第3話 フラッフィー③

「くそっ、どこだ!」

 俺はまず一発、撃った。床に穴が開いた。続いて弾数も考えずに、三発撃った。ラックに置いてあった瓶に当たって中身が飛び出し、ガラスが割れ、壁にも穴が開いた。煙があがった。たったそれだけだった。叫び声すらしなかった。婆さんや外に銃声が聞こえるかもしれないが、知ったことか。

「う、腕が。俺の腕があっ……」

 パニックに陥った声が聞こえてきた。イライラした。静かにしてほしかった。もう少しで、黙れと言ってしまうところだった。ちらりと後ろを見る。引きちぎられた方のシャツは血で真っ赤に染まっている。裏路地には腕の無いやつも足の無いやつもたくさんいた。こんな光景いくらでも見てきたはずなのに、震えが止まらない。

 物置の中で引きちぎられた腕を必死に探したが、どこにもなかった。あるのは死体がひとつだけだ。アンディ。本当に死んじまったのか。なんてことだ。どうして。

「とにかくここから離れて、何か変よここ!」

「お、俺の腕。俺の腕はっ!?」

「落ち着いてよジョー!」

 ニッキーはなんとか部屋から引き剥がそうとしたが、敵わなかった。

「離せっ!」

「きゃっ……」

 弾き飛ばされ、壁に背中をぶつけて小さく悲鳴をあげた。

「なにすんのよっ!」

 床にへたりこんだニッキーが睨み付けた。

「やめろジョー! 落ち着け、ニッキーに当たってもしょうがないだろ!」

「D.J! 俺の腕は!?」

「見つからない。消えちまった!」

 冷静に。冷静に。けれどそう思うほどにどうしていいかわからなくなっていく。こんなことがあっていいのか。この屋敷にはいったい何がいるんだ。そのとき、近くでぷんと獣くさい臭いがした。思わず手で振り払う。何もいなかった。

「どけっ、D.J! ここに俺の腕を奪ったやつが……っ」

 ジョーが血の流れ続ける腕を押さえながら、部屋に入ってきた。

「来るな! まだアンディをやったやつが……」

「ううっ!?」

 突然、ジョーは何かに殴られたかのように顔を背け、たたらを踏んだ。勢いのまま、踊るようにぐるんとこっちに回る。その顔には引き裂かれたような傷が出来ていた。スローモーションみたいだった。だってその直後には、ジョーの頭が消えちまったんだから。あいつの悲鳴が轟く前に、ぶちっと音がして首がもがれた。あいつの体はまた回転するようにして、アンディの上にばたんと倒れた。血のにおいがした。

「あ……、あっ、うわああああ!」

 俺はメチャクチャに撃ちまくった。アンディとジョーの体に穴が開いた。

「やめて、D.J!」

 ニッキーが泣きそうな声で俺の腕を掴んだ。はぁはぁと呼吸が乱れる。いったいなんだっていうんだ。何が起こったっていうんだ。クールでいることを心掛けてきた。かっこよくいようって。だけどこんなのは手に負えない。

「いいから離れましょう。二人は……二人は……」

 いざというときは互いを見捨てて逃げるっていうのが俺たちの決まりのひとつだった。誰かを切り捨てられる冷徹さを持つことが、最高にクールだと思ってた。でもこんなの違う。それは警官や追っ手から逃げる時の話だ。こんなの聞いてない……。

 でも情けなさよりも恐怖の方が勝っていた。二人を殺したやつがまだ目の前にいるかもしれない。俺たちは恐る恐る廊下に離れる。部屋から視線を逸らさずにそろそろと後ずさっていく。銃声が外まで聞こえていれば、誰かが通報している可能性もある。もし逃げられても、二人の死体が発見されれば、俺たちだって時間の問題だ。アジトから逃げないといけない。なんてことだ。どうしてこんなことになった?

 俺とニッキーは急いで階段まで行った。婆さんに構ってる暇はなかった。

 だけど下まで降りていくと、婆さんが壁伝いにどこかに行こうとしているのが見えた。ジョーがいなくなったから逃げてきたんだ。俺たちがあいつに襲われてる隙に。杖も無しに、小声で何か言っている。

「フラッフィー、おいで。フラッフィー、おねがいよ、ああ、どこに行ったの、私、あなたがいないと……」

 この期に及んで猫なんか呼んでやがった。その姿を後ろからじっくり眺めるなんてことはできなかった。俺は恐怖を隠すように苛立った。

「お外へ行きましょう、フラッフィー……」

 俺は止めようとするニッキーを振り払って、婆さんの胸ぐらを掴んだ。

「おいババァ! いったいあいつはなんだ!」

「ひ……っ」

 婆さんは怯えた表情で縮こまった。視線はやっぱり合わない。

「こっちを見ろ!」

 そんなことを言ってもどうしようもなかった。でも言わずにはいられなかった。こっちは二人殺されてるんだ。アンディは自分の店を持ちたがってたし、ジョーはプロのバスケ選手になりたかったんだ。それを……。

