第12話 討伐隊 〜国家内乱編〜
「報告は以上です。アズキねぇさん。」
幾つか報告を済ませた後、アズキは頬に手を当てる。
「やはり、妖精具が出回っていますね。すぐに研究棟に送り、解析を頼んで下さい。あ、可能であれば小型のGPSも付けておいて下さい。」
「了解っす。…じゃあ届けにー」
「あの!俺に行かせてもらってもいいですか?用事も…あるので。」
ランの発言を遮り、躊躇いがちに言う。
妖精具は使用者に干渉する。もしかしたら精神面にも影響が出ている可能性がある。シキさんに相談すれば何か分かるかもしれない。そんな曖昧な期待から来た、発言だった。
「えぇ、構いませんよ。と言うよりもシュウ君にお願いをしようと私も思っておりました。気をつけて行って来て下さいね。」
「…はい。」
色々と相談事を頭の中に詰め込んでいたが、何故かボロボロになっているシキに思わず面食らってしまう。
「えっと…シキさん?」
「あぁ、"やっと来たか"。それで…その妖精具が例のものか。アズキから連絡を受けてる。どれ見せてみろ。」
シキは短剣を机の上に並べると両手に黒い手袋を嵌める。
壁のボタンを操作し、中を開けると、短剣をカプセルのようなものに並べる。
「いつまで突っ立っているつもりだ。何か言いたい事でもあるのだろ?適当に話したまえ 。」
促され、ようやく口を開いたシュウの話をシキは片手間で聞く。
「なるほど。精神への影響か。一つ、妖精具は個体にとって最適なものへと変質するように設定した。だが、その際にこの国ではある条件が用いられている。」
「条件ですか?」
「そうだ。妖精具には動物型にならぬように、制限をかけているんだ。適性が動物にある場合は、情報を読み込む際に、他と切り替わるように設定されてある。妖精石が読み取る信号を、別の脳波を出すことで誤認させる。では、何故そんな面倒な作業をすると思う?」
シキの言葉にこれまで他の人が使っていた妖精具の中に動物型がいない事に気づく。
「理由は一つだ。動物型は精神面への影響が大きく、感応数が低いと徐々に制御できなくなってしまうからだ。だが、完全に禁止されているわけではない。感応数が基準値以上であり、一定以上の功績を上げたものは、申請ができる。後は上で相談というこれまた面倒な流れだ。」
「つまり、俺の妖精具は動物型かもしれないと言う事ですか?」
そこで、シキの手がピタリと止まり、ようやくこちらを見る。
「分からん。君が使った妖精具を調べたが、変質した様子はなかった。色に関してはイメージの部分もある。例えば、ゴリラの妖精具があればその色は間違いなく黒になる。」
「じゃ、じゃあ俺は、それが分かるまで、こんな訳の分からない状態のままなんですか?」
そこでシキは立ち上がり、シュウを押す。
突然のことに驚き、倒れたまま後退りするも、すぐに壁際に追い詰められてしまう。シキはシュウに馬乗りになると、体を寄せてくる。
ほのかに甘い匂いが香り、脳内麻薬が溢れるように気分がクラクラとする。
そんな状態になっているシュウの頬をシキは触れると、瞳の奥を覗き込んでくる。
「そんなに不安か?今君にあるのは感情は何だ。恐怖心か?警戒心か?性欲か?…そのどれもが人間が持ち合わせる感情であると同時に動物が持っているものだでもある。動物と人間、一体どれ程の差がある?答えたまえ。君はどうしたい?どうなりたい?」
「お、俺は…分からなくなって…怖くなって」
「であれば、答えは簡単だな。」
シキはシュウから離れると、隣に腰掛ける。
「…彼女に会ってくるといい。きっと何かヒントになるはずだ。まずは土台の確認をしたまえよ。」
「…で?わざわざ何しに来たわけ?こんな監獄に用があるとは思えないんだけど?」
