第13話 偶像 〜国家内乱編〜

「…」


「よく分からねぇが…」


 唖然とするシュウにウツギは肉薄すると、自身の間合いまで一気に距離を詰める。


「そんなにぼーっとしてていいのかい。」


 格闘技を混ぜながら、素早く攻撃を繰り出す。


 初手こそ、回避が間に合わず防御したが、それ以降は全て捌き、避ける。


「いやお前、ほんと面倒だな。」


 攻撃手段が無くなった為、回避の一手に回ったシュウだったが、奇しくもそれがシュウにとって最も得意な形であり、クロエが磨きをかけた唯一の部分でもあった。


「なら…これはどうかな!」


 肉薄し、刀の間合いではない、零距離での攻防が繰り広げられる。


 ウツギの右の大振りを後ろに引きながら回避した瞬間。ウツギの左手から何かが放たれる。


 それすらもシュウは上に飛び回避したが、避け先にウツギの回し蹴りが迫る。両手でガードするが、踏ん張りの効かない空中であり、勢いを殺しきれずに2、3メートル吹き飛ぶ形となった。


「楽で良いねぇ。普通なら問題にすらならない攻撃にも反応できる。いや、しちまうって言った方が正しいな。」


 シュウが避けたものはなんて事はない、ただの小石だった。


「…くそ。舐めやがって!」


 舌を出して笑うウツギにシュウは起き上がり再度構える。


 こちらを馬鹿にしているのか、さっきと全く同じ大振りの攻撃が放たれる。


(さっきと同じと分かっていれば、避けずに!)


 避けないようにその場に留まるシュウだったが、心臓が締め付けられるような感覚に先程と同じように後ろに飛ぶ。


「おぉ!やっぱ反応すんだな!けど、それじゃあ…さっきと同じだぜ!」


 同じ場所に攻撃を放たれるも、数段重い一撃に骨がミシミシと悲鳴を上げる。


「ぐっ!」


 肋を抑えながら立ち上がり、自分の勘の鋭さに心底安堵する。


 先程までシュウがいた場所からは煙が上がっていた。散弾銃のように地面に複数の小石が突き刺さっている。とてもではないが、同じ小石を放ったとは思えなかった。


「ネタバラシと言うほどのものでもないが、俺の妖精具は珍しい動物型でな。毒蟻…つっても人を殺す程の毒はねぇ。結局できるのはこんな力自慢ぐらいだよ。おまけに動物型は蝕人に片足突っ込んでるようなものだ。薬物を体に取り入れながらでの戦闘だ。長期戦にも向かない。全く、不便なもんだよ。」


「ふぅ…ふぅ…ふぅ…」


 自然と息が荒くなり、肩が上下に動く。血液が引き締まり、口が渇く。体が危機的状況を察知しているのが分かる。


「よし。それじゃあもう一度同じの行くから構えてろよ。」


 そのセリフにシュウがバックステップをとった瞬間だった。


「ほーら、簡単に引っかかる。つくづく分かり易くて助かるぜ。」


 ウツギは両手に石を持つと、それらを投げつける。豪速球に暗闇も相まって簡単に石を見失ってしまう。結果、完全に避けきれずに、足や腕に石が刺さり、だらりと力が抜ける。


「ま、今回は相手が悪かったとでも思えよ。」


 力なく立つ、シュウの顎を正確に捉えた右ストレートをお見舞いされ、背後の壁に激しく当たる。


「まだ、だ。まだ、負けて…ない。」


 何とか立ちあがろうと踠くが、思ったよりも脳へのダメージが大きく、視界が定まらない。だが、体だけは想いに従って起きてくれる。


「…。」


(焦点があってねぇ。ダメージもかなり大きい。立てる立てないの次元にはねぇ筈なんだ。やっぱりと言う他ねぇな。こいつも…)