「ご、ごめんなさい。お金のところには案内するから……」

「そうじゃない、あいつはなんだって聞いてるんだ!」

「この家には私ひとりだけよ、ほんとうよ」

 そのとき、後ろでニッキーがなにかに気がついたんだ。思えばあの化け物野郎は見えないんだから、気配を探っておくべきだった。だけど遅すぎた。不可視の化け物は、確実に俺たちを追ってきていたんだ。そうしてニッキーが、そっと俺に伝えようとしたときにはもう遅かった。

 悲鳴が響き渡り、ニッキーが地面に転がって、必死になって頭や腕を振っていた。上には何も乗ってないのに、何かに押さえつけられているようにもがいていた。その顔から次第に血が出ていく。不可視の化け物だ。追ってきたのだ。

「ニッキー!」

 もうなりふり構っていられなかった。

 俺は銃口を化け物のいるところに向けた。だけど、撃てない。ニッキーに当たったらどうする。寒いわけじゃないのに、妙に薄ら寒い。手ががたがたと震える。

「くそっ!」

 ニッキーの上の空間に向かって体当たりをしようとした。けれどそれより先に、俺の顔を何かがひっかいた。

「ううっ!?」

 激痛が片目に走った。目が開けられない。

「あああっ……!」

 片目がぬるぬるする。触れることすらできない。目が潰れたのか。なんとか無事な方の目だけを開く。まずい。まずい。ニッキーは床で暴れながら叫び続けている。そうするうちにニッキーの顔が血まみれになっていく。もう泣き声すら聞こえない。その代わりに、ふうううう、と興奮したような声が聞こえた。俺でもニッキーでも婆さんでもない声だ。この不可視の化け物の声なのか。

 まだ立てる。なんとかなる。俺は不可視の化け物がいるだろう場所めがけて、体当たりをした。だけど遅かった。化け物は寸前にいなくなっていたらしい。俺はニッキーの体にけつまずき、情けなくも反対側の壁に激突した。銃は手から離れ、ただでさえ引っかかれた顔をしこたま打ち付けた。脳にまで突き抜けたみたいに、いままで感じた事のない痛みだった。

「あっがぁあ……!」

 なんて情けない姿だろう。こんな。

 ニッキーは小さく息をして、やめて、もうやめて……と言っている。

「ニッ……」

 振り返った瞬間、ニッキーの体が激しくびくついて、痙攣した。

 その目が見開いて、ごぼごぼと口から血をこぼした。暴れていた手が次第に止まって、ぱたんと床の上に落ちた。

「……あ……」

 よく見なくても、何が起きたかわかった。あとは俺だ。俺だけだ。ごとんとニッキーの体が床に転がった。呼吸が乱れそうだった。俺は壁に背をつき、はぁはぁと息をむりやり整えようとした。ぐちゃぐちゃと、ニッキーの体が食われて荒らされていくのが見えた。この野郎。この野郎。この野郎。悔しさで涙も出てこない。銃はどこに行った。俺はこんなに弱かったのか。仇を、とらなければ。

「フラッフィー、フラッフィー!」

 畜生。婆さんときたらこの期に及んで猫なんか呼んでやがる。

 でもこれはチャンスだ。婆さん一人死んだところで知ったこっちゃない。こっちは三人やられているんだ。みんな殺されちまったんだ。婆さんが囮になって食われてくれれば怪物は満足するかもしれない。俺は少しずつ廊下側に後ずさりしながら、じっと空中に浮かんだ赤いものを見た。咀嚼されて骨の砕ける音が一度した。赤いものは何もない空間に飲み込まれていく。それが俺から離れた気がした。どうやら婆さんの方に視線を向けたみたいだ。

 いいぞ。

 あっちに行け。

 体勢を立て直さないと。

 骨と皮だけの婆さんでも食ってるのがお似合いだ。

「マァウ」

 そのとき、猫のような声がした。甘えるような声だった。婆さんが腕を伸ばして、何かをぎゅっと抱きしめるようにした。抱きしめた何かを撫でるように腕が動いていた。婆さんがおかしくなったのかと思った。