「あ、あのリツさん。」
楽しそうに顔を歪めるリツだったが、シュウはそれよりも別の事が気になって仕方なかった。
「な、何よ。」
「何で、壁に所々、穴とかひびが入ってるんですか?」
シュウから見えるリツの部屋の壁はボロボロで、何か襲撃でもあったかのようになっていた。
尋ねられたリツは、ぷいと顔を背ける。
「し、知らないわよ。…って言うかあんた!朝来なかったわね!あのチビが来たからこんなことになったのよ!」
「えぇー」
そんな無茶苦茶な、などと言おうとした時に思い出す。時折、リツが破壊衝動に苛まれていると。まさしく、道に繋がる点を見つけたような気分だった。
「り、リツさん実は相談があって!」
経緯を話すと、最初はぶすっとしていたリツだったが、少しずつ話に耳を傾け始めた。
「だいたい話は分かったわ。それで今は?」
「いや、その時だけです。むしろ、ここに来てからかなり落ち着いてると言うか…何なんでしょう、これ。」
「ふーん。」
シュウの話を聞き、リツは髪先を手でいじり、興味がないような態度を見せる。
(ーえ?こいつ完全に私の事好きじゃん。ここに来てからって、監獄の中での知り合い絶対私だけでしょ。つまり、私に会えなくてイライラして、会ったから落ち着いたって事じゃない。何こいつ、遠回しに告白でもしてんの?ほんと引くわ。迷惑極まりないわね。あぁ、面倒ね)
「ちょ、ちょっと待ってなさい。 」
リツは突然立ち上がると、監視カメラに近づく。
「…コホン。ね、ねぇチビ。化粧品とか…貸してくれない?」
『君、自覚はあるか知らないが、一応第五層だぞ。基本面会はできない。報告書も実際は自室とモニタールームで音声を繋ぐだけだが、それだと駄々をこねるから、特例で合わしているんだ。今もカメラにも細工をしているし、バレたら私は死刑だ。』
正論で突っぱねられ、リツは舌打ちで返す。
「何よ、化粧品ぐらいいいじゃない。第一、そんなもん渡されても脱獄なんて出来ないわよ。もう、仕方ないわね。…あっじゃあ私の妖精具ちょっと貸してよ。それで全部上手く行くから。」
『話を聞いていたのか?ダメに決まってるだろ。人を共犯者にするつもりか?』
「もう!じゃあいいわよ!」
音声はここまで届かないが、会話の相手はシキさんだろうか。何やらご立腹の様子で戻ってくると、椅子に腰掛ける。
鏡越しにシュウと目が合うと、リツは顔を伏せる。
「よし!話の続きね!今日はこれで話しましょう。」
「リツさん、せめて聞いてる振りぐらいの態度をお願いします。」
「何よ!いいでしょ!何か文句でもあるわけ!」
そんな様子のリツにシキは溜息を溢すと、再び音声をリツの部屋に繋ぐ。
『分かった。物を中に入れる事は出来ないが、加工技術を取り入れよう。それでどうだね?』
「でかしたわ!その手があったじゃない!」
シキの提案に、リツはピクリと反応すると、満面の笑みで立ち上がる。
『で?具体的な要望は?』
「そうね、まずは色白にして頂戴。」
『もう、既に病的な程白いじゃないか。これ以上はむしろ逆効果だと思うぞ。』
シキの返答に唸りながらも別案を出す。
「じゃあ顔を今の半分ぐらい小さくして。」
『姿見を見た事はあるか?これ以上小さくすれば全体のバランスが崩れるぞ。』
中々通らない要求に眉をピクピクさせながらもなんとか堪える。
「じゃ、じゃあ目を倍ぐらい大きくー」
『人間を辞めたいのか?エイリアンにても種族を変えるつもりか。』
「何よ!全部ダメじゃない!」
我慢出来ずに壁を叩く、リツにシュウはビクリと肩を上げる。
『素の顔が、そう言った加工が必要ない程に整っているのだ。下手にいじれば逆効果だろ。まったく、贅沢な悩みだな。』
「ほ、ほんとでしょうね。私に加工は必要ないってやつ。」