「お前も…動物型か?肉体が人間のそれとは思えねぇ。よし、ずらかるぞ。」


 マルはそれに頷きながら、ウツギに近づく。


「いいですけど、あいつ殺しとかなくていいんですか?」


「あぁ。あのタフさにこれ以上付き合ってたらすぐに…」


 移動しながら注射針を刺そうとした瞬間、ウツギの動きが止まる。


「ウツギさん?」


 そこで、マルも気づく。先程仲間を逃した逃げ道に立つ人影に。


「よう。それで? うちに挨拶もなしで、どこに行くって?」


「…イヌイ、ラン。」


 ぽろっとウツギの手から注射器が転がり落ちる。


「久しぶりだな、ウツギさん。一応確認するぜ。…あんたが、黒幕っつう事でいいのか?」


「黒幕?何言ってんのか分かんねぇな。」


 とぼけたように肩をすくめるウツギに、ランの眉がピクリと動く。


「うちのせいか?その…何だ。あん時は悪かったな。 謝ろうと思ってたんだが、隊を辞めちまってたからな。」


 その思ってもいなかった態度に、ウツギは思わず口笛を吹く。


「おいおい。噂には聞いていたが、すげぇ心変わりだな。全くいい女になったな、イヌイ。」


 冷静なウツギの対応とは裏腹に、マルの力強く握った拳がプルプルと震える。


「悪い…だと!?何様のつもりだ!お前のせいでウツギさんは第二区での隊長の地位を無くしたんだぞ!それをそんな謝罪一つでー!」


 興奮気味で話す、マルの肩をウツギが強く叩き、言葉を遮る。


「ーよせよ、マル。結果が互いに納得のできないもんだったのはお互い様だろ。入って来たばかりのお前にボコボコにされ、社会的地位を失った俺。俺の退職を気に第二の人員は殆どが辞めちまって、その責任を取る事になったイヌイ。俺らは今も昔もやりたいようにやっただけだ。別に恨んじゃいねぇよ。」


 ウツギは一度足元に転がる注射器に視線を落とすが、すぐに切り替えたように、ランを視界の中心に捉える。


「そいつを聞いて安心したぜ。これで遠慮なくぶっ飛ばせるからな。」


 余裕のある態度。それもそうだ。既に一度、完膚なきまでに勝った相手。油断は命取りになるが、それはあくまでも実力がある程度近い相手に限る。


「マル早く行け。2人で戦っても勝率がさほど変わる訳でもねぇ。女の相手は任せとけ。」


「行かすとでもおもってんのか?」


「そう欲張るなよ。俺1人で我慢しとけ。」


 ウツギはリラックスした様子でランに構える。




「…ゴフッ。…………クソが。」


 初めから分かりきった勝負だった。血を吐きながらもタバコに火を付ける。未だ、膝を地面に付けないのは、精一杯の時間稼ぎなのだろう。


「…勝負ありだな。大人しく捕まれ。」


「…言われなくても分かってるよ。俺の勝ちだな。」


「ー何?」


 ニヤッと笑って見せるウツギ。


 初めは煽りか、別の意味でかとも思ったが、違う。間違いなく、勝利を確信しての笑みだ。


「動くな!」


「…そう言う事か。」


 その姿にランは全てを察する。逃げたはずのマルが小綺麗な服に身を包んだ女性の首に妖精具を向けていた。


「妖精具を捨てろ!じゃないと、こいつの首を斬る。」


(人質はいざと言う時の為に残ってもらっていたこっちの仲間だ。マルの野郎が仕込んでやがったな。危なくなれば、向こうはこっちを切り捨てられる。そして、この状況で逃げようとも思わなぇ人質。まさにー)


