ある犯人の記憶

ゆーすでん

ある犯人の記憶

急に何かを思い出す。


『聖(きよし)。

 お父さんみたいに離れないでね。

 そう、がまんして。

 お母さんの事、好きでしょう?

 かわいい、私の、おにんぎょう。』


優しい言葉とは裏腹に、髪を引っ張ったり、腕を痛い方へ向けたり。


いたい、いたいよ。いやだ。


でも、誰も助けてくれない。

お父さんは、出て行った。

お母さんは、壊れた。

お母さんは、僕を離してくれない。

僕は、人形じゃないのに。

だから、僕もお人形が欲しい。


あの日を、思い出してしまった。

吐き気がして、『有休消化』を思い出す。

『体調が悪い』と、会社に電話をした。

少し、心が昂った。

今日の為の大事な準備をしなくては。

夜の準備をしていた時に、菊池から電話があって話していたところに、

ミコトが帰ってきた。

僕としたことが、気が付かなかった。


気が付いたら、僕の両手が白くて細い首を絞めている。

僕の美しい花は、ぐったりとして動かない。

美しい顔から流れ出た鮮血が、僕の左手を染めている。

いけない。

直ぐに血を拭い、氷を準備しなければと動き出す。

風呂場に連れていき、服を脱がせてシャワーを丁寧に掛けながら

顔の血を流す。

きっと熱いのはいけないから、冷たい温度に設定した。

全ては、美しい花のため。

傷は大きく縦に入っていたが、思ったより深くはない様だ。

けれど、傷は傷。見ていて辛い。

ミコトがこんな事をしたのは、あの女のせいだ。

やはり、殺してやらなければ。

キリストが復活したように、ミコトが復活するために、

あの女を貢物にしよう。

そうすれば、また花として復活する。

でも、復活するまでは眠らせておこう。

このままじゃ、体が傷んでしまう。

そうだ、大きな冷凍庫を買おう。

ミコト、君を必ず復活させるからね。

それまで、腐らない様に眠っていようね。

ミコトを『衣裳部屋』へ連れていき、布団に寝かせると、

下着を履かせシャツ、そしてグレーのスーツを着せる。

そうして、ありったけの氷を準備して辺りに置いた。

特に、傷周りには念入りに。

勤めている会社の繋がりで、業務用冷凍機器の会社は知っている。

布団に横たわる、花を眺めながら業者に発注を依頼した。

「これで、ずっと二人でいられるよ。」

菊池とは、現地で落ち合う事にしている。

それまでは、一緒に居られる。

僕だけの花に添い寝しながら夜を待ちたかったが、そうしていられなかった。

リビングに血の付いたナイフとラグが残っている。片づけなければ。

まずは、血の付いたナイフを丁寧に水で流し、そのまま所定の位置に戻した。

このナイフは、使わずに保存しよう。

次にラグを確認すると、やはり少量だが血が染み込んでいた。

少し乾いて茶色に変色しかけている部分に両手をついて、

舌でゆっくりと舐める。

これは、粗大ごみの日に出すことにしよう。

それまでは、僕の寝室に置いておこう。

少しでも、傍に置いておきたい。


そうして、色々片付けリビングに戻る。

ソファーに座ると一気に眠気が襲う。

夜のまでは、まだ余裕がある。


ソファーに預けていた体を起こし、歪んだ視界のまま顔を上げる。

そこには、僕の花が立っていた。

僕が仕立てたグレーのスーツを着た花。

ああ、思った通りだ。よく似合う。

うっとりと見つめていると、花の目が赤色に変わる。

赤も似合う。そう思って、手を伸ばす。

『触るな。』

花が、そう言う。

仕方なく手を引っ込めようとしたが、我慢ならずに抱きしめようとした。

けれど、その体に触れることは叶わなかった。何度も腕が空を切るだけ。

悔しくて、せめてもの思いを口にする。

『あの女のせいで、君は変わって…』

『触れたら、どうなるか。許さない。あの人に触れたら、…。』

どうして、そんな顔を僕に向けるの?


瞼が急に開いて、眠っていたことに気づく。

夢を見ていた? どんな夢だった?

僕の花が、あんなこと言う訳ない。

腕時計が示すのは、午後六時。

早めに現場に行って、色々見ておこう。


『ミコトは、死んだ。』


そうして、僕の花として復活する。

僕の貢物を、気に入ってくれるはず。

準備が、とても楽しい。

なのに、ずっと耳鳴りがする。

廊下を進み『衣裳部屋』に「いってきます」と声を掛ける。

『あの人に触れたら、…。』

ミコトの声が、聞こえてくる。

止まらない耳鳴り。くらくらする。

それでもいいよ。やっとだ。

やっと、僕を認識してくれた。

死して今、僕を見てくれるならそれでいい。


『あの人に触れたら、許さない。』

『ミコト』は、そんな事言わない。

でも、この耳鳴りは何? 痛い。

『お前が、大嫌いだ。大嫌い。大嫌い、大嫌い、大嫌い…』

どうしてそんなことを言うの?

ミコトを思っているだけなのに。

ただ、愛でたいだけなのに。


気が付けば、場面が変わっていた。

ここは、警察署の取調室。

ミコトが、燃やされた?