突然おどおどとするリツにシキは目頭を抑えると、音声をシュウの部屋にも繋ぐ。
『突然だがシュウ。リツの顔についてどう思う?』
「は!?ちょっとチビ!何勝手な事してー」
「え!?えっと…いつ見てもかっこいいし、綺麗だと思いますけど。」
慌てるリツだったが、シュウが即答で返してしまい、しばらくの間、固まってしまう。
『そうか、ご協力感謝するよ。では、私は研究で忙しいのでこれで失礼するよ。』
「…っ…ふん。」
リツが何やらぷりぷりと怒りながら、椅子に腰掛けると、頭を描きながらシュウから視線を逸らす。
「よく分からないけど、ちゃんと向き合うことね!あんた…ヒーローなんでしょ!正々堂々と戦いなさい。…あぁ、もう!知らない!」
一方的に捲し立てると、出口に向かい、出る直前にこちらに向き直る。あっかんべーと舌を出し、満足気に鼻で笑った。
その一挙一動を見ていたシュウは困惑したように「えー。」と溢した。
「用が済んだのなら行きたまえ。」
シキのその言葉に頷く事しかできなかった。
「…呑まれるなよ。妖精具はよく使えば強力な武器だ。だが、身の丈に合わぬ力を求めれば、体を蝕まれることになるぞ。それは腐っても人類わ、その他多くを侵略した寄生生物だという事を忘れるなよ。」
「…それはどう言う意味ですか?」
「自分の出来ることをしろ。バカの面倒を2人も見る気はないという意味だ。」
それだけ言うと、シキは熱の入った目で妖精具を解析し出す。その状態のシキには何を言っても届かない為、シュウも第五区に向かった。
頭の中で今日あった事を整理しながら歩くも、何一つとして纏る気がしなかった。まるで誰かが頭の中で物を散らかしているように、情報が整理されない。
「おかえり」
第五事務所の裏手に周り、玄関を開けると、ずっと待っていたのか、キョウカが壁に背を預けながらシュウを見上げる。
「おう、ただいま…で?何してんのお前。」
「さぁ、私も分からないわ。ただあなたが居なくなりそうで怖かった。」
普段の冷たいキョウカからは考えられないような言葉に、クロエに打ち負かされたのかとも考えた。
「んな訳ないないだろ。まだ強くならないといけないのによ。」
「どうして…あなたが、そこまで?」
「どうしてってお前…」
キョウカからの質問に頭の中に情景が浮かぶ。体が痛い程に冷たい空気、何かに揺られながら、ずっと誰かが呟いていた。
『ー強くならないと。』
その脅迫的で温かい映像がどこか頭を離れない。
少し考えた後、キョウカににっと笑ってみせる。
「お前も俺が強い方が助かるだろ?」
儚げな顔をしていたキョウカに、ほんの少しだけ暖かな色を感じた。
「…そうね。私の味方はあなただけだから。」
「訳わかんねぇよ。仲間なんていっぱいいるだろ。ねぇ…クロ、エ…さん…」
言いながら昨日と同じように扉を横にスライドさせる。だが、中の光景はシュウが思い浮かべていたものではなくなっていた。
異質な人物達によって昨日までの団欒にも似た暖かさが嘘のように感じる。
「おっ♪やっと来たね。…はい座布団、シュウは俺の隣ね。」
「…」
にこやかな笑顔でギンは座布団を持ってくると、バシハジと叩き催促する。その隣では、カブトが湯呑に入ったお茶をちびちびと飲んでいた。その異様な光景に思わず、固まってしまう。
「悪い、キョウカ。今理解した。俺の味方もお前だけかもしれない。」
何故キョウカが玄関にいたのか不思議だったが、この空気感の中、居座れる気はシュウもしなかった。
「おっと、そこにいるのはカイドウシュウ君じゃないか。突然の訪問で悪いね。」
以前聞いた事のある少し色気のある甘い声に振り返ると、外に出る前にあったツキヨ・タケの姿があった。