「形勢逆転だな。」


「正気とは思えねぇな。うちがそれに応じるとでも?」


 鋭くウツギを睨むが、ウツギは首を振る。


「いいや、思わねぇな。前のお前ならな。だが、それを言い出すなら謝罪がそもそもお前らしくなかった。あれば悪手だろ。」


「…これでいいか?」


 ランは、手に持っていた短刀を地面に置く。


「あ、あぁ。服も脱げよ。」


「はぁ?あんたにそんな趣味があったとは、思わな…おい、その手は?」


「う、ウツギさん?」


 ランの言葉通り、ウツギの右手は肥大化しており、手の皮膚の一部が黒い外殻を纏っていた。動物型ではよくある、蝕人化に伴う理性の崩壊だ。


「ったく。何年前のファッションだよ。特攻服にタンクトップなんてよ。旧時代ですら古いぞ。」


 下手に動けば、ウツギもマルも何をするか分かったものではない。追い詰め過ぎた。そう判断するにはあまりにも遅すぎた。


「はぁ…ツキがなかったな。」




「ここの番は誰だ?」


 それが第五区の事務所に来た私の第一声だった。


 とりあえず、中にいた奴らは全員潰した。それが私の流儀だったからだ。最下層では舐められた奴は全部奪われる。守るためには序列を付けるしか方法を知らなかった。


 だが、結果は散々なものだった。独房にぶち込まれ、出た後もその調子で、隊の連中は軒並み辞めていった。


 大きなビルの中の第五事務所には、ランと数名の技術スタッフ、そして、各事務所から討伐隊のメンバーが派遣される形となった。


 どうしてそうなったのかも、深く考えずに「根性のねぇ奴らだと」嘲笑い、苛立ちの矛先を他に向ける事で消化する日々だった。


「こんばんは。」


 彼女はそんな私の前に突如現れた。白く小さな少女。汚れ一つ付いていない、綺麗な格好をした綺麗な子。私とは世界が違うと一目見て理解した。


「特使として、この区に派遣されました。クロエ・トゥ・アズキです。私を好きになったらクロエと呼んでください。」


 ー特使。討伐隊に入れば誰だって一度は聞いたことがある。国の心臓を守護する少数精鋭の部隊。本物の天才しか入れない、だとか嘘とも本当とも取れないような様々な噂がある。


 だが、一つだけ全員が口を揃えて言う。


「あんたが特使?めっぽう強いって噂じゃねぇか。ちと面貸せや。」


 討伐隊に入り、教官にも一度も負けた事もなく、勝負はいつも一方的だった。最速で昇進した事もあり、まさに天狗になっていたのだ。


「なるほど。…構いませんよ。私もそうしたいと思っておりましたので。」


 分からされた? 鼻を折られた?まさにそれら全てを教え込まれたように、徹底的に手も足も出ない程に私は負けた。


「…一週間の間、いついかなるタイミングでも構いません。私から一本取れたらあなたに従いましょう。一週間経っても私から一本も取れなければ、今後私の指示に従ってもらいます。」


「いちいち上から目線でイラつく野郎だ!!」


 逃げるように外に出ると街の物を破壊しながら歩く。それに街の住人は何も言わずにただただ、酷く憂鬱そうにこちらを見る。


「ったく。テメェは昔から変わらねぇなあ。物言わぬ弱者にしか暴力を振るわねぇ。根性のねぇ哀れなガキのまんまだよ。」


 この街で昔から飲食店を営んでいる80歳やそこらの元という男だ。周りからは頑固じじいの愛称で呼ばれている。


「テメェもいつもいつもチクチクとうるせぇんだよ!今は虫の居所が悪りぃんだよ。あんま調子乗ってっと埋めるぞ。」


 ランの脅しに怯む事なく、元は鼻で笑ってあしらう。


「勝手にしやがれ。どうせお前が何したってそう思われ続けるのが関の山だ。」


「このっ!」


「おい、ラン!止めろ!」


 向かいの店にいる筋骨隆々の男、重吉大輔がランを抑え、自身が営む向かいの店裏に連れてかれる。


 最下層からここに出てきた私は盗みばかりして生きながらえていた。いつも決まって店前に食べ物が置いてあるこの世界は私にとっての楽園だった。


 重吉はそんな私によくご飯を作ってくれた人間の1人で、討伐隊を勧めたのも他ならぬ重吉だった。


「離せ!」


 頭を抑える重吉の手を乱暴に振り払うと、咎めるように詰め寄ってくる。


「ほんとにお前は昔からー」


 先程の元と同じ言葉に頭に余計に血が昇り、重吉以上の大きな声で重ねる。


「テメェもちょっとうちの面倒見たからって親ヅラすんな!」


「ー本当にあいつには困ったもんだよ。」


 重吉は困ったように頭を掻く。近くの物を壊しながら歩き回る災害とかした少女を、今となってはただ黙って見つめる事しかできなかった。


「クソがっ!いつでもかかってこいだ?舐めやがって。」


 初めはただの好奇心だった。どれ程の実力なのか、知りたかった。だが、こっぴどく惨敗し、その悔しさから初めは正々堂々挑んでいたが、負けが重なるに続き、次第に手段を選ばないようになっていった。だが、結果はどれも同じだった。


