邪をひくぞ?」

「流石、キャプテン。もといバスケ部の母!」


 朱理、お黙り。バスケ部の母とか、初めて聞いたわ。


「ちょっと?! 彩翔あー君が空とイチャイチャしてるっ!」

「良いだろ、みー?」


 湊までやって来る始末。折角、男女に分かれていたのに、どうしてお前がこっちに来るの? 天音さんまで来るじゃんか。


 お目当てのバスケ部の見学を終えて、俺のお務めは終了と思ったのに。

 それから俺をダシにして、イチャイチャするの止めてくれない?


「でも、確かに……空のダンクがすごかったよね! 初めて、空が格好良いと思ったよ!」


 湊さん、あなたも大概、失礼だからな?


「下河君、でもスゴイよ! ダンクシュート決めるなんて、思わなかったよ! まるでNBAのスカイウォーカーみたい!」


 真っ直ぐな視線に、思わず俺は目を逸らした。顔どころか、体の芯まで熱い。

 周囲のニヤニヤした視線が、今は非常にうっとうしい。


「あれ? どうしたの?」


 きょとんと、天音さんが首を傾げる。


「説明しよう。空は、スカイウォーカーの大ファンだから、素直に評価されて照れくさいのだ!」

「湊?!」


 そうだけど。その通りだけれど。その解説、本当にいらないから!


「……そんなこと言ったら、天音さんのスリーポイントシュートだって、すごかったじゃんか。それこそ、NBAの【スナイパーエンジェル】みたいだった!」

「……み、見てくれていたの?」


 天音さんが、顔を真っ赤にして、目を泳がせる。

 そりゃ、気にぐらいかけるよ。今日だけとは言え、案内係なんだから。


「ふーん?」


 湊さん、だから意味深に笑うの止めてくれない?


「今度、下河君と一緒に練習したいね!」


 天音さんが、ニッコリ笑っていう。確かに、じゃハンデありで、男女混合の練習をする時がある。でも、それは叶わない。だって、俺はもう退部した身だから。


 ただ、この時の俺は「そうだね」と首肯するしかできなかった。

 湊も、彩翔も曖昧に笑う。後は、あいつらに託そう。


 だいたい、もうすでに天音さんは人気者になる兆しを垣間見ている。もうきっと、俺が関わることはない。


「じゃぁ、俺はココだから」


 姉ちゃんの高校の前につく。


「へ?」


 天音さんは意味が分からないと言わんばかりに、目をぱちくりさせた。


「じゃ、空。またね?」

「空、また今度」

「キャプテン、また今度やろうぜ!」

「ん」


 コクンと頷いて、それぞれに手を振る。


「……あ、下河君!」


 天音さんと、俺の視線が交じり合う。

 それだけ。ただ、それだけ。

 それ以上も、それ以下もない。


「下河君、今日、本当にありがとう。また、ね!」


 天音さんが、ブンブンと手を振る。

 俺は、視線を合わせず、手だけ振る。


 今日、初めてバスケ部連中と過ごしたのに。もう天音翼は、その中心にいる。

 彼女は、やっぱり特別なんだって思う。


 眩しい。

 目を閉じたくなるくらいに。


 どうして、あんなに惹きつけられたんだろう。

 夕陽は、もう落ちるのに。


 未だ、眩しくて。

 このまま、目を閉じていたかった。










「空、嬉しそうだね?」


 姉ちゃんにそう言われて、はっと我に返る。


「その転校生の子は可愛かったの?」


 今日、学校でのことを報告し合っていたんだっけ。気を抜くと、天音さんの笑顔が、瞼の裏側に焼きついていて――今も、見惚れてしまう。


 確かに、可愛かった。

 そこは認める。


 でも、そういう対象で見たくない。

 あの子は、本当の意味で――友達を欲しがっていた。


 多分、天音さんは、上辺の「可愛い」とか「すごい」とか、そういう言葉が欲しいワケじゃなくて。純粋に、真っ正面からぶつかれる友達が欲しかったんじゃないだろうか、って思う。


 転校を繰り返す。

 それは、また友達をつくることを、やり直すということで。


 天音さんの、まるで諦めたような笑顔。

 あれは、気のせいだったんだろうか。


 放課後、一緒に回った時には、それがかき消えて――本当の笑顔を見せてくれた気がする。


(……って、何様だって話だよ?)