タケはそのままシュウの両肩を掴むと、わざとらしく、泣きついてくる。
「聞いてくれよ。彼ら私ばかりを標的にするんだよ。君は私の味方になってくれるよね?」
「いや…あの…」
こんななりで偉い人なんだから困る。あまり、失礼な事を言えば、処刑とかになるのかな?と考えていると、後ろから引っ張られ、あっさり引き剥がされてしまう。
「タケ…あまり、俺の隊員を困らせるな。」
手を引っ張ったカブトに威圧され、タケは両手を振る。
「…ん?いや、俺討伐隊員じゃないですよ!」
「あぁ、悪いな。どうやら早とちりしてしまったようだ。だが、俺の目には時間の問題のようにも思えるが…どうかな?」
息のかかりそうな程近くに、カブトの美形が光り輝く。
「キョウカ!ヘルプ!」
囁くようなカブトの声音にシュウが助けを求めると、キョウカはため息を溢しながらシュウの手を取る。
「失礼します、カブト団長。彼を揶揄うのもほどほどに。」
さらにその2人を丸ごと第三者が引き寄せる。
「キョウちゃんの言う通りです。うちの子達を謀らないで下さい、カブト。」
「…っ!」
「…?」
「そうか。なら今は任せよう。」
その3人の様子を見て満足したのか、カブトはほんの僅かに口角を上げると、そのまま先程まで座っていた先に腰を降ろした。そのカブトに続くように、タケも部屋の中に入っていく。
「さ、役者も揃った事だし、話を続けるよ。…いきなりだけど、カイドウシュウ君にも見てもらいたいものがあるんだ。」
タケはおもむろに懐から丸い結晶の入った小さな瓶を見せる。
「君の目にこれがどう見える?」
「いや、どうって言われましても…妖精石?」
どう見えるも何も、何処から見てもただの石だ。もしかしたら、これが妖精石なのかもしれないとも思うが、でも、それだけだ。見た目で判別出来るほど妖精石を見た経験はない。
「そう、ご明察の通りただの妖精石だ。でも、ただの妖精石じゃない。この中には肉片やら骨やら等、人の一部が入っている。」
「どう言う意味で…。まさか、妖精石が人を取り込んだとかですか?」
「概ねその通りだが、取り込ませたんだ。意図的にね。妖精石の厄介な面は黒妖石の寄生能力だ。地球上にあるどんなものにも、感応数と呼ばれる物質がある。彼らはそれらに寄生し、その情報を自身に取り込む。…ここで一つの問題が生まれる。他者を取り込んだ妖精石自体に感応数があるあるだろうか。」
「それは…」
答えがそこにある。机の上に置いてあるそれが答えなのだ。だがそうだとしたら問題はー。
「もう分かっているとは思うが、答えはイエスだ。では、そんなものをどうするのか?…取り込むのさ。得られる力は一時的だが、前の使用者の情報を共有する形で引き出せる。当然その中には感応数も含まれる。」
「で、でも危ないんじゃないんですか?確か、妖精具ってシキさんが制限をかけてるって。」
今使用している妖精具は従来のものにシキがアレンジを加えたものだ。妖精石と必要以上に干渉しない為に制限をかけ、安定性を高めた。
「その通りだ。今のものは最適な力を引き出す事で、旧型のものと劣らない性能。そして、安全性を考慮したものとなっている。危険じゃないのか?だったね。もちろん危険に決まっている。良ければ覚醒し、悪ければ体外体内どちらからも芽を生やし、蝕人になる。」
「そんなの無茶苦茶だ。」
一時的に力を手に入れるために死を選ぶなんて、到底考えられる事ではない。
「そうかな?僕は理に叶ってると思うよ。だって誰だって負けたくない瞬間があるでしょ。その時にそんな力があれば、後の事なんて些細な事にしか映らないよ♪君だってそうだったんじゃない?シュウ。」
今まで黙っていたギンがシュウに投げかけた事でカブト以外の全員の視線がシュウに集まる。