 いつの日か、こっそりと寝込みを襲おうと、深夜に襲撃した事もあった。


「あぁ?何だいねぇのか。」


 部屋には真新しい布団が畳まれており、使った痕跡が殆どない。まさに、そこに置いてあるだけのようだ。


 特使の1人に選ばれる強さ。当然並外れた才能だけでなく、努力があっての事だ。みんなが休んでいる間にも鍛錬をしているのだ。そう思うと、素直に関心する他なかった。


「けっ、それにしてもうちと戦ってもまだ鍛錬する余裕があるなんてな。ちょっとムカつくぜ。」


 独り言のようにボソリと呟きながら、ランは例年以上の寒波に身震いしながら自室で横になった。


「では、また挑んで下さい。」


「はぁはぁはぁ…。マジで勝てねぇ。」


 練習用の妖精具とは言え、ここまで開きがあると分からされると、最近は苛立ちを超え、清々しさしかなかった。


 どうやっても勝てない相手。それはいつしか、目標から理想へと変化していた。


「ん?どうした、あんた。」


「どうした、とは?」


 平静を装ってはいるが、クロエの顔は茹でたタコのように真っ赤になっていた。呼吸もいつもよりも荒く、小刻みに体が動いている。


「この程度…全く…問題じゃ…あり…ませー」


 バタリと倒れるが、音は小さく、それこそ見ていなければ気づかない肌だった。


「おい!大丈夫か?」


 慌てて駆け寄り、ほぼ咄嗟に小さな体を抱き抱えるが、その体は見た目通り、いや見た目以上に軽かった。


「ま、待ってろよ。すぐに医者に。」


「落ち着いて下さい。自室で大丈夫です。」


 こんな時にどうすればいいのか分からずに慌てる始末で、病人のはずのクロエに諭されてしまう。


「お、おう!そうか。」


 布団を敷き、クロエを横にする。上から布団を被せ、濡れたタオルやら準備していると、ランも次第に落ち着きを取り戻していった。


「最近はとんでもない寒波らしいからな。流石の特使様も自然には勝てねぇみたいだな。」


 一通り思いつく限りの事をした後、外を眺めながらそんな事を言った。何となく、襲いかかっていた罪悪感からか、何と声を掛ければいいのか分からなくなっていたのだ。


「そうですね。情けない限りです。そう言うあなたは随分と元気が良さそうですね。」


「たりめぇだろ。うちは最下層の人間だからな、この程度の寒さどうって事ねぇよ。」


「では、この弱った隙に私を襲ってみますか?これ程の好機はそうそうあるものではありませんよ。」


 真っ赤な顔で上体を起こすクロエに、ランは思わず笑った。これは、彼女への嘲笑ではない。自分に対してだ。


 やれ、奇襲だの寝込みを襲うだのして勝ち取った勝利に何の意味があるのだろうか。そんな曖昧なものの為に、ここ数日必死になっていたのが馬鹿らしくなった。


「アホ言ってんじゃねぇ。こんな病人倒しても他の誰でもねぇ、うち自身が納得できねぇ。あんたとは正々堂々やって勝つ。その…今まで悪かったよ。」


 謝った経験など、これまでなかったものだから、妙な気恥ずかしさに俯いてしまう。


「…」


 しかし、返ってくる筈の返答もなく、やがて沈黙に耐えかねて、再び視線を上に戻す。


「な、なんだよ。何か言えよ。小っ恥ずかしいだろ。」


「いえ、でも今日で約束の一週間ですし、今日勝たなければこれから先は私の指示に従って貰う事になりますよ。」


「はぁ!そこは、おまけしてくれよ!もう1日伸ばすかとかさ。」


「いえ、期限は期限です。それに一週間と言う長い時間を与えましたし、かなり譲歩した方では?戦場であれば、一戦で終わりです。」


 もっと大人しいイメージだったが、意外と頑固だななどと、思いながらも思案を巡らせる。やがて頭が上手く回らなくなり、頭をむしゃくしゃに掻きむしる。


「あぁーもうわかったよ!元々負けたのはうちだ。あんたの指示に従ってやるよ。但し、きっちり一週間経ってからだ。」


「はい。そう言う約束ですから。」


 目を瞑ったままくすりと笑うと、クロエは横になる。


「なぁ、いつも思ってたんだが、何で目を瞑ってんだ。怪我の類いには見えねぇ。病気か?」


 不躾な質問だとは思っていた。だから今の今まで聞けないでいた。でも、今は彼女がどんな人間か知りたい。その感情から一歩彼女に踏み込みたくなったのだ。


「はい。目が見えない訳ではありません。寧ろ、昔から目は良い方でした。剣の頂点を目指す際にこれは強力な武器になります。ですが、頼り過ぎてしまっていた為、一度痛い目に合いました。」