 自己嫌悪して、小さく息をつく。見れば、姉ちゃんが首を傾げていた。


「良い子だった?」

「……うん、すごく良い子だったよ」


「そっか。早く学校に慣れたら良いね」

「それは、心配しなくて良いかも。もう、人気者だったし」

「そうなんだ」


 姉ちゃんは、間もなく沈む夕陽の切れ端を見やる。


「ん?」

「それは逆に、心配だって思っただけだよ」

「へ?」


「だって、そんなに初日から人気があるんだったら、さ。その子のペースなんか、無視して勝手に周りが評価しちゃうでしょ? でも……それが、その子の本心とは限らないじゃない?」


 俺は姉ちゃんを見る。

 落陽が、水平線を朱色に染める。


 姉ちゃんの表情は、良く見えない。

 本当なら、人のことを気にしている余裕なんかないはずなのに。


 影がのびる。

 姉ちゃん自身が、今、精神的に追い詰められているのに。


「空は、さ。その子の上辺だけ見ちゃダメだからね?」

「う……うん」


 コクコク、頷いて見せる。

 そう言われたら、まずます天音さんの笑顔が、網膜に焼きつく。

 目を閉じても。

 あの笑顔が、なかなか消えてくれなかった。





■■■




 翌日――。


 姉ちゃんの登校に合わせて、早めに学校を出る。

 人混みが多い時間帯は、姉ちゃんの負担が大きい。一緒に過ごすようになって、視線を感じただけで、呼吸が浅くなるのを感じたら。バカでも実感する。


 高校に着いたら、後は先輩達に託すしかない。

 それが、歯痒い。


 この俺の日常を見る奴らは、俺をシスコンと揶揄するが、あえて止めるつもりは無い。


 少しだけ早く、学校に着いた。

 これも、いつものことで。

 姉ちゃんから借りたラノベを読み、時間を潰していると――。


「ねぇねぇ、天音さん! 昨日のドラマ、見た?」

「宿題やった?」

「部活は結局、どうすることにしたの?」


 天音さんが、登校して来たようで。ちょっとだけ、視線をあげれば、もうすでにクラス外の人間にも、囲まれている。


「あ、下河く――」


 天音さんが、俺に声をかけようとして、クラスメート達に阻まれる。


「ねぇねぇ、この動画見た?」

「あ、それ、ウケるよね?」

「マジ、最高だったよ!」


 俺は、本に視線を落とす。

 天音さんの隣には、湊がいる。きっと、上手く緩衝材になってくれるのじゃないかと思う。


「下河――」


 ボソッと、声をかけて来るヤツが一人。普段から、俺をシスコン呼びする連中の一人だった。


「昨日は、お疲れ。出し抜いた割には、天音さんのお眼鏡にはかなわなかったみたいだね?」


 何を言っているんだ、こいつ?


「シスコンは、お姉ちゃんのおっぱいでも揉んでいなよ。天音さんは――いや、翼は。俺の彼女になるからさ。身の程、わきまえた方がいいよ?」


「……誰も案内する人がいないから、立候補しただけでしょ? そういう目でしか見てないの? 気持ち悪いんだけど」


「一番、気持ち悪いのはシスコンだろ?」

「何、それ? 随分、楽しそうな話をしてるじゃん? 火花ひばな、俺も混ぜてよ?」


 割り込んできたのは、彩翔だった。火花が顔を歪ませる。


「黄島には関係ないだろ」

「あるよ。空は俺の親友だもん」


 ニッコリ笑う。ケンカなら、買うよ? 彩翔が小声で、躊躇いなくそんなことを言う。


「おい、火花! 天音さんの歓迎会、いつにする?」


 陽キャの友達に言われて、火花が舌打ちをするのが見えた。


「調子に乗るなよ、シスコン」


 そう火花は吐き捨てる。


「ヤリチンより、何億倍も空が格好良いけどね」


 だから、彩翔。そうやって煽るの、本当に止めて。俺は穏便に俺は過ごしたいの。苦々しげに、火花が背を向けて――陽キャ達の人波に紛れていく。


「……空はもっと怒って良いと思うけど。正直、雪姫ゆきさんをバカにされるの、俺も耐えられないからさ」

「相手にしたら、もっと調子に乗るだろ? ああいう奴らってさ」

「確かにね」


「だから、放っておいて良いから。俺に関わっていたら、彩翔まで、変な目で見られるだろ?」

「空とみー以外、俺にはどうでも良いけど?」


 そんなことを平然と言うから、イケメンって生き物は本当に怖い。


「歓迎会を企画するみたいだから、空も来てよ?」

「行くわけないだろ?」


 姉ちゃんの迎えが最優先だ。それ以上も、それ以下も無かった。


「こっちも、何とか調整するからさ」


 彩翔の懇願に、俺は小さく息をついて――本に視線を落とす。もう、聞かない。断固拒否の意思表示だ。


「あー君!」


 湊に手招きされて、彩翔は息をつく。


「空、また相談するからね?」

「だから、行かない」


 そう呟いて、俺は本を読み進める。

 本は良い。


 いらないことを考えてしまいそうになるけれど、それすらシャットダウンして、物語のなかに引き込んでくれるから。


 未だ、視線を感じる。

 無視して、物語に没頭する。


 天音翼は、物語の主人公になれるような子だ。

 一方の俺は、ただの読者。そう思うと、妙に納得できた。




 読者は、本の外側から眺める。

 ただ、それだけで良い。

 心底、そう思った。




■■■





 羽根を栞に。

 もうすでに、俺は物語に誘い込まれていたなんて。

 この時は思いもしなかった。

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