「…」
ーもっと感応数があれば…。そう考えた事がない訳ではない。だが、それが叶わないから遠回りでも力を蓄えてきた。だけど、それでも、夢が叶わないのだとしたら…。あの時、声を掛けてきたのが、シキではなく、別の人なら。結果は変わっていたのだろうか。
「いいや!俺は負けねぇ!そんなのヒーローでも英雄でもない!」
「ふーん。って言うか、もう良くない?ようはそれが出回ってるって話でしょ?…それより、護衛で連れ回されて、体を動かしたいんだよね。シュウ付き合ってよ。」
「いや、確かにそうだけど、まだこれの危険性をだねー」
「ほら、もう終わったって。良かった♪長い話で退屈だったんだよ。」
タケの言葉を遮り、挑発的な瞳でこちらを見るギンにシュウはちらっとキョウカに視線を送った後、首を振る。
「い、いや、俺は遠慮しておきましょうかね。今は情報が大事って言うかー」
「あぁ、それもそうだね。せっかくリベンジの機会をあげようと思ったけど、負けたままでいいんだぁ。まぁ負けは経験って言うからね。俺やカブトさん達みたいな特使だったら考えられないけどな〜。」
明らかな挑発。シュウから見ても丸わかり。こんなものに乗ると本気でギンは思っているのだろうか。シュウはやれやれと言うように立ち上がる。
「言っておきますけど…怪我してもしらないですからね。」
「…はぁ。」
キョウカの残念なものを見る目が痛い。だがそれでもだ。挑発だと分かっていてもムカつくものはムカつく。そう、敢えて乗ったのだ。
「え?嫌だけど?1回反故にしたの、そっちだし、ちゃんとお願いしますって言ったら考えなくもないよ?さ、言ってごらん♪」
「はぁ!?」
本当は今すぐにでもぶん殴りたいが、ギンの言い分も一理ある。故に、シュウが取るべき態度は。
「お、お願いします。」
「うん。考えたけど、やっぱ嫌だから1人で行ってきたら。」
せっかくプライドを丸め込んだにも、かかわらずハシゴを外され、怒りが湧き上がる。
「この卑怯者!嘘つき!もう知りません!1人で木刀で振ってきます!じゃ、俺はこれで!」
喚くシュウにギンはニヤッと笑うと、シュウにピースを向ける。
「嘘だよ♪ちゃんと相手にしてあげるから拗ねないでよ。ほら、早く行こ」
「上等だ!さっきの怒り分きっちり返させて貰いますよ!!」
2人で道場に向かう後ろ姿を見届けると、タケはため息をこぼす。
「全く、上手くいかない事だらけだよ。」
「お互い様だな。俺達のやり方は敵を作りすぎる。特にお前は、そのうち身動きが取れなくなるぞ。」
カブトの忠告にタケは首を振る。
「それこそ今更だよ。生憎とこのやり方が骨身に染みてしまっている。だから、私なりにやるよ。…この国為にね。」
それからは互いにとくに心動かない話題を時間稼ぎでもするように行う。どちらも国の権力者。その2人が会って話をするとなれば、こう言う時間が殆どを締めるものだ。
「では、私はそろそろお暇させてもらうとするよ。…また頼み事があれば伺うよ、カブト」
「あぁ。楽しみにしているよ、タケ。」
少しズレた返答を自覚しつつも、タケも気にしたそぶりすらなく、退室する。
「聞こえているか?タケの護衛を頼む。」
電源を入れたままのインカムからギンの声が返ってくる。
『えぇー。もう少しだけシュウと遊びたいんだけどな♪』
「そうか、では仕方ないな。今からそこにアズキを向わせるが構わないか?」
その名前を聞き、インカム越しにギンが息を呑むのがわかった。
『よし!今日はもう帰ろう!じゃあね、シュウ!また遊ぼうねー♪』
『待って下さいよ!勝ち逃げなんてずるいです!って聞いてるんですか、ギンさん!もう1回もう1回!』
楽しそうに騒ぐ声がインカムから聞こえる。カブトは少し躊躇った後、切断を切った。