「あんたがか?」


 これ程挑んだからこそ分かる。視力を封じた状態ですら、手も足も出ない。ましてや、彼女は特使だ。人類の頂点だ。そんな人物が負ける相手など、それこそ同じ特使でない限りー。


「あ、まさか…」


「えぇ。同じ特使の人間です。妖精具は目に見えないものですら操作出来てしまうのです。ですから視覚に頼った戦いではどうしても先には進めない。なので、視覚意外の全ての感覚を鍛錬する道を選びました。」


 言うは容易いが、そんなもの身につけようと思って身につけられるものではない。大抵が無駄な努力として切り捨てる道を彼女は這い上がってきたのだ。だから強く、絶対の自信を身につけた。


「はは。イカれてる。ほんとバケモンだな。それで、あんたはどうしたいんだ?」


「どうしたい…とは?」


 クロエはランの質問に小首を傾げる。


「いや、人類の頂点つう目標は叶ったんだろ。次はどうすんだ。負けた奴へのリベンジか?」


「あぁ、そう言う事でしたか。それなら決まっています。道場を作りたいんです。何も見えない道を必死で駆けてきた私ですが、はっきり言って地獄のような経験でした。ですが、その分見えたものもあります。それを後世に託したい。それが、 どんな形であれ…です。」


 立派な目標に、それを可能にする余りある程の才能、それを生かす努力。


「お金も貯まりましたし、何とか道場を立てる事ができそうです。」


 ー勝てない訳だ。何がある訳でもなく、ただ生きてきただけの私とは向いてる方向が違う。この人と同じ生き方をすれば、彼女のようになれるのだろうか。


「どうやったらあんたみたいになれるんだ。」


「私に…ですか?そうですね …。私は誇り高く生きよう、そう決めて今日まで生きてきました。あなたにどう見えてるかは分かりませんが、これがその形であり、私なりの答えです。」


「そっか…」


 ため息を溢しながら、ランは姿勢を正し、真っ直ぐにクロエの目を見つめる。


「うちの負けだ。あんたの言う事を信じてみるよ。」


 今でも何をすべきかは分からない。だけど、彼女のように気高い人になってみたい。今はこの気持ちに身を委ね、認めることから始めよう。




 心身共に、負けたばかりだと言うのに心はどこか清々しさに溢れていた。いつものように外を歩きながら、薬局で適当に薬を買う。


 そんな毒牙を抜かれた私に、周りの人達は物珍しいものを見るように、視線が集まっていた。


「あぁ?なんだよ。薬買いに来ただけだろ。うちは見せもんじゃねぇぞ。」


 いつもの大声ではなく、近くの人に聞こえる程度の声。その態度にざわざわと影が動く。


「何だ。騒がしいが、またあいつが来たのかって…何だ、今日はこっちか。」


 店から顔を覗かせた元は、ランを見るや否や鼻息を漏らす。


「あぁ?どう言う意味だ。」


「こいつは予想外だ。当の本人は何も知らねぇと来たか。…余計に話にならねぇな。」


「何が言いてぇ?」


 やたらと遠回りな言い方に、元を睨み付ける。だが、元は気にする事なく、店前の椅子に腰掛ける。


 いつものように食ってかかろうかとも思ったが、クロエの姿が脳を過り、グッと堪える。


「悪いが、言い合いする気分じゃねぇ。邪魔したな。」


 早足で立ち去ろうとするランの後ろで元は少し息を吸い込むと、わざとランに聞こえるように大きめの独り言を吐く。


「随分と飼い慣らされたもんだな。薬のお使いか?フン…無駄な事を。何処を探そうがあのチビ助に…馬鹿に効く薬はねぇ。金の無駄だ。」


 一定のテンポで歩いていたランの足がピタリと止まる。あのチビ助。小柄な元の身長よりもさらに小さい人物など、1人しか心当たりがない。間違いなく、クロエに対しての言葉だ。


 ランは踵を返すと、元の前に立ち、ガン付けるように顔をずいっと前に出す。


「おい、もう一回言ってみろ。マジで容赦しねぇぞ。」


「なんだ聞いてたのか。尋ねられたら仕方ねぇな。馬鹿に効く薬はねぇ…そう言ってんだ。」


「…マジで死にてぇみたいだな。」


「ラン!」


 結局いつものように騒ぎを聞きつけ、向かいの店から出てきた重吉に羽交い締めにされる。


「テメェにあの人の何が分かんだ!対して知りましねぇで偉そうにほざいてんじゃねぇ!」


「店の邪魔だ。とっとと消えろ。」


「いいから来い!」


 店と店の間の狭い路地裏で、壁を思い切り殴りつける。


「落ち着いたか?」


「何で止めた!うちの事ならまだいい。実際そんだけの迷惑をかけた。だけど、あの人は無関係だろ。うちへの当てつけとしても、対して知りましねぇ、あの人の悪口を言う必要はねぇだろ!」