ミコトは、冷凍庫で僕を待っているはず。

もう、あの体は無いのか。

帰ったら、抱きしめてキスしたかった。

温かい体を、抱きしめたかった。

自分の手の中で、動きが止まる様を鮮明に思い出す。

抵抗しない様子に、むしろ腹が立った。

顔が売りの『花』が、顔を傷つけた。

自分以外の、誰かを想って。

自分の事など、少しも思われていなかったと認識してしまった。

白い顔の『ミコト』が自分の両手に首を絞められた状態でいる。

そのまま、立ち上がる。

両方の目尻から涙が零れ落ち、細い首に巻き付く自分の両手、

体を持ち上げているのは自分の両手。

両腕は垂れさがり、首だけ掴んでいては体も支えられない。

左手だけ、赤い液体に染められていく。

慌てて床に寝かせる。

胸は、上下していない。

死んだの?

「ミコト。シャワー浴びようね。」

冷水のシャワーを浴びせながら次の行動を考える。

腐らせない様にしなきゃ。

業者に電話を掛けた。

丁度いいサイズの冷凍庫が在庫してあったので、直ぐに注文した。

その日の午後に搬入されることになり、思わず口角が上がる。

ミコトを、綺麗に眠らせてあげられる。

搬入される冷凍庫を向かへ入れた時、エントランスに男が居た。

昨日の男だ。

目が合った気がしたが、そのまま通り過ぎる。少しの怒りが沸き起こる。

お前らのせいで、ミコトの顔に傷が付いた。

お前らのせいで、ミコトは眠っている。

しかし、今はそんな事を気にしている場合ではない。

エントランスを出ると、業者が二台に荷物を降ろしている処だった。

銀色に輝く、長方形の箱。

大型荷物運搬用のエレベーターに向かう途中でも、あの男と目が合った。

考えてみれば、あの男も警察官だ。

しまったと思うと同時に、あの男が自分に辿り着くまでの接点は

何もない事に気づく。

あの女の知り合いだろうと、何も分かる訳がないのだ。

お前らの、負けなんだよ。


あれから、数日。リビングで、時を過ごす。

『ミコト』は綺麗に眠っている。

目覚める気配はない。

どうして? こんなに、待っているのに。

そうしていたら、あの女に似た女が現れた。

今度は、男女二人で現れた。

しつこい、なんで、おまえら。

女の方が、周囲を警戒している。

でも、こちらの事は何もわかっていないらしい。

男のほうも、分かっていないだろ。

あの弟も、俺が関わっているなんて絶対に分からない。

警察って、案外馬鹿だな。

ねぇ、『ミコト』。

僕の方が、頭いいよね?

でも、答えてくれない。

どうして? そろそろ、おきて?

毎日、『ミコト』を想うのに。

食欲も、睡眠もなくなった。

それでも、仕事には行く。

だって、『ミコト』の為だから。

俺に近づけるなんて思うな。

絶対に、近づけないだろ。

僕は、勝った。

あの女に、僕は…。

 

いや、実際に負けたのは自分。

ほんの数日、『ミコト』と過ごしたら。

あの女が、自分を捕まえに来た。 

あの女に、負けた。

虚ろなまま仕事に出ていた僕の職場に、数人の警察官が来た。

何か言っているけれど、何も入って来ない。

ふと後ろの方を見ると、殺したはずのあの女が立っている。

僕を真っ直ぐに見据えて、動かない。

『警察へ行って、全部話して。』

ミコトの声が聞こえる。耳鳴りがする。

嫌だ、離れたくないよ。

睨み続けるあの女の目が、更にきつくなる。

『警察へ行け。すべてを話せ。』

ミコトの声が、耳鳴りと共に響く。

「署まで、ご同行頂けますか?」

よく見れば、あのもう一組の兄弟みたいな二人の警察官じゃないか。

あの女は、動かない。

『はやく、いけ』

ミコトの声がまた響く。

わかったよ。話すよ。

『部屋で、待っていてね。』

連行されながら、部屋に居るミコトを想う。

帰ったら、抱きしめるよ。

『お前から、やっと離れられる。』

ミコトの声に振り向くと、睨み続けるあの女の横を、

ミコトが壁に向かって通り抜けるところだった。

僕には、目もくれなかった。

通り抜ける穴は、暗く斑に歪んで消えた。

部屋に戻ったのかな。

女が、微笑んだ。

女はそのまま、滲んで消えた。

そうして、僕は逮捕された。

あれから、ミコトの声が聞こえない。

耳鳴りも止んだ。

 

数日後、ミコトの体はもう無かった。

僕が欲しかった『花』は、もう無い。

違う、僕が殺した。

ミコト、本当に君が欲しかった。


それから、刑が確定して刑務所に居る。

ある時、食事中に奴らが小声で話しかけてきた。

「お前、男が好みだって? 

 よくもまあ、男娼なんて好きになったな。」

僕の花を馬鹿にするな。

僕の気持ちは、いつまでも変わらない。

「僕は、ずっと愛しているよ。」

プラスチックの箸の片方を握り、立ち上がると勢いよく右のこめかみに

突き刺して下へ引いた。

激しい痛みと、吹き出す血液。

ぽかんと口を開け見上げる事しか出来ない奴らと、

笛を吹きながら近づく刑務官達。

そんなもの、見たくないよ。

幾ら待っても、耳鳴りが鳴る事もない。

本当に、居なくなってしまったんだね。

それでも、僕は。

 

「ミコト、今でも君を愛しているよ。」

 

警察病院の格子が嵌められた小さな明り取り用の窓を眺めながら呟いた。

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