「お疲れ様でした。」
コトッと低い音と共に替えの湯呑みが机の上に置かれる。
「悪いな、俺もすぐに出る。」
上司が家の中に入れば、ゆっくり出来ないだろうと、思いそれ程熱くない茶を一息に飲む。
それを見ていた、クロエはくすくすと口元を隠しながら笑った。
「あなたは少し気にしすぎですよ。もう少し自分を大切にして下さい。戦うものであり、ましてや長であるなら尚のこと。」
気を遣われたのだと理解し、何を言うか考えた後、もはや癖なのか、いつもの言葉を吐く。
「…悪いな、アズキ。」
時計を一度確認した後、カブトも荷物を手に持つと、タケと同じように事務所を出る。
「あれ、カブトさん。もう帰るんですか?」
突然の声に振り返ると、同じように外に出ていたシュウが駆け寄ってくる。
恐らく、一緒に稽古していたギンが護衛の為に帰った為、手持ち無沙汰になっていたのだろう。
「あぁ。…ところで何故ここに?」
「あ!そうです。キョウカの野郎が何処にもいなくて、探してたんですよ。」
妙に気の抜けた声に、カブトも肩の緊張が解けていく。
「そうか。まぁ、頑張ってくれ。」
「ん?何か…疲れてません?」
こちらを凝視する瞳に、カブトは顎に手を置き、少し考える。
「思い当たる節はないが、そう見えるか?」
「はい、なんとなく。いつもはさらーって感じなんですけど、今日はちょっと普通の人みたいです。」
言われて少し肩やら首やらが凝っている事に初めて気付く。だが、思えば今まで外に気を張っていた為、自身の体まで注意が回っていなかったように思えた。
「そう…かもしれないな。こんな激務を押し付けられて災難ばかりだ。まぁ好き勝手にやったとは言え、試験が気に食わないと、誰かれ構わず暴れ回る問題児にも振り回されたしな。」
イタズラっぽく笑うカブトに少し面食らう。こんな顔が見れるとは思っていなかった。
「それは…すみません。」
「考える事は山積みだが、どうにしかして…ん?何故俺はこんな話を?」
「俺に聞かれても。あぁ!さては油断させて引き込もうとしてるんですね!」
シュパッと構えるシュウにカブトは薄く笑ってしまう。
「くくっ…どうだろうな。単純に警戒する必要がない相手なのかもしれないな。部下でもなく、上司でもない。所属も違い、機密情報の塊であるシキの部下である。そして、敵にならない。思えば、条件が当てはまるのはお前ぐらいのものだろ。」
「カブトさん、もしかして敵にならないって…バカって意味ですか?」
「…」
「カブトさん!?」
目を見開き、迫るシュウに、カブトは頬を緩める。
「冗談だ。…頭の良し悪しは個人では良い方がいい。だが、集団になれば話は違う。どうしても的になってしまい、死亡率は高まる。だから、敵になり得ない事も一種の才能だ。」
「な、なるほど。才能ですね。」
理解できなかったのか、あるいは今読み解いている最中なのか、最後の言葉だけを復唱するシュウにカブトは続ける。
「要は、気が休まると言う事だ。お前といると落ち着く。もしかすると、唯一の友人になれるかもしれないな。…だから先に死ぬなよ。人の死に顔なんてもう十分過ぎるほど見た。今更1つや2つ増えても俺の中の特別にはなれない」
それだけ言い残し、カブトは夜の街に混じり、消えた。
「結局何が言いたかったんだろ。」
「そうね。下げて上げたと言ったところね。」
背後からの声に肩をビクッと上げると、探していた人物、キョウカがそこにいた。
「あっ!やっと見つけた。」
「何か用?」
「何か用?じゃねぇよ。お前な…その、クロエさんとなんかあったんだろ?」
「…どうしてそう思うの?」
突然の名前に表情は変わらなかったが、キョウカの返事に少し間が生まれる。