「…やっぱりか。ラン今日の夜、内に来い。」


「はぁ?何言ってんだ。何でうちが…行く訳ねぇだろ。」


「来ないなら来ないでいい。これはお前の為に言ってんじゃねぇ。ただ俺がこれ以上見てられねぇ。それだけの話だ。」


「…意味わかんねぇよ、あんたもあいつも。」


 ランに背中を向けた状態であったため、何を感じているのかは分からなかった。だが、その真剣さだけはしっかりと伝わってきた。




 薬を飲ませ、布団を2枚被せると、こっそりと事務所を抜け出す。 人通りの少ない道を選びながら、最短で目的地に辿り着いた。


 裏口に回り、ドアを数度ノックすると、内側からガチャリとドアノブが回された。


「ランか?早く入れ。」


「…おう。」


 どこか気まずさを感じながら薄暗い店内に入る。窓にはシャッターがかけられていたが、その隙間から月の光が差し込んで来る。


「そろそろ時間だな。お前もこっちに来い。但し、何もするな。それが条件だ。」


 重吉は時計の針が12になったタイミングでシャッターを僅かに下げ、こちらを手招きする。


「何をするかと思えば…今うちは忙しいんだよ。雪も降ってるし、早く帰んねぇとー。な、何でここに?」


 高下駄に小綺麗で真っ白な服装に身を包んだクロエが耳まで真っ赤にしながら雪の中歩いてくる。


「御免下さい。夜分遅くに失礼致します。クロエ・トゥ・アズキです。これまでの物品等の賠償代を含めた代金を用意してい参りました。」


 クロエは向かいの元の店の前で止まると、2、3度控えめノックの後、膨らんだ茶封筒を着物の袖口から取り出す。


「今日は、酷い熱で倒れたばっかりだ。あんな薄着じゃ悪化するに決まってんじゃねぇか。」


 ランがぶつぶつと独り言のように呟いていると、クロエは高下駄を脱が始め、雪の中裸足で地面に正座をする。


「この度は申し訳ございませんでした。」


 そして何の抵抗も躊躇いもなく、雪に額を付ける。腰も上がっていない、綺麗な土下座。


「な、何だこりゃ。…どう言う事だよ。」


 一体いつから?そんな疑問と共に思い出したのは、深夜に奇襲を掛けようとした日の事だ。


 使われていない布団に、主人のいない部屋。


「ま、まさか。」


「一週間ぐらい前からだ。あぁやって、一軒一軒回り歩いて頭を下げてお金を渡して回ってんだよ。だけどよ、お前への不満がその程度で収まらねぇ馬鹿がよ、言いやがったんだ。」


「な、何を?」


「『これだからお偉いさんは。そんな高下駄で頭を下げられてもね。本当に誠意があるなら土下座の一つでもするけどね。』つってな。そこからだ。頭を下げてんだよ、お金を受け取って貰えるまで。」


「…っ!」


「殆どの家の返済は終わってんだ。だけど、最後のあの頑固ジジイは頑なに出てこなくてよ、この寒波の中、姿勢をピクリとも動かす事なく、何日も頭を下げてんだ。昼間も言ったが俺が見てられなくなったそれだけの話だ。」


「な、なんだよ、それ…!」


 握り拳を握り締めながら、その様子を朝方まで待ったが、元が出てくる事はなかった。そんな扱いを受けたにも関わらず、クロエは日が昇り始めると、頭を静かに上げた。


「夜分遅くに失礼致しました。また、伺います。」


 それだけ言い残し、赤紫色に晴れた手で封筒を手に持ち、体のあちらこちらに雪やら汚れを付けたままゆっくりと歩いて行った。


「すまねぇ、ラン。」


「なんだよ!あれは!!」


 帰るや否や、何事も無かったかのように着替え、布団に入っていたクロエに怒号を上げた。


「どうやら、見られてしまったようですね。」


「ふざけんじゃねぇ!あれのどこが誇り高いんだ!それとも土下座をする事があんたにとっての誇り高い事なのか!あの金だってそうだ!道場を作るんじゃ無かったのか!こんなあったばかりのクソやろうの為に何やってんだよ!はぁはぁはぁ…」