「フラッフィー! ああ、私のかわいこちゃん。こんなところにいたのね」

 そのときぜんぶわかった。

 全部わかったんだよ、くそったれ。

 婆さんの目は生まれてからずっと見えなかったこと。

 とびきり大きくて、いつも隠れている猫をかわいがっていること。

 だから、自分の可愛がっている猫が、まさか姿が見えないなんて思いもしなかったんだ。

 この婆さんは、不可視の化け物をフラッフィー(ふわふわちゃん)なんて呼んでかわいがってるんだ。なにが猫だ。くそったれ。あいつがニッキーやアンディを殺したんだぞ。あれが猫のはずがない。でも、猫の声がした。じゃあ猫なのか。あんなでかさの猫がいるはずない。俺の頭の中でぐるぐる回ってた。とにかく婆さんがなで回していた空間は、明らかに猫の大きさじゃなかった。あれじゃ犬だって言われた方がまだしっくりくる。でもあいつの喉からは猫の声がするんだ。

「血のにおいがするわ、どうしたのフラッフィー、痛いところはない?」

 婆さんの手つきは探るようだった。

 ふわふわちゃんなんて呼ばれた不可視の化け物は、そのままじっとしていたらしい。俺はハッと我に返った。化け物が婆さんを殺さないなら、逃げないと。どうにかして逃げないと。ちくしょう。片方だけでもこんなに目が見えにくいのか。でもなんとか銃のありかだけは見つけることができた。がくがく震える手で、転がった銃に手を伸ばそうとした。めいっぱい伸ばしても届かなくて、虚しく冷たい床を指先が叩く。

 猫がこっちを最大限に威嚇してくるような声がした。睨まれている。見えないが、こっちを見ている気がした。それなら、いま銃さえ拾えればなんとかなるんじゃないか。こいつはアンディを殺したんだ。ジョーも殺した。そしてニッキーも殺した。俺たちを台無しにした。俺たちの夢が……。

 どうする。目を閉じて感覚を研ぎ澄ませるか。いちかばちかで銃を拾うか。そもそも近づいてきてるのか。くそみたいな化け物め。殺してやる。絶対に殺してやる。まったく頭が働かない。お前はいつからこんなに臆病になっちまったんだ、D.J!

 俺は一気に身を翻して、銃を拾いに飛びついた。その瞬間、ひどく近くで獣くさい臭いがした。振り返って銃を構えた瞬間、腕が何か強い力にたたき落とされた。俺の腕からは引き裂かれたような痛みと血が噴き出していた。悪いことに銃口が下を向いて、一発が俺の足を撃ち抜いた。

「ああああっ」

 あまりのことに顔を顰めた瞬間、俺は勢いよく押し倒された。至近距離でふわふわとした感触がした。顔の前で獣くさい臭いが口を開けていた。俺は必死になって、銃底であいつを叩きつけた。こいつは見えないけど、確かに殴った感触がある。だけど何度目かで歯のようなものにぶち当たった。その歯は俺の指先にかじりつき、勢いよく引きちぎった。ジョーの腕をそうしたように。

「うぐううう」

 痛みなのかわからない涙が出てくる。

 俺はこの街から出るんだ。絶対に出てやる。金持ちになってニッキーと肩を組み、アンディの店に行き、そこで一緒にジョーの試合を見て……。

「くそっ……、くそおおお!」

 銃だけが口の中から返却されたのか、床を滑る音がした。そうして俺の至近距離で、威嚇音がした。獣くさい臭いが近づいてくる。遠くで聞こえるパトカーの音が、途切れた。







「どうやら忍び込んだはいいものの、他のグループとかち合ってしまったんでしょうな。巻き込まれなくて幸いでした」

「……ええ、ありがとう」

 ソファに座って毛布を肩にかけられた老女は、それでもまだ不安そうだった。

 その様子をちらりと見て、刑事は続けた。

「片付けくらいはさせてもらいますよ。大変でしょう」

「いいんですか」

「ええ、市民のためですからな」

「本当に、なにからなにまでお世話になって……」

 刑事は詳しく説明はしていなかった。発見された四人の遺体は、明らかに人間業ではなかった。でもそんなことはどうでもよかった。けっして治安がいいとは言えないこの街を、不当に荒らす奴等が四人。つまりは犯罪者が四人消えただけ。見た感じは非行から強盗に走った子供たちのようで、多少の同情はあれど仕方ないと思っていた。運が悪かったのだ。ただ運が悪かっただけ。なにしろこの家にこんなに警察が来ているのにそいつは出てこないし、住民も殺されていない。何の問題があるのだ。

「このあたりの見回りも増やすように言っておきましょう。それで、勇敢なフラッフィーは、怯えちゃったかな?」

「やっぱりここにはいないのね。人がいっぱいだもの。また隠れちゃったのかもしれないわ」

 刑事は天井を見上げて、茶化すように言った。

「偉いぞ、フラッフィー。また頼むよ」

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