「さっきクロエさんに引き寄せられた時、お前の体に力が入ったような感じがしたんだよ。」
シュウの言葉にクロエとの会話が思い出される。
『何故シュウにだけ実践を?』
『あなたに実践は早すぎる、そう判断したまでの事です。』
『理由を尋ねてもよろしいでしょうか?』
『あなたには手を抜く節が見受けられる。自身に制限をかけるのと手を抜くのでは全く別物です。強くなりたいと言いつつ、手を抜く。この矛盾が実戦では死に直結します。悔しければ、全力で来なさい。話はそれからです。』
返す言葉もなかった。手を抜いてるつもりはない。だけど、行動の際に選択肢を潰しているのも確かだ。だが、あれはおいそれと使っていいものではない。
「…自力で解決できる問題よ。だから心配しないで。もう夜だし、私は先に休むわね。」
「おい!そんな説明で…。」
だが気づいた時には既にキョウカの姿はない。昔から本気で逃げようとしたキョウカを捕まえれた事は一度もない。
「全くあいつは。」
人の問題になると首を突っ込む癖に、自分の時には立ち入らせない。頑固なところは昔と変わっていなかった。
『ー。』
頭にノイズのようなものが走る。視界の端に映った足にすぐに横を向くと、真っ白なワンピースのような長い服を着た少女がじっとこちらを見つめていた。
地面に着く金髪は夜の中でも美しく光り輝き、どこか現実味がない姿の女性。ほんの僅かな間、目を奪われるていると、少女は軽快に走りだし、こちらを手招きする。
「ってあんた!さっきもいた奴だろ!」
走り去って行く少女の足に履き物はなく、昼間にランと一緒に追いかけた裸足の少女だった。
慌てて追いかけると、背後から呼び止められる。
「夜も冷えるので中に…ん?こんな夜中にどこに行くつもりですか?」
毛布を手に持ったクロエが首を傾げる。だが、その間にも彼女の背はどんどん小さくなって行く。
「すみません。事件に関係あるかもしれない子が。ちょっと保護して来ます。」
「あっ…ランを向かわせますね!」
背後から聞こえた声に耳を貸しつつ、少女を追いかける。
「はぁはぁ…。待って下さい!敵じゃないです! 」
少女を追いかけるうちにどんどん人気のない場所へと進んでいく。全力で走っているはずなのに、少女との差が全く埋まらない。
だが、突如彼女は立ち止まり、横を指差す。それにシュウも止まろうとした瞬間。
「よっとッ。」
そんなら短い言葉と共に、横から拳が伸びてくる。シュウは半ば反射的に逆方向に飛び、衝撃を緩和する。
「何々ボクちゃん1人?どうしたのよ。ママに教わらなかったの?こんな所に来たらダメでしょって。…お家に帰りな」
帽子を被った中年の男は軽い調子で笑っていた。だが、さっきの力は妖精具で引き出された力の可能性が高い。
シュウはすぐに相手の体を隅々まで観察する。厚着に黒いブーツ。刀はないが、現在の妖精具は色々な形がある。
視線を凝らせるシュウにさっきまで笑っていた男の表情が固まる。
「お前…討伐隊だろ。」
その雰囲気の変わりように体が緊張する。
「いや、おかしいと思ったんだよ。この暗闇で俺の攻撃を捌くなんて。…で、探しもんはこれかな?少年。」
男はブーツからナイフを取り出す。刃渡りは15センチ程。その色は…黒色。
「ダガーナイフ。…俺の妖精具だ。」
指先で回し、ピタリと止めた瞬間、突然姿が消える。顔を引き、僅かに頬に痛みが走る。
「お!?躱すか。んーお前…ただの派遣じゃねぇな。」
「あんた、妖精具を使って何するつもりだ?」
「んなもん決まってんだろ。…金稼ぎ。」
ニヤッと笑ってみせる男をシュウは鋭く睨みつける。
「…っ!」
「そう怒んなよ!…おい、マル!中にいる奴全員逃がせ。」
その声に男の背後の廃墟から別の若い男が現れる。