 一息に言いたい事を捲し立て、自然と呼吸が荒くなる。


「無論、道場作りを辞めた訳ではありません。頭を下げる事が誇り高いかと言われれば、それも答えに言い淀みます。」


 そこで、クロエから僅かな微笑みが消えた。


「ですが、後悔も恥じらいもありません。あなたを守る為に私が必要だと判断すれば、どんな事でもしましょう。門下生を見捨てては道場主として表に出す顔もありません。汚れにまみれようが守る。それこそが私の誇りです。私の心は何一つ汚れていない。恥じる事などありません。」


「納得出来ねぇ。」


 まさに反撃を喰らったようだった。だけど、どうしても納得できない。ランにとって頭を下げると言う行為はそれ程卑下するものだった。


「強いあんたがみっともねぇ真似してんじゃねぇよ。何でそんなにうちに構うんだよ!あんたには関係のねぇ人間だろ!それに、うちは最下層の人間だ!1人でも十分生きられる!」


「自分の弱さを棚上げるのは辞めなさい。」


「はぁ!うちがいつ弱さを棚上げした!?」


「最下層で生まれた事を逃げ道に言い訳をするのを辞めなさいと言っているのです。」


 頭がカッとなり、思わずクロエの襟を掴む。上に引き上げられた事で、布団が捲れ上がり、手どころか足先も赤紫色に腫れていた。


「どうしろってんだよ。生きるのに必死だった。誇りなんて持ってても生きていけねぇんだよ!」


 目を逸らし、手の力が緩んだ瞬間、クロエはその手首を掴む。


「持つも捨てるも選択したのはあなたです。それを後悔しながらまた同じように捨て続けるのですか?」


「分かんねぇよ。今更どうしろってんだよ。食いもんも盗んで、物も壊した。街では厄介者だ。自分でそうしちまったんだよ。どうすればいいかなんて分かんねぇよ。こんな厄介者に謝られたって、何にも変わんねぇだろ。」


 情けないランの言い分に、クロエはいつものように少し口角を上げた。


「知っていますか?ランが幼い頃に盗んだ食べ物の事。その殆どがパンや切られた野菜。焼いたお肉なんかも、丁寧に包んで、それぞれ一つずつ店の前にわざわざ置いていたんです。いいですか、複数ではなく一つずつです。」


「なに、言ってんだ?」


 言われてみれば、程度の認識だった。売り物として売っているなら、一つではなく、複数置くはずだ。にも関わらず、いつも決まった場所にそれぞれ置かれていた。だけど、その時は何も考えずに無我夢中だった。


「あれらはあなたに食べさせる為にわざと置いてたらしいですよ。重吉さんと元さんの図らいでそのような措置をとったのだとか。確かに問題児ではありますが、十分に愛されているのだと私は思います。」


「…うちなんかの為に、何で?」


 俯く、ランの頬に小さな手が当てられる。


「どれ程ランが迷惑を掛けても、あなたを見捨てなかった。ただお互いに向き合い方が分からなかっただけなんです。生き方は人それぞれです。ですが、正しく、誇り高く生きたいのであれば、これまでの責任を取りなさい。それがまずあなたがすべき事です。…ラン、返事は?」


「…っ…………分かったよ。」




 店が閉まるタイミングを見計らい、事務所の玄関を開ける。


「ー待ちなさい。これを着ていきなさい。」


 いつもの格好で出ようとする、ランにクロエは黒いコートを羽織らせる。


「あなたまで風邪を引いてしまっては笑い者もいいところです。では、気を付けていってらっしゃい。」


「…おう。」


 ほんの少し、目頭を赤くしながら、無愛想な返事を残して、元の店まで向かう。


 丁度元は店の後片付けをしている最中だった。


「…店は終いだぞ。」


 そんな言葉と共に、後片付けも途中だと言うのに、店の前のベンチの腰掛ける。こちらの顔を見て、要件を切り出すのを待っているかのようだった。


「今まで…すまねぇ。ほんと、悪かったと思ってる。これ弁償代でー。」


 頭を下げ、クロエに渡された茶封筒を手渡そうとする。だがー。


『道場を作りたいんです。』


 嬉しそうに語る彼女の顔が頭に浮かぶ。これはクロエが道場を作る為に貯めたお金だ。そう思うと、渡す手が震える。


「必ず、うちが金を貯めて出します。だから!この金だけは勘弁してやってくれ。あの人の…大切な金なんだ。頼む!」


 ランは額を割る勢いで、地面に頭を下げる。


「あいつが、初めてうちに来た時だ。弁償だ何だの言ってるから、テメェから受け取る金はねぇ、つって締め出した。けど、あいつも中々頭の硬い野郎で、懲りずに毎日来やがる。姿勢一つ崩さねぇで綺麗なもんだったよ。それに比べてお前のは随分と見劣りすんな。」


「…分かってる。虫のいい話だってのは。それでも、あの人にはー」


 そこで、元は息を吸い込み、言葉を遮る。


「何度も言わせんじゃねぇ。店終いだ。」


「…っ!」


 聞く耳も持たずに店の中に入る。だが、それでも頭を上げないランに、元は続ける。


「ここは飲食店だ。それを飯も食わねぇで金だけ払って帰る馬鹿がどこにいる。食った分だけ金を払う。それなら文句の一つもねぇよ。あんたもこれに懲りたら夜に押しかけるのは辞めてくれ。こんな老体だ。店の中じゃなくて、布団で寝させてくれ。」


 その言葉にいつからそこにいたのか、ランの後ろからクロエが歩いてくる。


「はい。この度はご迷惑をお掛けしました。次はこの子を育てた料理を食べにこようと思います。」


「けっ!あんなものは料理じゃねぇよ。」


 悪態を吐きつつ、元は店の扉を閉めた。


「ラン、愛されてますね。」


「…はは。元さんの事はよくわかんねぇよ。」


「いいえ。元さんだけでないでしょ。」


 その言葉でようやく視線に気付く。


 重吉が2枚の毛布を持って店から出て来ていた。


「ほら、こんな寒い中で2人ともそんな格好じゃ寒いだろ。」


 それに自嘲気味に笑いながら、ランは顔を掌で隠した。


「ご…めん。迷惑…掛けて…ばっかりで。この街は…うちが絶対守るから。」


「おう、分かってるよ。」


 地面も空気も周りの全てが冷たいのに、体の内側だけが以上に暖かったのを今でも覚えている。




 そこで目の前のウツギを鋭く睨む。


「悪りぃな、この街はうちが守るって決めてんだよッ!」


 ウツギの掌がランの胸に当たった直後、マルの背後からシュウが飛び乗り、人質に取った女性から無理矢理離す。


「は、早く行け!」


「こ、こいつ!!」


「あ、あの!」


 マルにしがみつき、2、3歩よろめいた事で、人質が自由になる。走って端に行くのを確認した所で、ランと目が合う。


「ランさん!」


「ま、マル!!」


 ウツギが咄嗟にそっちに行こうとするも、手がランの胸から全く離れない。だが、そんな筈はない。体から離れた短刀に目を向けるが、まだ地面に落ちたままだ。能力が使える訳がない。


「知ってっか?この街ではよぉ、罰の与え方は拳骨って相場が決まってんだぜ。」


 ニヤッとランが笑うと、常人のそれとは比較にならない程の拳がウツギのの顔に直撃する。


「グハァ!?」


 地面を滑りながら、少しも速度が落ちる事なく、壁に衝突する。


 激しい衝撃に呼吸が出来ずに、カクンと膝の力が抜け落ち、壊れた人形のようにその場に倒れた。


 ランは腰からもう一本の短刀を引き抜く。


「正気のあんたなら、こんな見せかけの罠にはかからなかったぜ。」


「そ、そんな…ウツギさん。」


 倒れたウツギを見て、マルも膝を着く。そんなマルの両手を抑えようとシュウが手を伸ばした。戦意を失った相手、僅かながら生まれた隙にマルが素早く懐に潜り込んでくる。


「ちっ!シュウ!」


 ランが慌てて駆け寄ろうと動くが、間に合わず、マルの掌打がシュウを捉える。


 だが、妙だ。顎を狙う掌打の位置が微妙に上にずれている。結果顎先には当たらず、シュウ口、鼻を覆う形となっていた。


「これで…共犯だ。」


 口に何かが入れられた。その粒は舌の上を跳ね、喉の奥へと入っていく。


 そして、感覚が研ぎ澄まされていくのに比例して、意識がぐにゃりと歪んでいく。


 ーあぁ。なんて気分がいいんだ。

















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