「言われなくても、もう逃しましたよ。」
「おっ流石!分かってんじゃん。」
「すぅ…」
男達が話している隙に、シュウは息を吸い込み、何処かにいるであろう、ランに場所を知らせようとする。しかし、それも読まれており、言うより早く、壁際に押し込まれる。
「はいストップ。マル、一応準備しとけ!仲間呼ばれると面倒だ。」
「ウツギさんも油断しないで下さいよ。」
右手を両手で抑えている所に左膝が放たれるが、それも右足で軌道を逸らし、回避する。
「おいおい、強ぇじゃねぇか。」
壁に押し込まれ、防戦一方のシュウだったが、妖精具に手を掛けた瞬間、ウツギは自身の優位を捨て、距離を取る。
「ふぅ…。妖精具ってのは恐ろしくて仕方ねぇ。必死に体を鍛えようが何しようが、妖精具の前ではゴミも同然だ。テメェらみたいな恵まれた奴には分からねぇだろうがよぅ。」
ー分かる。自分もそっち側だったから。
だけど、表情には出さない。さっきの場面、シュウの能力じゃ脱出はできなかった。だけど、それでも敵が退いたのはこちらを恐れたから。なら、その優位を捨てる訳には行かない。
「あんた達の目的はその腹いせか?」
「何だそれ?冗談は辞めてくれよ。恵まれない俺らだっていい思いしてぇんだよ。」
「…そのせいで他の人が不幸になってもか?」
「今までいい思いしてたじゃねぇか。ちょっと不幸になったから何だ?知らねぇよ。」
『ここの奴らにはお世話になってるんだ。出来る限り迷惑はかけたくねぇんだ。』
あの顔が声が頭に浮かぶ。ランさんにとってこの場所がどれ程大切か分かるからこそ、何故そんな事が出来るのかと言う思いが溢れて仕方がない。
「何でお前らはそんな事がっ!」
シュウのその反応に男を口をへの字に曲げると、ナイフを前に突き出す。
「そもそも何故、俺らが妖精具を持ってると思う?」
「…」
「それはな…ツテがあるからだ。じゃあ、何故今現在一般人の俺がそんなツテを持ってると思う?」
妖精具を持っててもおかしくない人物との繋がり。そんなものはそう易々と出来るものじゃない。であればー。
「ま、まさか…」
「そのまさかだよ。…俺が討伐隊の人間だったからだ。ランは元々俺の隊の人間だ。」
「な、何で…討伐隊の人が子供に妖精具なんか…。」
動揺するシュウに男は大きくため息を吐くと、空を見上げる。
「お前は討伐隊の人間が全員、聖人君主や自己犠牲の塊みたいな奴らだとでも思ってるのか?そんな訳ねぇだろ。金がねぇ、食い物がねぇ。けど討伐隊に入れば生きれる。そう言う奴らがいねぇとでも?そんな奴らに俺らも同じように金を恵んでんだ。なぁ?あいつらの事を思ってやれよ。」
「ふざけてるのか?」
「は?」
顔中に熱が籠り、体が煮られているように熱い。
「お前は甘い言葉で犯罪に手を染めさせただけだろ。自分の金銭欲の為に。都合の良い事を言ってんじゃねぇよ!ランさんがどんな思いだったか、考えた事はあるのか!?」
「それこそ知らねぇよ!あいつの自業自得だろ!クソガキだったがよ、腕は立つ奴だった。あん時に俺は感応数の力を痛い程知ったよ!けどな、俺らが隊を抜けた後もここまで大きくなれたのは、好き勝手してたあいつのおかげだ!まさに聖女様だね!」
両手を広げ楽しそうに話す、ウツギにシュウは妖精具を引き抜く。
「もういい。お前はここでー」
その時に妙に甲高い音が響き、何かが床に散らばる。
「おいおい。それは、何の冗談だ?」
「そ、そんな…何で妖精具が…?」
手に持つ重みがほとんど感じられない。震える視線の先にあるシュウの妖精具は、跡形もなく砕け散っていた。
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